今日はマイミクのYちゃんと新宿でランチ&お茶をしてきました。
初めて会うのにドキドキしながら駅の改札前で待ってる私を、彼女は見つけてくれました。
思ったとおりに、ほんわかした人でした。
いろいろな話をして、楽しいひと時を過ごせました。

帰り道、バスへの乗り換え駅の中で、出店していたアクセサリーのお店に釘づけになってしまい、前からブレスレットが欲しかったので買ってしまいました。本当は薄いピンクの水晶のが可愛らしかったんだけど、実際に自分の持ち服とコーディネートすることを考えると、うん~~と。
私は黒とか紺、茶系の服が多数なのでそれにあわせるとなると、もうちょっと落ち着いた色の方が無難かなぁ?と思って誕生石でもあるアメジストのブレスレットにしました。

うつ病30代のブログ-ブレスレット



アメジストはペンダントも持っていて(高校の修学旅行で行った韓国で、名産物だから・・・とお土産屋さんで購入)それとおそろいになっちゃいました。

まあ、パンツスタイルの時はペンダントしないけど、ブレスレットはシーンを選ばない感じがするので、これでいいかなと。

改札を出てからも、駅前をフラフラ歩いて雑貨屋さんでプライスダウンされたチュニックを買おうか迷ったり、絵葉書買おうか迷ったり。結局何も買わずに入ったときと違う出口に向かったらスタバがあって、思わずテイクアウトで大好きな「チョコレートチャンクスコーン」を2個買ってしまいました。1つは帰り道、バスを降りて家へ向かって歩きながら食べちゃった。やっぱりこれがわたしの中ではスタバで1番!
プリペイドカードを使ったんだけどもう残金が1000円を切ってしまったよぉ。
次に行った時にはチャージしておかないとダメだなぁ。

そういえば、私スイスにペンフレンド(e-mailでね)がいるんだけど、うつの治療のせいか、元々苦手だったのが酷くなっただけかは分からないけど英語力が低下してます。
それでも電子辞書のおかげで何とかコミュニケーションは取れているけれど。

で、英語Blog書くことにしてみました。
興味がある方は覗いてみてください、そして私のイケてない英語を添削してください。
URLはhttp://fumi.journalspace.com/
です。
体が慣れてしまったのか、みゆきさん効果がまだ続いているのか、はたまた病気が悪化してきているのかは不明だけれども、今日もワイパックス投入しました。
セロクエル、効果が薄いのかなぁ?

午前中はセロクエルだけでなんとか切り抜けたんだけれど、午後になったらやっぱりダメな感じ満々になってきて、結局ワイパックスの登場。

飲んで、ベッドへ入って音楽聴く。
いつもどおり、いつの間にか眠っていて2時間後くらいに目が覚めた。
元気にはなってなかったけど、まあ家事をちょっと手伝うくらいの元気は出た。

なので、今日一番頑張ったのは、近所のスーパーに買い物に行った(夫と一緒に)ことかな。

月曜の通院のために手帳にその日あったことを書くのを再開した(退院してすぐの1ヶ月くらいはやっていた)。
頓服を飲んだかとか、眠れたかとかを書いている。
また薬が増量される可能性大だけど、それで楽になるなら今の私は何でも飲む
そんな気分。むしろ出して欲しい。だけど主治医はあまり薬を出したがらない人だからなぁ。どうなることやら。
とりあえず、ワイパックスレキソタン、どっちでも好きなほうを飲むようにと。

先ほどワイパックス1mgを投入しました。
そろそろ効いて来るかな?
ベッドに入って横になろうと思います。
音楽はウォークマンで聴けばいいからね。

これで眠れたらいいなぁ・・・
朝から、いや昨日から調子が悪く、頓服をのんでも埒が明かないので処方外の薬で、私の手元にある薬で何か飲んだら良くなるものが無いか、病院へ(主治医へ)問い合わせ中。

メンタルヘルス科の受付まではTELでつながったが、先生の携帯(大学病院なので職員は皆携帯を持ってる)はお話中だとか。
もう少ししてからかけ直してもらえませんか?
と言われ、反論する余地も無いため承諾する。
ちなみに何分後くらいがいいですか?と聞くと、30分後くらいとのこと。

あ~こんなに辛いのに30分も待つの~

というのが正直な感想。
でも、勝手に薬足したり、今の私はODしたい気分満々だから、あえて先生に相談することにした。
先日のODで「次にやったら僕は知らないよ」と言われてるから。


