甲子園での名勝負ベスト10 | ペコちゃん

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8月13日は「日本初のスポーツ中継が始まった日」です。1927(昭和2)年8月13日、大阪放送局(現:NHK大阪放送局)が、第13回全国甲子園大会で大阪放送局が開始したラジオ中継は、日本初となるスポーツ生中継となりました。

 

ちなみに第1回全国中等学校優勝野球大会は1915年(大正4年)8月18日、大阪の豊中球場(豊中グラウンド)で開会しました。

ちなみに「野球」は、英語のベースボール(baseball)を指しますが、明治期に第一高等中学校(現在の東京大学教養学部)の野球部員であった中馬庚(ちゅうまん かなえ)さんという方が作った和製漢語で、「Ball in the field」という言葉をもとに「野球」としました。
 

第10回から甲子園球場が会場になり、1948年(昭和23年)から全国高校野球選手権大会となりました。現在では「夏の甲子園」「夏の高校野球」「夏の選手権」などとも呼ばれています。
 

 

 

そして今年もまた、高校野球・夏の甲子園大会が開幕~連日、熾烈(しれつ)な戦いが続いています。そこでここからは高校野球の聖地・甲子園での、春・夏を通じた名勝負「ベスト10」を選んでいきたいと思います。

(1)甲子園名勝負|球史に燦然(さんぜん)と輝く熱戦:松山商vs三沢
第51回(1969年)大会決勝:松山商(愛媛)0 – 0三沢(青森)

全国の家庭にテレビがようやく普及してきた頃、決勝戦で四国の名門・松山商業と東北の新興校・三沢高校が延長18回引き分けの死闘を演じ、松山商業の井上投手と投げあった三沢の太田幸司投手は、全国のスーパーアイドルとなりました。

太田投手は翌日の再試合でも投げきり、投手を交代した松山商が4-2で試合を制しました。再三にわたる攻守もあり、まさに手に汗を握る熱戦として永遠に語り継がれるでしょう。


(2)甲子園名勝負|昭和の怪物・江川が沈んだ:広島商vs作新学院
センバツ第45回(1973年)準決勝:広島商(広島)2-1 作新学院(栃木)

昭和の怪物・江川投手は、地区大会で春夏を通じて相手チームから得点はおろか(140回無失点!)ヒットすら許さず、凄まじい投球ぶりで全国を震撼(しんかん)させました。
その江川投手に、名門・広島商が「ザ・広商野球」でその無失点記録を止め、勝利した試合として有名です。

(3)甲子園名勝負|無名の進学校がまさかの完全試合:前橋vs比叡山
センバツ第50回(1978年)1回戦:前橋(群馬)1-0比叡山(滋賀)

群馬県で「マエタカ」と呼ばれ親しまれている進学校の前橋は、決して高い下馬評を得ていませんでした。
前橋のエース・松本投手は対戦相手の比叡山高校に淡々と投げ、気がつけばなんと投球数78、試合時間1時間35分で、春のセンバツ1019試合目、夏の甲子園大会も含めれば、2442試合目にして、初の完全試合を達成したのです。まさに歴史的な快挙でした。


(4)甲子園名勝負|白熱の死闘18回:星陵vs箕島」
第61回(1979年)大会3回戦:星稜(石川)3 – 4   箕島(和歌山)

和歌山の名門・箕島は延長12回と16回、いずれも星陵にリードされると、土壇場(どたんば)の2死から本塁打で追いつき、18回にサヨナラ勝ちを収めました。
勝ったと思った星陵の一塁手が最後の飛球を転倒で落とすというドラマもあり、「高校野球史上最高の試合」といわれています。


(5)甲子園名勝負|KKコンビの集大成:PL学園vs宇部商
第67回(1985年)決勝:PL学園(大阪)vs宇部商(山口)

まさにPL学園の黄金期・桑田投手、清原選手の「KKコンビ」で全国を席捲(せっけん)したチームは、KKにとっても甲子園最後の夏となりました。
桑田投手は甲子園通算20勝、清原選手は通算13本塁打と、空前絶後の記録と記憶を多くの高校野球ファンに届けました。ファイナルゲームで接戦を演じた宇部商の戦いぶりも印象に残りました。


