重松清 『ロング・ロング・アゴー』 | 流れに任せて雑然と

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日々の出来事や読書について、雑然と綴っていきます。

単行本では、『再会』というタイトルだったものを、文庫化に際して改題したそうな。


本書に収録されている六つの短編は、「再会」をテーマとした物語。作者の後書きによれば、『せんせい。』という短編集と同じモチーフで描いた作品群で、『せんせい。』が兄で、本書が妹という感じだとか・・・。



後書きの一節に、テーマについての文章があるので引用。


「僕たちは皆、数えきれないほどの『会えない日々』を胸の奥に抱いて、それぞれの人生を生きている。」



再会は、「会えない日々」がなければ成立しない。つまり、ある程度月日を重ねた空白期間がない限り育まれない物語なのだ。だからこれは、大人の物語になる。


僕も昨年、「再会」を感じる出来事がいくつかあった。


ここでも少し書いたけど、フェイスブックというツールのお陰で、音信不通にしていた高校時代の友人たちと、相次いで再会したのだ。15年とか、18年とかの「会えない日々」を経て。


小説になるかは分からないが、それなりのドラマはあったと感じている。


月日というのは不思議なもので、普通に過ぎてきた日常の積み重ねですらも、ドラマになる気がする。僕は友人たちとの再会を、興奮して味わった。


「会いたかったけど、会うことが現実的ではなかった人」。。。突如として訪れた現実に、戸惑いを覚えながら、それでも胸が熱くなり、「会って良かった」と心から思えた。


もしかしたら「会わない方が良い人」もいるかもしれない。しかしどんな「再会」にもドラマがある。このドラマは、年齢を重ねてこそ深くなる感動の一つである。



本書で描かれた「再会」は、いずれもほろ苦い。


小学校や中学校時代の、思い出すだにイタイタしくて、恥ずかしくて、ちょっとした後悔も混じるような、決して美しくない昔の出来事を振り返るお話だ。


重松清さんの作品は、いつも圧倒的な現実感を持っている。本当に自分の身につまされるというか、自分のことを思い出させるというか。。。今回もそうで、自分の胸に投影されて、涙がこぼれそうになった。



敢えて一つ、最もグッときた物語を挙げると、『チャーリー』。


「僕」の4年生の息子が、図書館であのスヌーピーのお話を借りてきて、「僕」は自分に似たチャーリー・ブラウンというキャラクターに再会する。


小学校時代の「僕」は、4年生までは積極的で、何でも張り切って取り組む少年だった。だが、5年生になって成長する中で、「僕」は積極的ではあるものの、実は勉強でもスポーツでも音楽でも、人よりできるというわけではないことに気付いて行く。


決して他の人に勝ちたかったわけではないのだが、次第に「できないのに前に出ること」が周りから受け入れられないことを感じる。


そして、クラスの担任になった先生に、そういう「僕」の姿勢が嫌われているようだと思い始める。「僕」は徐々に迷いが生じてきて・・・。


4年生から5年生という時期の変化。。。大人になると分かる。5年生からは高学年で、急に意識が変わって行く。早ければ反抗期が始まる頃で、少しずつ思春期に向かって行く。


自意識が強くなる中で、周りとの違いというか、差を理解するようになる。差があることは当たり前だと分かっているが、うまくその想いを処理できない・・・そんなことを、大人になった今、ほろ苦く甘酸っぱい思い出として、その時期に差し掛かる息子を見ながら振りかえるっていう・・・。



37歳という年代になった今、ようやく分かることがある。


子供の頃の葛藤を、否定することなく振り返ることができる。


高校時代の友人との再会も、月日が流れて、多分僕らが少しは成長したからこそ、あたたかい気持ちで受け入れられるのだろう。


これからも様々な再会を楽しんで行きたい。大人の楽しみとして!


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