で、このブログはその30分を稼ぐための書き込み。

そういえば私以前の日記を見てもらった方は分かると思うのですが、医者になりたかったんです。
でも現実問題として大学受験の現役では地方の工業大学に合格するのがやっとというレベルで、夢を諦められなかった私は浪人させてもらうように親に頼んだ。親も私の夢は知っていたから応援してくれた。
札幌で下宿しながら代ゼミの医学部進学コースに入学して勉強しまくったわけですが、基本知識なのか、初歩的な応用なのかが、周りと圧倒的に違って、悩んだあげく大好きな数学を専攻しようと決め、2浪目で新潟大学に合格したんです。

しばらくは好きな数学と戯れ、友人達と遊び、よくある普通の大学生活を満喫してました。
医者になりたいという夢はどこかに置いてこれたんです。

ところが、3回目の入院で副主治医になったのが女医さんだったんです。
正直、うらやましくてしょうがなかった。
そういわれてみれば今まで女医さんにみてもらったことって無いなぁと思い出したり。

予備校時代の友人で医者になった女子の1人は大学病院に勤めているんだけれど
「仕事も、家庭も、子どももいて、もう限界だから近々仕事はパートタイムにしてもらうことにした」って言ってた。
大変なんだね、仕事。
でも私にはうらやましく感じた。

彼女からみたら、自宅で仕事ができる(SOHO)SEの仕事の方がうらやましいのかもしれないけど、やっぱり私は医者になりたかった。
入院中に主治医に言ったら「今からでも頑張ってなれば」と言われ、夫にその旨話すと「なにバカな事言ってんだよ」といわれ一刀両断。
入院仲間には応援してもらえたけど別に奨学金出してくれるわけでもなんでもないからねぇ。


・・・さて、時間が来た。TELしようかな・・・
随分ご無沙汰しています。17期卒の旧姓F.○です(女)です。
最後に参山したのは新潟大学時代の教育実習の数学をさせていただいたときです。あの時は西村先生に大変お世話になりました。

大学卒業後はSEとして札幌や東京、茨城などで仕事をしていました。
この業界は残業が多いので有名ですが、S塾高校にいた頃のことを思えば全然辛く感じなかったです。

ところが、全く逆の立場になって・・・
そうです、会社には属しているけれども仕事が無くなってしまったのです。
半年くらい、仕事が無い状態が続いたでしょうか(IT業界ではよくある客先常駐中での出来事です)。

普通の人なら何もしないで給料がもらえると喜ぶのでしょうが、私の性格なのか、自分が世の中から必要とされていないように感じてしまって、気がついたら「うつ病」になってしまいました。

未だに病気は治っていません。
気がついたらもう4年も闘病しています。
会社も辞めてしまいました。(今SOHOでSEの仕事を再開し始めたところですが)*書き込み日は2010/1/23
そうして、この病気につきものの「リストカット」「オーバードーズ」「遺書を書く」などして精神科への入院も3回しました。
3回目の入院はつい最近までの出来事です。

先日退院して、なんとな~くS塾高校のことを思い出して、いろいろ当時使用したり、いただいた本を読んで涙が止まらなくなりました。
でも、やっぱり「病気」のせいか、そんなことできたら苦労しないよ~ と思うこともしばしば。

実は、私は卒業して国立大学に入るために2年浪人していて、S塾高校に進学したことを肯定したり、否定したりしているんです。
浪人中に予備校の医学部進学クラスで友達になった人たちは皆、地元の一番ハイレベルなクラス出身でしたので、なんだか医者になりたいんだったら地元の進学校に行ったほうが良かったんじゃないか?と思ったり。
周りの皆に比べて勉強できない自分は学校選択が良くなかったのではないかと思っていました。
だから、勉強以外のことは肯定できるのですが、勉強の面でもっと出来たら(自分では可能な限りやったつもりですが)こんなふうに考えなかったのではないかと思ったり。

でも、結果として医学部を諦めて数学科へ進学し、就職したSEの仕事は充実していました。だから昔医者になりたかったという夢も忘れていました。
けど、先日の入院で女医さんと接することがあり、その女医さんがとっても素敵だったんです、(それまでは精神科の担当医は全て男性でした)急に昔の夢がよみがえってきてしまいました。
その夢を無視するまでには大変な時間がかかりましたが、今はなんとかあきらめることができるようになりました。

まだ病気な私には、宗教Yの教えなどはまだまだ荷が重いですが、少しずつ元に戻れたらいいなぁと思います。


そうそう、在学中に受験したセンター試験の思い出を。
2日目の1時間目が化学だったのですが受験者が私1人で、引率してくれた昌尚先生が会場まで一緒に行ってくれた事がとっても嬉しかったです。
あと、数Ⅰで満点取れたのも嬉しかったですね。浪人してからは満点取れなかったので。