(6)甲子園名勝負|5打席連続敬遠の衝撃:星陵vs明徳義塾
第74回(1992年)2回戦:星稜(石川)2 – 3 明徳義塾(高知)

後に「ゴジラ」と呼ばれ、プロ入り後からMLBを通じて猛打を欲しいままにした星陵の松井選手が注目された大会でしたが、なんと対戦相手の明徳義塾は5打席連続敬遠という「奇策」により、松井選手の打棒を封じ、この試合に勝利することとなりました。


(7)甲子園名勝負|奇跡のバックホーム:松山商vs熊本工
第78回(1996年)大会決勝:松山商(愛媛)6 – 3   熊本工(熊本)

延長10回裏1死満塁から、元巨人軍の川上哲治選手以来59年ぶりの決勝に臨んだ熊本工の打者はライトに大飛球を打ち上げ、勝利を確信しました。ところが、途中出場した松山商の矢野選手が渾身のバックホーム!本塁で刺したのです。その後松山商は優勝を手にし、「奇跡のバックホーム」として今も語り継がれていきます。


(8)甲子園名勝負|平成の激闘:横浜vsPL学園
第80回(1998年)記念大会準々決勝:横浜(東神奈川)9 – 7  PL学園(南大阪)

常勝・PL学園の全盛期に、平成の怪物といわれた横浜高校の松坂大輔投手が挑んだ名試合です。熱戦は延長17回まで続きましたが、松坂投手が250球完投を成し遂げ、試合終了後には敗者であるはずの上重投手に笑顔があり、勝った側の小山捕手が号泣する場面が見られ、それを見たNHK実況の石川洋さん(当時広島放送局)が「勝って泣く顔があります。負けて笑う顔があります。」と実況し、視聴者の胸を熱くさせていました。松坂投手は決勝ではノーヒットノーランを成し遂げています。


(9)甲子園名勝負|最後の決勝再試合:駒大苫小牧vs早稲田実業
第88回(2006年)大会決勝:駒大苫小牧(南北海道)1 – 1   早稲田実業(西東京)

若い世代でも鮮明な印象がある、延長15回での夏の甲子園決勝・引き分け再試合です。早稲田実業はあの「ハンカチ王子」としてフィーバーを起こした斉藤投手、駒大苫小牧は「マー君」こと、日米のプロ野球で大活躍の田中投手が力投し、引き分け再試合となって早稲田実業が4-3で制しました。


(10)甲子園名勝負|球速160キロ同士のぶつかり合い:大阪桐蔭vs花巻東
センバツ第84回(2012年)1回戦:大阪桐蔭(大阪) 9-2 花巻東(岩手)

今やMLBエンゼルスの二刀流スーパースター・大谷投手と、オリオールズの藤浪投手の投げ合いが大きな注目を集めました。

両者とも後に160キロを計測する速球投手で、身長も190センチ以上と、破格な大型選手同士の対決でした。
大谷選手は藤浪投手からライトへホームランを放ったものの、結局は敗退し、大阪桐蔭はこの試合をきっかけとして春夏甲子園連覇を果たしたのです。


以上100年以上続く、長い歴史と伝統を誇る高校野球・春夏の甲子園大会での名勝負ベスト10を取り上げました~

しかしプロ野球中継は地上波からほぼ消滅、国民的な大衆スポーツから、コアなファンしか取り込めなくなっており、競技人口も右肩下がり。

日本高野連によると、硬式野球の部員数はピークだった2014年が約17万人だったのに対して、2021年は約13万4千人、2割以上も減少しました。

 

そんな中、夏の甲子園大会、全49校が出場し、全国の頂点を目指します。この日の為に必死で練習を積み重ねてきた高校球児達のひたむきなプレーを、テレビ・ラジオを通じて応援しましょう。

 

本日も来て下さって読んで頂きありがとうございました、心より感謝しています。