かねてより、「記憶力が良い」と言われる。
ただ、自覚としては実はそれほどでもないと思っている。僕の記憶力はちょっと偏っていて、「人のプロフィール情報に関して忘れない」というものだ。
この人はどんな人か、趣味や嗜好、出身やら何やら・・・っていう情報を一度頭に入れると、しっかりと記憶に残しておけるようで、瞬時には無理でも時間をかければ大概は思い出せる。
人事の仕事上では最も必要な記憶力のため、総じて良いように見られるのだろう。
でも、僕はエピソードに関してはけっこう忘れてしまう。
断片的には覚えていても、細かいことは抜けていたり。あるいは、スッポリと出来事自体が抜け落ちていたり。まあ、言ってみれば「普通」なのだ。
昨年の暮れに、高校の同窓会に出席した。
その場で、「あんなことが、こんなことが」という話になったのだが、「ああ、あったあった」と思うものもあれば、「・・・全く覚えてない・・・」というものもあった。
時間が経っているから仕方ない。しかし、ちょっと不思議な気もする。
高校時代は、その生活や時間が全て。それ以外には何もなかったわけで。
そして社会人の時間の経過よりも、ゆっくりと濃密な時間が流れていた感覚がある。。。そういう感覚があるにも関わらず、それぞれの事象の記憶が薄い。
感覚だとか、空気だとか、断片的なものだけは残っていること・・・それが不思議です。
朝井リョウさんの『少女は卒業しない』は、ある地方の高校の卒業式を描く短編連作。
翌年度に別の学校と統合するため、卒業式の日をもって学校が取り壊される。
その高校に通う7人の少女たちの、卒業に向かう物語である。
時代は今だけど、地方の高校生だからだろうか。20年前に卒業している僕の高校時代にも共感できるような話が綴られていた。
地方の高校生に共通することがある。
卒業と同時に、距離が空くということだ。特に進学において、地元を離れる人が多い。「卒業したら離れる」という前提の中で、高校時代を過ごしていく。
これは独特の緊張感をはらむものだ。
普段の生活では全くそんなことを考えない。高校生らしく、悩みながらもある意味では無責任に、先よりも今のことを考えて生きている。
ふと気付けば卒業する、という段になる。その瞬間に至っても、「離れる」ということへの実感がなく、いや、分かっていながら敢えて考えずに、卒業を受け入れると思うのだ。
寂しさとか、そういう言葉とは違うような、どこか「フワフワ」した気分。
明日以降、もうこの時間が戻って来ないことに無自覚であろうとして、先の生活に目を向けて、敢えて浮ついている。。。
僕は高校の卒業について、そんな感覚が残っている。
本書で描かれたのは、まさにそういう空気だった。
さらに、そこに書いてあった出来事は、僕がもう忘れてしまった事象であるような気がした。
全く同じことがあったはずもないが、空気が記憶と重なるために、何か自分にも似たようなことがあったのでは、と思ってしまうのだ。
見たことある風景というか・・・
朝井リョウさんは平成生まれの若い作家。彼が大学時代に書いたということで、高校時代がバッチリ記憶にあるからか、細かいところまで描けるのだろう。
20年経って、細かいことが思い出せないのは残念だなぁと思う一方で、それで良いような気もしている。
残ってくれたのは、悪くない空気感だ。それだけで、きっと十分に幸せな高校時代だったということだろう。
朝井さんのような若い作家さんが細かく書いてくれて、「自分にもあったような・・・」と感じて、空気感を呼び起こせれば、それで良い。
そんなことを思いました。
思い出せればそれにこしたことはないけど。
忘れたままの方が良い話もあるか(苦笑)
朝井さんの作品を読むのは2作目。
文章がスゴイとか、テーマが凄く深いとかっていう感じじゃないけど、「上手いなぁ」と思うタイプ。
卒業と同時に学校がなくなるっていう設定も巧みだし・・・
年齢を重ねたらどんな作品を書いて行くのか、注目したい作家さんです。
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