女子マラソンの日 | ペコちゃん

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4月16日の記念日は「女子マラソンの日」です。1978年(昭和53年)のこの日、東京・多摩湖畔で日本初の女子フルマラソンの大会「第1回女子タートルマラソン全国大会」が開かれました。

多摩湖畔を3周するコースで、参加者は最高齢71歳を含めわずか49人でしたが、初めての女子マラソンということで、沿道には10万人を超える大観衆が集まりました。優勝者は横浜の主婦・外園イチ子さん(37歳)で、タイムは3時間10分48秒でした。

主催者は、中高齢者の健康保持増進を目的として1973年(昭和48年)に設立された公益社団法人 日本タートル協会。団体名に長生きの象徴である亀(タートル)が付いているように、大会も「スピードを競わない(亀のようにゆっくりでよい)」が大きなコンセプトでした。

「タートルマラソン(turtle marathon)」は和製英語で、健康維持や体力づくりを目的として、ゆっくりと走るマラソンを意味します。

「第1回女子タートルマラソン全国大会」のコースとなった多摩湖の周遊道路の約13.6kmのほとんどの部分を東大和市が占めていたこともあり、日本初の女子フルマラソン大会の開催地として歴史を後世に伝えるため、2013年(平成25年)度に東大和市は記念碑「水の精」像を建立し、また記念事業を実施しました。

「マラソン大会」の歴史は何と紀元前にさかのぼります~紀元前450年9月12日、ペルシャの大軍がアテネを襲いマラトンに上陸したのを、アテネの名将ミルティアデスの奇策でこれを撃退し、フェイディピデスという兵士が伝令となってアテネの城門まで走りついて、アテネの勝利を告げたまま絶命したと言われています。

1896年(明治29年)にアテネで第1回オリンピックが開かれるに当たり、この故事を偲んで、マラトンからアテネ競技場までの約40kmの競走が加えられ、初めての「マラソン競走」が行われました。

【距離が42.195kmの由来】
1920年(大正9年)の第7回オリンピックまでは距離の統一はされておらず、約40kmであればよいとされていました。しかし、1924年(大正13年)の第8回パリオリンピックから規格統一が検討され、その際に1908年(明治41年)の第4回ロンドンオリンピックのマラソン距離42.195kmが採用されて、現在に至ります。


第4回ロンドンオリンピックでは、当初、ウィンザー城からシェファードブッシュ競技場までの26マイル(41.843km)の予定でした。しかし、王妃アレキサンドラがバルコニーから見えるように「スタート地点を宮殿の庭に」などの要望で385ヤード(0.352km)延びたという逸話があり、結果的に26マイル385ヤード(42.195km)となりました。


さて今年はフランスで「パリ2024オリンピック競技大会」が開催されます~日本陸連は、「東京2020オリンピック競技大会」のマラソン日本代表選手選考と同様に、「パリ2024オリンピック競技大会」マラソン日本代表選考競技会として、2023年秋に「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」を開催しました。

日本のマラソン女子からは、鈴木優花選手、一山麻緒選手、そして前田穂南選手がパリに挑みます。出場ランナーの皆様には、パリ五輪で、また私達に感動を与えて欲しいなと思っています~

本日も来て下さって読んで頂きありがとうございました、心より感謝しています。