沢木耕太郎『246』 | 流れに任せて雑然と

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20代の頃、「好きな作家は?」と聞かれたら、沢木耕太郎さんの名前を外すことはなかった。


沢木さんは、「作家」というくくりで言うべき存在ではない。


小説もいくつか書いているが、僕は「ノンフィクション・ライター」という表現で呼ぶのが、最もしっくり来ると思っている。


ただ、「作家」を広義で捉えれば、小説のような創作のみならず、ノンフィクションやエッセイ等、様々なジャンルの「書き手」を指しても良いと思うので、「好きな作家」として挙げるのもアリじゃないかと。


そして、「書き手」ということでは、この人ほど「書く」ということに真摯に向き合ってきた人も、そう多くないのではと思うのである。


文章で何かを表現する、というのは、いろいろな方法がある。

小説であったり詩であったり、俳句や短歌の類もそうだろう。


沢木さんの場合、「ノンフィクション」を文章で描くための方法について、様々にチャレンジを繰り返してきている。


分かりやすい例えで言えば、「何人称で書くか」ということ。


沢木さんの代表作である『深夜特急』や『一瞬の夏』は、「私」という一人称で書かれている。沢木さん自身が主体となって、その目で見て感じた世界を、虚構ではない、現実として書くというスタイルだ。


このスタイル自体が、ノンフィクションでは珍しいと思う。多くは三人称。書き手の目で書いているはずだけど、書き手は舞台に登場しない。


沢木さんの作品にも三人称はあるが、それは「何人称で書くのがこのテーマには適切か」を吟味した上で設定しているのだ。


この人称の問題のみならず、書き手としてチャレンジをし続けるところと、その結果、他のノンフィクションとは一線を画す作品となるところに、僕は魅力を感じていた。


文章を書く、文章で表現する、ということに、関心というか愛着を持っていた僕に、ぴたりとはまったのだ。


40歳に近くなった今も、時に沢木作品を読み返す。何だかワクワクするんですなぁ。。



本書『246』は、1986年の1月~9月までの日記的なエッセイ。


当時の雑誌で隔月で連載されたものだそうで、時代を感じさせる話も多い。


沢木さん、実はエッセイも数多く出しているけど、これも良いですね。ライターの日常が楽しく、時に重々しく語られていて。


ちょうど初めての小説作品を書いている頃で、書き手としての葛藤も垣間見える。


一方で、たくさんの本を読み、映画を観て、人と会って、という生活は、けっこう素敵だなぁと思う。


もう1つ、3歳の娘さんにせがまれてする、毎晩の「オハナシ」。これがまた素敵。娘さんが、「今日は長靴のオハナシ」と言えば、沢木さんは即興でお話を考えて、娘さんが寝るまで語り聞かせる。


そんなような日々が綴られている。


何が良いって、1986年は沢木さんが38歳だったということ。


今の自分と同年代なんです!


何かこう、刺激になるんですよ。


プロの書き手として生きてきて、次のステップに挑戦していく時期を迎え・・・そんな状況での日常が、わりに淡々と書かれている。


ああ、自分もそういう年代だよなぁという実感もわく。


自分も次のステップを踏むべき時期・・・その日々を綴ったらどうなるんだろうって考えてみたり。


やっぱりワクワクしましたね。



文章が好き、と言いながら、今は文章を書く機会は仕事でちょこっとと、このブログぐらい。


でも、文章が好きという自分を振り返る。沢木作品はそんな存在です。


家にある蔵書、また読み返そうと思います。


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