小川糸 『食堂かたつむり』 | 流れに任せて雑然と

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僕はほとんど料理をしない・・・というか、できない。


手先が不器用だし、この種のセンスは皆無に近いと思う。


評判の良いレストランに行くことや、いろいろと食べ歩いて良い店を発掘すること・・・そういう、食べることへの能動性は薄いかもしれない。飲みに行くのは好きなので、人に連れられては行くんだけど。


食事って、味も大事だけれど、食べるシチュエーションがより影響力があると思う。誰といつどんな場所で、どういう順で、どんな会話をしながら食べるか・・・。気分や体調も影響するだろう。


まあ、そうは言っても美味しいものは好き。また、「食」をテーマにしたドラマや映画も好き。テレビドラマ「王様のレストラン」は、不朽の名作だと思っている。



さて、「食堂かたつむり」。


この小説、アマゾンのレビューなんかでは評価が極端に分かれていて、酷評されているものもあり、かなり厳しいコメントも並んでいる。


僕の感想は、「そこまで悪くないし、読み方次第で非常に深まる良い小説」というものだ。


レビューの悪評で指摘されているところは、「お客が一日一組で経営が成り立つわけがない、現実感がない」、「人物描写が薄く、主人公に感情移入できない」、「全体に薄っぺらく、話のつながりも弱い」、「文章表現が拙い」、「豚や鳥を殺すところを、あれほど詳細に描く必要性がない」などなど・・・まあ、きつい。


うーん、これらの指摘にはちょっと共感できない。


文学とか小説に何を期待するのかっていうことの見解に相違があるのかもしれない。設定や表現というのは、作者が伝えたいこと、描きたいものを最も効果的に示すためのツールだと、僕は思っている。


この小説で、僕は「生きることの生々しさ」を考えることができた。作者がそんなことを伝えようとしたのでは、と感じることができた。


食べる、ということは、生きることをよく示している。生き物を殺して、それを料理という形にして、美味しくいただくわけで。


「生きる」って能動的な表現だけど、結局人は「生かされている」のではないか。


最後の方で、声をなくしていた主人公・倫子が、あるきっかけで声を取り戻すんだけど、それは彼女が「生かされている」ということに気付いたからだと思った。


「現実感がない」なんて・・・これは圧倒的な現実感に迫られる小説だ。生きることのリアルな姿を感じられる。この小説が根底で描いている現実感の前では、食堂かたつむりの経営が成り立つかどうかなんて、全く枝葉の話に過ぎないだろう。


作者は敢えて、日常性から離れた設定や描写をしていると思う。少しずれた感じ、違和感が独特の空気を作っていて、それがかえって現実の重さを引き立たせる。


小説らしい小説だと思う。読み手として、「何でこう書いているのかな?」という視点を持って考えれば、更に深まっていく。それが文学ではないか。


重要なテーマとなっている料理の描写が細かい。これは作者が料理なり料理人なりをリスペクトしているからだと思う。



(写真)

マルゲリータピザ。ピザの種類はたくさんあれど、僕は定番のマルゲリータが好き。この写真は、時々ランチに行く近所のイタリアンレストランの一品。シンプルで美味い!ナポリのピザ職人が王妃マルゲリータに献上したことからこの名前だとか・・・。


食堂かたつむり (ポプラ文庫)/小川 糸
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