 
昨日から、中島みゆきを聴くようになって、調子が悪いです。
別にみゆきさんが悪いわけではなく、聴いて解釈する私が悪いわけで・・・。

昨夜は9時に寝て、頓服も飲んで、でもやっぱり1~2時間おきに目が覚め、途中不眠時の頓服を飲んだりしてみたけど5時くらいからはうとうと程度。結局7時半に起きた。十分寝たはずだったのに、起きたときからなんとなく気分が良くない。夫は起きてきた私の顔をひと目みて「大丈夫?」と。
私は結構顔に出るタイプなのか、そう聞かれてしまった。
自分ではもやもやした気持ちが吹っ切れてなくて、でもなんとなく大丈夫なような気がしていたので「まあまあ」と。

でも結局調子は急下降し、先ほど通院している病院へTELしてみた。
手元にある薬でなんとかこの苦しさから逃れられないかと。
本当ならODしたいくらいだけど、主治医と「もうしません」と約束したからあえて相談のTELを。

受付につながったけど、残念ながら主治医も副主治医も午後にならないと病院へ来ないと。
別の医師だったらこれから来てもらえれば診察しますよ と言われたけど、とてもじゃないけど外出する元気はない。
ましてやハズレの医者に当たって、タクシー代往復使うのはあまりにもったいないと思って、断った。

では13時半過ぎにTELをもう一度ください、多分先生来ていると思いますから と言われ、そうすることにした。

手元にはじゃらじゃらと薬がある。
どれかの薬を飲んで何とか水平飛行くらいには持って行きたい。
今回は絶対ODしません!!

ちなみに今朝の私の不調を見て、夫は午前休をとるか、午後3時くらいに帰ってくるか、してくれると言ってくれた。
私は、そうしてもらっても具合は変わらないから、定時に帰ってきて とだけお願いした。
夫はきっとODを恐れているんだろう。

でも大丈夫、派手なのはもうしないから。
するときは「死ぬ覚悟を決めたとき」だけにしようと思ってる。
・命の別名
「くり返すあやまちを照らす 灯をかざせ
 君にも僕にも すべての人にも
 命に付く名前を”心”と呼ぶ
 名もなき君にも 名もなき僕にも」


・糸
「なぜ いきてゆくのかを
 迷った日の跡の ささくれ
 夢追いかけ走って
 ころんだ日の跡の ささくれ
 こんな糸が なんになるの
 心許なくて ふるえてた風の中
 縦の糸はあなた 横の糸は私
 織りなす布は いつか誰かの
 傷をかばうかもしれない

 縦の糸はあなた 横の糸はわたし
 逢うべき人に 出逢えることを
 人は仕合わせと呼びます」


・孤独の肖像1st.
「悲しみは あなたを失くしたことじゃなく
 もう二度と だれも信じられなくなることよ
 どうせみんなひとりぼっち 海の底にいるみたい
 だからだれかどうぞ上手な嘘をついて嘘をついて
 いつも僕が側にいる、 と
 夢でいいから囁いて
 それで少しだけ眠れる
 本当の淋しさ忘れて
 いつも僕が側にいる、 と
 夢でいいから囁いて
 それで少しだけ眠れる
 本当の淋しさ忘れて 
 たぶん」
    

・永久欠番(みゆきさんの手書きのメッセージがいい!)



・ヘッドライト・テールライト(ライブ映像だから)



・あした
「何もかも 愛を追い越してく
 どしゃ降りの 一車線の人生
 凍えながら 二人共が
 二人分 傷ついている 教えてよ
 もしも明日 私たちが何もかもを失くして
 ただの心しか持たない やせた猫になっても
 もしも明日 あなたのため何の得もなくても
 いえるならその時 愛を聞かせて」


・ファイト!

