日本赤十字社創立記念日 | ペコちゃん

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5月1日は「日本赤十字社創立記念日」です。1877年(明治10年)のこの日、佐野常民(さの つねたみ)(1822~1902年)、大給恒(おぎゅう ゆずる)(1839~1910年)らが赤十字社の前身となる「博愛社」を設立し、西南戦争の負傷者を政府軍・西郷軍の区別なく救護しました。

設立の際、政府に申請を出しましたが、敵味方の区別なく救護を行う博愛社の精神が理解されず、許可されなかったため、有栖川宮(ありすがわのみや)征討総督に直接請願書を提出してやっと政府の許可が下りました。 
1886年(明治19年)11月15日に日本政府がジュネーヴ条約(赤十字条約)に参加したことに伴って、翌1887年(明治20年)5月20日に「博愛社」から「日本赤十字社」と改称、万国赤十字社同盟に加盟しました。
西南戦争において最大の激戦地となったのは、現在の熊本県植木町の田原坂(たばるざか)一帯であり、日本赤十字社(博愛社)の発祥の地は、熊本であるとされます。
熊本県玉名市岩崎にある玉名女子高等学校の敷地内に「日本赤十字社発祥之地」という石碑が建てられています。この場所は、西南戦争の時に臨時の県庁が置かれていた場所です。

一方、博愛社の本拠は、現在の東京都千代田区富士見2丁目にある東京逓信病院の付近にあった桜井忠興(さくらい ただおき)(1848~1895年)邸であり、この場所に「日本赤十字社発祥地」という木碑が千代田区によって建てられています。

ところで日本赤十字社と言えば、天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは4月1日、日本赤十字社に入社されましたね。初出勤された愛子さまは、ネイビーのスーツ姿で、同期の新入職員とともに社長から辞令を受け取られました。


配属先はボランティアの育成などを担当する青少年ボランティア課で、早速社会人としての歩みを始められています。今後は皇族としての活動と仕事の両立を目指し、常勤の嘱託職員として公務などのない日に勤務される予定です。

あと日本赤十字社と言えば「献血」ですね。私は貧血気味なので献血は一度も協力したことがありません~なので偉そうなことは書けないのですが、1974年(昭和49年)に民間商業血液銀行が預血制度を廃止した事で全てを献血で確保する体制が確立されました。

以前テレビで東京の献血ルームのサービスが充実しているのを放送していてビックリしました~漫画が沢山置いてあって、お菓子、ジュースなどが飲み放題でサービスが充実しているため、定期的に献血に通う人もいるのだそうです~

また東京の新宿東口献血ルームは日本一献血者数が多い献血ルームで、平日で200人、休日には300人もの人が献血に訪れてくれるのです、私は自分が献血出来ないので、今回この事実を知って
人間の暖かい心に触れてホッとしました~

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献血した後に休憩ルームに移りますが、お菓子やお茶、ジュースなど自由に食べて献血をした人の気分不良を軽減させるために感謝の気持ちでご用意下さっている様です。

これは東京の献血ルームのお話ですが、他の地域でもこの様な待遇で迎えて下さったら、気分良く献血に協力できるのではないでしょうか?


また日本赤十字社では海外、特に直近ではウクライナ支援にも力を注いでいます。2022年2月24日以降、ウクライナ各地で戦闘が激化し、また多くの人々が、周辺国(ポーランド、ルーマニア、スロバキア等)に避難するなど、極めて深刻な人道危機が発生しました。
 

ウクライナ赤十字社は、首都の中心部にあった本社機能を郊外に移し、ボランティアと職員の安全の確保に努めつつ、地下鉄や防空壕に避難した人々に食料や必要な救援物資を配付。
 

国際赤十字は、ウクライナ国内及びウクライナから周辺国に流入する多くの避難民の人道ニーズに対応するため、国際社会に緊急支援を要請しました。

  
支援の最前線では、現地の赤十字社がボランティアを動員して、水、食料、衣類、寝袋などの生存に不可欠な支援をはじめ、医療や心理社会的支援(こころのケア)、安否調査などの活動を展開しています。
 
近年のコロナ禍における献血者の安定的な確保は、日本を含む世界中の多くの国々で課題となっています。これを機に、献血に対する関心を高めて、また世界に貢献する日本赤十字社の取り組みに心からの敬意を表したいと思います~
 
本日も来て下さって読んで頂きありがとうございました、心より感謝しています。