ザ・戯言

ザ・戯言

第5章 ~社畜街道まっしぐら~

Amebaでブログを始めよう!

考えごとをいくらしても基本的に現在の状況から変化はない。

厳密に言えば変化はするだろうが自分が能動的に変化を起こしているわけではなく、周囲の行動や事態の変化にともなって受動的に訪れる変化のみしか起こらない。


大事なことは、小さくてもいいから変化のきっかけとなりそうな行動を起こすこと、そして一回あたりは短時間でもいいからとにかくそれを継続して習慣化していくこと。


行動する前にいくら考えても自分の経験や成長にはなかなか繋がりづらい。

逆に行動することで考えるべきことが明確になることもあるし、行動してる中でまったく考えないことも不可能に近い。

もし「あー、もっとこれを考えてから始めればよかった」と思ったとしても、それが次への学びになるので基本的に行動することでのマイナスはほぼ無いに等しい。


逆に行動しない場合、人の時間は有限なため死の間際にあれをしておけば、もっとこうしておけば、と後悔ばかりが増えることになるだろう。


小さな行動、そして継続、習慣化ということの積み重ねで人生を前に進めて行くのが現在の不満を切り拓くための最良の手段。

ひっさしぶりの更新。

久々すぎてログインするパスワード忘れかけてた。


久々に自分の過去ブログ読んだらなかなか良いこと書いてあるからやっぱり書き残すのは大事だな。


さて、ブログを更新しようと思ったのはこのnoteを読んで考えを書き連ねたくなったから。


“広義のデザイン“が組織に根付き、“広義のデザイナー“が役目を終える時 -2022年のデザイナー市場動向-



2022年1月に書かれたものだけど最近TwitterのTLでなぜか複数の人が話題にしてて読んだ。


内容自体は素晴らしいんだけどちょっと待て、と思うところも。


というのが、広義のデザインというのが個人単位、組織単位でそんなに浸透しているのか?という疑問。


さらに本文内で広義のデザインの浸透についてのたとえ話でロジカル・シンキングがコンサルのスキルからビジネスマンの教養に変わったというようなことも書かれていたが、自分の周りの環境ではロジカル・シンキングが出来ている人を社内、社外含めそう多くは見かけない。(自分自身もちゃんとできているかと言われると自信ない)


つまりこのnoteを書かれた人の周りは優秀な人が多いからそう感じるのだろうと思われるが、その環境が一般化できるほどに普及してるものなのか?というところに引っかかってしまった。


まぁそういう状態には至ってないにせよ、スキルが無いなら育てればいいとは思うのだけど、誰しもが会社でスキルを磨いて自己実現したいと思っているわけではないという現実が障壁だったりもする。


それこそ昨今ワークライフバランスやウェルビーイングといった考えが世の中で発言力を持っている中で、従業員に求めるべきスキルやマインドを高く設定するのは(とくに中小企業にとっては)かなり難しい状況になってきている。


地方はその傾向が顕著で、マインドもスキルも高い人って経営者層以外でほとんどいないイメージ。


そりゃそうで、マインドもスキルも高ければ地方から都会へ出るか自分で会社立ち上げるんだよね。


人間は環境の生き物だからもともとそういった環境の中にいればそれに染まる人もいるし、それを求めて他から入ってくる人もいれば合わない人は他へ出ていく。

だから都市部と地方では仕事へのマインド面で実はかなり大きな差があると思ってる。


スキルもマインドも高い稀有な地方人材は、経営者じゃなかったとしても最低でも幹部クラスになってることが多いしその後は転職ではなく独立するから有能人材の流動性は少なく、採用するにも育成するにもなかなか困った状況。


そう考えると、属人的な働き方を求めるには企業側での属人的な魅力の打ち出し方が必要で、それができなければ従業員の能力に依存しないよう徹底的に仕組み化するしかないのではなかろうか。


コロナ禍でリモート環境での仕事のし易さは圧倒的に進んだけど、逆に言えばいつでも仕事できる状況が普及して効率化も急激に進み、強い組織が従業員に求める能力も急速に高度化しているような気がする。


この流れだと資本主義的には企業・ビジネスパーソンの格差が広がりやすい状況がどんどん進んでいくだろうと思われるが、少し面白いのはそう言った常識をとっぱらって変なことしてる会社がSNSで急にバズって売上を大きく伸ばしたりすることもあるという点。