「私 本当は目撃したんです 昨日電車の駅 階段で
 ころがり落ちた子供と つきとばした女のうす笑い
 私 驚いてしまって 助けもせず叫びもしなかった
 ただ怖くて逃げました 私の敵は 私です
 ファイト!闘う君の唄を
 闘わない奴等が笑うだろう
 ファイト!冷たい水の中を
 ふるえながらのぼってゆけ」


・with
「生まれるまえに僕は夢みた
 誰が僕と寒さを分かち合ってゆくだろう
 時の流れは僕に教えた
 みんな自分のことで忙しいと
 誰だって旅くらいひとりでもできるさ
 でも、ひとりきり泣けても
 ひとりきり笑うことはできない
 with そのあとへ君の名を綴っていいか
 with 淋しさと虚しさと疑いとのかわりに
 with そのあとへ君の名を綴っていいか
 with 淋しさと虚しさと疑いのかわりに
 with・・・」


・空と君のあいだに
「空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る
 君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」
たまたまmixiで文通している子から手紙が届いて、彼女も中島みゆきが好き(あ、言うの忘れてた。私は中島みゆきさんのファンです)で、彼女が一番好きな歌は「空と君とのあいだに」で、「ファイト!」も好きといってて、私もそうだなぁって思って、YouTubeでいろいろ見ていた。
そうしたらふと、思い出した曲が。「二隻の舟」。
あらためて歌詞を見ながら曲を聴いていると、なんだか涙が止まらなくなった。



おまえとわたしは たとえば二隻の舟
暗い海を渡ってゆくひとうひとつの舟
互いの姿は波に隔てられても
同じ歌を歌いながらゆく二隻の舟

のあたりなんてある意味平和なんだけど、私がドキッとしたのは

(引用開始)
敢えなくわたしが波に砕ける日には
どこかでおまえの舟がかすかにきしむだろう
それだけのことでわたしは海をゆけるよ
たとえ舫い綱は切れて嵐に飲まれても
時流を泳ぐ海鳥たちは
むごい摂理をささやくばかり
いつかちぎれる絆 見たさに
高く高く高く

おまえの悲鳴が胸にきこえてくるよ
超えてゆけと叫ぶ声が ゆくてを照らすよ
きこえてくるよ どんな時も

お前の悲鳴が胸に聞こえてくるよ
超えてゆけと叫ぶ声が ゆくてを照らす

難しいこと望んじゃいない
有り得ないこと望んじゃいないのに

風は強く波は高く 闇は深く星も見えない
風は強く波は高く 暗い海は果てるともなく
風の中で波の中で たかが愛は木の葉のように
わたしたちは二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの
わたしたちは二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの
わたしたちは二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの
(引用終了)

元気だった頃は、なんとも思わなかった
「難しいこと望んじゃいない
 有り得ないこと望んじゃいないのに」

とか、
「風は強く波は高く 闇は深く星も見えない
 風は強く波は高く 暗い海は果てるともなく
 風の中で並みの中で たかが愛は木の葉のように
 わたしたちは二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの」
など、

ああ、やっぱり所詮私はひとりなんだなぁ、と。
やっぱりこの苦しみ、辛さ、不安、分かってもらうのは無理なんだなと。

ずっと「分かってもらいたい」と思っていたけれど、もうそれは叶わない夢なのかもしれないと、この曲を聴いて思ってしまった。
そのくらい「ずし~ん」とくる曲。

YouTubeをみながら号泣する私。
でもたまには思いっきり泣いてもいいよね。

月曜の診察で薬が増えたけど、あまり変わらない。
主治医には「中島みゆきを聴きたくなったらすぐに言って」
↑ヤバイサイン
(どうやら入院前はみゆきさんばかり聴いてうつが悪化し続けたらしい)
と言われてて、入院中から一切聴いていなかったけど、今あらためて聴いてわーわー泣いている。もう数曲聴いて、頓服飲んで寝ようかと思ってる。
わざわざ自分で傷口に塩を塗るようなことをしているような気もするけど、どうしても聴きたいのだからしょうがない。夫の夕飯はあるから心ゆくまで浸ろうかな。
いつもなら午後なら元気いっぱいになるのに、何故かだんだん調子が悪くなってきた。
とりあえず不安時の頓服セロクエル2錠をのみ、これは違反なんだけどヒルナミン(不眠時の頓服)を飲んで横になろうと思う。
(本当はもっと沢山飲みたかったけどODになっちゃったら今の主治医に見捨てられてしまうので何とか踏みとどまっている→やっぱり我慢できなくてジプレキサ5mg飲んじゃった。このくらいならバレないだろう)
夕飯の用意、できるかな?
ちょっと休んで元気に戻れますように・・・
久しぶりに大学時代の友人へメールをしたら、かなりネガティブな返信があった。
何度かメールをやり取りしている間に「死にたい」「どうやったら死ねるの」という発言が。私はまず第一に「そんなに簡単に死ぬことなんて出来ないよ」と。普通なら「死んじゃだめだって」と言うところだろうが、彼女の気持ちが痛いほど良く分かったのであえてそういう回答をした。
・たかだか5Fくらいから飛び降りたって死なないよ(飛び降りた子が入院しに来てた)
・リストカットやアームカットは傷が残るだけで死ねない
・どうしても飛び降りたかったら高層階が狙い目だけど、そういうところは飛び降りれないように柵がしっかりしている
・川に飛び込んでも浮いてきてしまうか、目立つから誰かに助けられて救急車で運ばれるだけ


