今、このときが「時代の変わり目」かどうかっていうのは、なかなか分からないもの。
時間が過ぎて、振り返れば「あのとき時代は変わって行ったのかな・・・」と感じられる。そういうことなのだろうか。
でも、歴史の中では、間違いなく同時代を生きた人も、「これは変わってるぞ」と感じていたであろう、劇的な転換点があると思う。
最も分かりやすいのは、革命前後。
日本においては、江戸時代から明治時代への移行期は、まさにそういう時期だったのではないか。
変化を肌で感じるような、目まぐるしいほどに移ろう時代に、実際に生きた人たちは何を考えていたのだろう。
何を目標に、あるいは先に何を想像して、毎日をどう過ごしていたのだろう。
・・・多分、そんな壮大なことを考えられる人は一部で、ほとんどの人は新しい風を感じつつも、そう変わりようもない日々を生きていて、いつの間にか変わって行ったのではないか。
『漂砂のうたう』は、明治時代の変化との距離や接し方を描いた作品だと思う。
舞台は東京・根津の遊郭。そこで働く定九郎が主人公。彼は武士の子で、時代の変化に伴って武士の立場を離れた。
彼はずっと、「自分はこの先どうすれば良いのか」を考えている。
何も明確な解決策は思いつかない。何が正しいか分からない。先は読めない。
取り合えずここから脱出して、どこかへ行くべきなんだろうか。
旧時代の空気が色濃い遊郭の世界から出るべきなんだろうか。
迷って悩んで、感情に走り、合理的とは言えない選択もして・・・
様々な登場人物は、それぞれの生き方をちゃんとしている。それに比べれば、定九郎はどこか女々しい感じがする。
でも何だか共感できた。。。どうしたら良いかなんて、誰も分からないし、悩むのが普通かなぁと。
僕は時代の変化に敏感ではない。
流行り物とか、別に嫌いじゃないけど、何でもスイスイと順応できるタイプではなく、けっこう旧式なやり方をし続けてしまうことがある。
まあ、定九郎のような切迫感はないし、その辺はまさに時代が違うわけで。
歴史が動くような変化っていうのは、そんな切迫感がエネルギーになるのかもしれない。当時はきっと、多くの人々がエネルギーを発していて、だから革命がなしえたのだろう。
定九郎の悩みは、エネルギーのうねりの産物なのか・・・
暗く重たい世界観の小説ながら、時代のパワーと、その大きさ故の副作用を感じた。
直木賞受賞作ということで、なかなかの読み応えでした。
ただちょっと好みが分かれるかな。。。前半はあまりスピード感がなく、時代小説らしく古い言葉も多い文章が続くので、やや読むのに時間がかかった。
感想を書くのも難しかった・・・重みのある小説ですね。
舞台となった根津は、仕事で通ったことがある。古い街並みが残る下町っていうイメージだったけど、やはり歴史は深いのか。。。また歩いてみたいと思いやす。
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