村上春樹の新刊、発売とともにブームですね。。タイトル長くて覚えられてないけど。
先週、新聞の書評で紹介されていて、これは確かにおもしろそう。
でも、まずは家にある未読の村上春樹作品を読んでからだろうなぁ・・・
いよいよ重い腰を上げようかっていう気になってきました。村上春樹、気合い入れないと読めないのでね。
さて、『ティファニーで朝食を』。
村上春樹訳ではなく、それより古い、龍口直太郎氏が訳したバージョンを読んだ。
オードリー・ヘップバーン主演の映画が有名だが、僕は観ていない。作品のイメージも全くなかった。
読み進めて思ったのは、「これ、オードリーがどんな風に演じたんだろう??」という疑問。
ヒロインとなるホリーという女性は、名刺の住所は「旅行中」と書くことに象徴されるように、超がつく自由人。
宝石店であるティファニーで朝食を食べることに憧れている、男性を振り回す奔放な女性。
主人公である作家をはじめ、多くの男性が取り巻くけれど、彼女はつかみどころがない。
言っていることに嘘はない。表裏もない。でも、到底普通ではない。
どこかフワフワとしたまま、彼女はどこかに落ち着く様子がないまま、物語は進んで行って・・・「どう読めば良いのかムズカシイ」というのが率直な感想だ。
オードリーの映画をたくさん観ているわけではないが、「清楚さ」と「凛とした強さ」のイメージを勝手に持っていたので、本書におけるホリーのキャラが重なりにくかった。
後で調べたところ、どうも原作とはストーリーは少し変えてあるらしい。
そして、オードリーは、本書の描写で感じる自由さは備えつつ、男性を惹きつける魅力があふれるホリーを見事に演じているらしい。
原作はあくまでベースで、映画は、ストーリーも人物も、観る人にストレートに分かりやすく、エンターテイメント作品として完成度の高いものになっているらしいのだ。
なるほどね・・・さすが、名作だなぁ。
これ、原作にも映画にも力があるから起こる事象だと思う。
ストーリーが違うっていうのは、原作に解釈の幅が広くなる要素があるとも言える。
文学と映像作品は、そもそも表現手法として全然違うのだから、解釈の仕方で変わることは起こりえるもの。むしろ、いろんなバージョンが可能な方が、作品の世界が広いってことではないか。
「原案」と言った方が、しっくり来たかも・・・映画もいずれ観てみよう。
あと、村上春樹訳のバージョン。
こちらもイメージはかなり違うらしい。
読み比べてみるのも面白い。言葉の綴り方で、どう変わるのか。興味深いですねえ。。
これまた、未読本をクリアした後に是非、やってみよう。
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