小学生の頃、僕は学校まで1.5kmぐらいの距離があるところに住んでいて、子どもの足で30分ぐらいかけて通学していた。
学区の一番端っこというわけで、とても遠かった印象がある。でも、この通学路は楽しかった。
登校は近所の子たちで班をつくって、いわゆる「集団登校」だったので、隊列を組んで整然と行く感じだったけど、下校は自由だった。
同じ方向の友達と一緒に歩く。小学生の子どもである。「整然と真っ直ぐに」なんてはずもなく・・・
寄り道っていうわけじゃなく、遊びながら帰る感じでしたね。田舎道で車の通行も少なく、ほんといろんなことをしながら、30分以上かけて家まで帰っていたと思う。
重松清さんの、季節をテーマにした短編集の『秋』を読んで、そんな情景を思い出した。
秋の帰り路が、一番印象にあるのだろう。
稲が刈り取られた後の田んぼは、子どもたちにとって遊び場だった。適当に入って行っても、大人に怒られることはなくて、そこで何だかんだと遊んだものだ。
少年たちの憧れである「秘密基地」は、僕らはつくったことはなかったけど、隠れる場所はいくらでもあって、「天然の基地」になっていた。
いつかの帰る途中で、そんな場所で定番の「缶けり」が突如始まって、僕は我ながら会心と言えるような隠れ場所を見つけて身を潜めた。
当然、なかなか見つからない。最初はほくそ笑んでいたけれど、そのうち不安になってきた。
夕暮れが近付いて、業を煮やした僕はそこから出た・・・友人たちはいなかった。諦めて帰ってしまっていたのだ。
その時の寂しい気持ちといったら・・・秋の夕暮れの肌寒さと合わせて、探しにくいところに隠れた自らの行動を悔いながら、ひとり帰った日。。そんな苦い思い出もある。
でも、そういうのも含めて、秋のちょっとした寂しさは好きだ。
本書は、重松清さんの得意なパターンとも言える作品群。
40代半ばの中年や、子どもを主人公に描く作品はさすがだ。そして、「普通の人の、普通の人生のドラマ」を綴り、そこの深さを語ることにかけて、右に出る人はいないと感じる。
その上に、今回は「秋」がテーマで、何となく寂しさが漂う中で、普通の人たちが希望を見つけて行く物語が並んでいた。
個人的に、より印象に残った作品を2つあげる。
1つは『秘密基地に午後七時』。
小学生時代の友人同士5人が、同窓会で再会して以降、毎週金曜日の午後七時にある場所で集まる。そこを「秘密基地」として、酒を傾けながら他愛もない遊びにふけっている。
ただ、この5人の小学生当時の関係性には濃淡があった。「同じクラスの男子」というカテゴリーに入ることは間違いないけど、それが「友人」と言えるものではなかったのだ。
言わば微妙な距離感にある中で、1人が秘密基地に「自らの息子を連れてきたい」ということから、物語が動き出す。
同級生というカテゴリーは、非常に良いものだ。同じ時期に同じ空気を吸っていたことは間違いない。だけど、全ての同級生と「一歩踏み込んだ関係にあるか」というと、それは違うだろう。
ただ、一歩踏み込めない関係ではないと思う。同級生、大事にしたいなぁと感じる作品。
もう1つは、『ヨコヅナ大ちゃん』。
気は優しくて力持ち。大きくて太めの体の小学6年生・大ちゃんは、地域の小学生相撲大会で毎回優勝していた。
前人未到の4連覇がかかった小6秋の大会で、大ちゃんは何故か出場しないと言い張る・・・理由は好きな女の子のある一言だった。。。
そろそろ異性が気になる年頃ならではのお話。これはハラハラし、時に大ちゃんにイライラしながらも、単純に心温まる展開だった。
オジサンたちにも覚えがあるというか、懐かしい感覚に浸れる話ですね。
他の作品というか、重松清さんのパターンにはまる場合は全てそうだけど、自分たちの身近であるような気がするのだ。
普通の人にこそ、ドラマがある。人生は全てドラマなんだろう。
そんなことを思うと、自分の人生だって、それなりに山あり谷ありなわけで、だからこそ小説に気持ちが入るんだと思う。
重松さんが、「夕暮れ時に読んでいただければ」と後書きに書いている。ほんと、それが合う作品群でした。。
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