川を眺める | 流れに任せて雑然と

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日々の出来事や読書について、雑然と綴っていきます。




昨日の夕方、1時間のランニング。


雨の後で涼しかったとはいえ、やっぱり汗だくでした。。


自販機でペットボトルのスポーツドリンクを買って、川べりに座って休む。


川を眺める15分ぐらいの時間・・・これ、最近見つけた「良い時間」だ。


ただただ、ボーっとしているだけ。考え事と言えるような、たいそうなことは考えていない。疲れているから、体に力も入らないので、かなりリラックスする。


意外とこういう時間って、日常にはないんですね。


日曜の夕方となれば、「明日は仕事・・・うぅ・・・」っていう感じで、あれこれと考えて重い気分になりやすい。


いや、そもそも何かをゆっくり考える時間自体がないかも。


そんな日常の中で、この「川の時間」は、見事に魂を抜ける。


写真の通り、決して美しい風景でも何でもない普通の川を、僕はしばしボーっと眺める。



そもそも僕は川を眺めるのが好き・・・というか、日常だった。


小2~高3まで暮らした、徳島の家の裏は川だった。通学のとき、必ず川を渡る橋を通る必要があった。家の窓からは川が見えた。


これまた全く美しくないというか・・・いつも濁っているし、木とか葉っぱとかが流れ漂っている川で。


とにかく身近だったからか、僕はよく夕方に裏の橋に出て、美しくない風景を眺めていた。川の中で魚がうごめく様子を、ただボーっと見ていた気がする。


あの時間、当時はあまりに日常で無意識だったけど、実は貴重なリラックスタイムだったのかも。


最近見つけた「良い時間」は、当時につながっているのかもしれないなぁ。。



実は僕は昨年末、同窓会に参加するため約15年ぶりに徳島に帰った。一泊二日という、ごく短い滞在で。


午後に徳島について、夜の同窓会までの間、僕は久しぶりに自分の住んでいた場所を訪れた。最寄駅から、畑と用水路だけの道を歩いて、自分の家があった場所に行く。


父の会社の社宅だった家は、跡形もなくがらんとした更地になっていた。


でも、寂しいという感覚は全くなかった。


なぜなら、その更地以外は何も変わってなかったから!


駅から家までの道の風景も、あの濁っていた川も。


当時でも古めかしかった橋もそのまんま。


ほんと、時計の針が止まっているかのごとく。僕たちの家がすっぽりと無くなったのみで、後は何も変わってなかったのだ。


微妙に変わっているところはあるのだろう。また、この辺がたまたまで、同窓会に向かうべく友達の車で街を走ったら、けっこう変化を感じもした。


これをラッキーと言っていいか分からないけど、僕は元の家の場所で15分ぐらい、また濁った川を眺めることができた。


帰ってきたなぁという思いをかみしめて、同窓会で更にその思いを深めることができたのです。



またいつか帰ることがあれば、濁った川を見に行こう。いつか分かりやすく変化するのか、いつまでもそのまんまなのか・・・密かな楽しみ。


そして今や、川を眺める時間を過ごしたいがために、夕方走っているのかも。


モチベーションの材料になっているということ。


あんまり長く座ってると、蚊にやられますが・・・



最後に、前に夕方ランのことを書いたときに、「ユーミンの曲を聴きながら」と言った。これ、今も続けているのだが・・・


川を眺めるBGMにも合う。


特に『守ってあげたい』が秀逸。


「遠い夏 息をころし トンボを採った  もう一度あんな気持で 夢をつかまえてね」


「日暮れまで土手にすわり レンゲを編んだ  もう一度あんな気持で 夢を形にして」


こういう歌詞。。。ピタリとはまりますわ。


寒くなるまでは、夕方ランを続けようと思いやす。