で、死ぬときくらいは他人に迷惑かけないで死のうよ。と言った。
電車に飛び込んだら莫大な料金を家族に請求されるという。
そもそも身内が自殺すると家族はかなりの確率でうつになる。それもなかなか治らない。

彼女には子どもがいる。夫とは別れていわゆるシングルマザーってやつだ。
そんな状態であんたが死んだら、確実に子どもはうつになるよ、それは可哀想すぎない?と。
親がうつになるのは別にこの際構わない。でも子どもがうつになるのは可哀想すぎる。

入院していた頃、中学生が入ってきた。
腕は手首から上腕まで切り傷でボロボロ、他人とおしゃべりも満足にする元気も無い。ひたすら自室に引きこもっていた。
あの子と彼女の子どもがダブったんだ。


その子、私が退院してすぐの通院時に、病院の廊下ですれ違って、挨拶してきた。
「退院が決まった」と。
そう、私なんかと話しをしようと思えるようになったくらい元気になったんだ。
退院がめでたいというのもあるけど、こうやって自分の知っている人と話をしようと思えるようになったのが、良くなった証拠なのかもしれない。本当よかった。


話がそれてしまった。
入院して仲良くなった人の何割かは夫に自殺されたり、先立たれたりした人だった。
こればっかりは解決法が無いのが現実で、ゆっくり時間をかけて心の整理をして「忘れる」のではなく「思い出」に出来る日が来ることをひたすら待つしかないようだった。
だから、彼女が死んだらまず子どもがうつになって、それも軽いものではなく、入院しなくてはならないくらい重いうつになってしまい、退院してもその辛さなどは無くなることはなく、一生子どもの心に辛い思いを残してしまう。
そんなことする彼女はあまりにも自己中だという話をした。

だから、ちゃんと精神科(心療内科)にかかること、仕事は休職すること、うつになったきっかけ(別の科の病気)を治すように言った。

さすがに何年もうつ病やってる私からのメッセージは彼女に届いたらしく(むしろ勇気付けられたと言ってくれた)、とりあえず大学病院へ行ってみる、という返事がきた。

大学病院へ行けと言ったのは私。
3回目の入院を経験して分かったのは、他科の診察もしてくれる総合病院(大学病院など)はとても便利だった。ましてや、彼女のように元々別の病気にかかっていて、それの治りが悪くてうつになった人ならなおさら。後は単純に普通のクリニックよりレベルが上というか、いい先生が揃っている確率が高い。

ということで、大学病院へ行った彼女は精神科で「4月まで空きなし」と言われて、本来の病気の方も「別の病院を紹介しますから、そちらへ行ってください」と言われたとか。

私はとりあえず精神科の4月の予約は入れておいて、別のメンタルクリニックを探して行くようにと。本来の病気の方は私はよく分からないからとりあえず指示に従った方がいいんじゃない?と答えた。

で、メンタルクリニックに行ってゾロフトとロヒプノールが処方されたと。
まあ最初だしこんなもんだろう。
不安に思っている彼女に「もっと強い薬は沢山あるからこれが効かなくても大丈夫だからね」と言うと妙に安心した声で「よかった~」と。そして「うつ病30代さんってこんな辛い思いを何年もしてたんだ、すごい!!私なんてまだ3ヶ月くらいなのに」と。
そうか、3ヶ月か。先手必勝で早く回復するかもしれないな。


辛くなったらいつでも連絡してきていいよと言っておいた。
この病気、なってみないとわからない辛さが山ほどある。
3回目の入院をして良かったことは友達が沢山出来たこと。それも、メールや電話、お茶やご飯を食べに行くような関係の友達。
私は病気になってから引越しをしてきたから友達なんて近場リアルにいなかった。だからmixiなんかでその時々の辛い気持ちとかを書きとめてきたんだけど、本当は声にだして「分かるよ」って言ってくれる人、本当に分かってくれる人が欲しかった。で、入院してそういう友達が出来たんだ。
だから彼女ともそういう関係でしばらくはありたいと思っている。
3ヶ月のうつ状態だからすぐに治るような気もするけど、辛いときは辛いわけで。