これまでの組織論や人材論ももちろん大事なんだけど、やっぱ人は好きなものに対して1番熱くなれるからそういう商品、サービス、環境を追い求めることはこれからの時代ますます大事だよなとも思う。


というかタイトルとあまり関係ない話になってしまったけど自己満ブログだしまぁいいや。

久々に開いたら前回おそらく書こうとして寝落ちした記事の下書きが出てきたけど、まともに書けてるの冒頭の書き出しだけでもはや何を書こうとしてたかまったく思い出せない。


のでそれとはまったく別の話。


最近思うのが人は自分の時間を創造と消費に費やしており、そのバランスは人によって大きく異なる。


仕事は主に創造。


娯楽などは基本的に消費。


で、現代の面白いのがSNSの使い方。

これはたとえば見る専だと完全に消費。

インフルエンサーとかは完全に創造。

消費で得た経験や知見をもとに創造する人もいる。

で、消費から知識などを得ることもできるけど、何かを得るには圧倒的に創造の方が大事。

創造からお金を得たり、人との新たな出会いを得たり、スキルを得たりするわけで。

行動と近いニュアンスかもしれないけど、創造に繋がらない行動もあるから、やはり創造の方がしっくり来る。

別に消費が悪いことと言ってるわけじゃあない。

基本的には消費をもとに新たな創造が生まれるものと思われるから。

創造に繋がる消費を投資と言い換えてもいいかもしれないが、あくまで大枠として消費があり、投資はその中のカテゴリーに過ぎないイメージ。
(金融的な投資はちょっと意味合いが変わってくるので一旦置いておく)

まぁとにかく人それぞれ何に消費して何を創造するか、そして消費と創造をどれくらいの割合で行なうかはみんなバラバラ。

だけど一つ言えるのは消費の割合が多い人よりも創造の割合が高い人の方が高収入だったり人脈が多かったり、なんだか人生楽しそうにしてる。

これは自戒でしかないけど消費してばっかりじゃ何も変わらないから、創造の割合を増やしていきたい。

人から与えられるだけで満足してないで、自分も人に対して与えられるようになりたい。

小さくてもいいから創造に繋がる行動を常に心掛ける is 大事。
2年前の2月に書いたこの記事、感じたことをそのまま書いただけだったんだけど2020年末か21年くらいから西洋占星術でいう「風の時代」という、物質より精神性が重視される時代へ転換期を迎えたらしい。
ちなみにこれまでの物質重視だった時代は「土の時代」といい、産業革命頃から約220年も続いていたそう。
それを知ってやっぱり自分の感じてたことは間違いじゃなかったんだなとあらためて自信を持ったけど、自分自身はまだ旧時代の価値観に縛られてる部分もあり転換というか適合し切れてないようにも感じる。
もっと自由で、常識を捨てて、色々な幸せを認められるように自分を解き放ち、社会的な価値観は一切合切無視して本当に心から自分の幸せを求めることが大事な気がする。
それは道徳的にどうなの?みたいなことも自分が後ろ暗さを感じずに心から楽しい、幸せと感じられるならオッケー、みたいな。
うーん、言語化むずかしいな。。



半年ぶりにしてまたまた自分用の備忘録。


■糖質と太ることの関係性について。


糖質を取る

→ブドウ糖に分解され小腸から吸収され、肝臓に取り込まれる

→グルコース(血糖)として血液から各組織へ運ばれる

→1日分の活動量400〜500gはグリコーゲンとして蓄えられる

→それを超えた分は脂肪組織に運ばれ蓄えられる(9800g,68600kcal,活動量にして40日分蓄積可能)



■インスリンの役割


糖質を摂取する

→血糖値が上がる

→血糖値を下げるためインスリンが分泌される

→糖を各細胞へ取り込むための運び手が呼び出される

→筋肉、肝臓にグリコーゲンとして蓄えられる

→余った糖はインスリンが脂肪細胞に蓄えるために同様に運び手を呼び出し脂肪として結合される



■糖質制限とカロリー制限


厳格な糖質制限をする際にカロリー制限も行ってしまうのは逆効果。

エネルギーに変換できるものが十分に摂取できないと身体は省エネモードになり、糖質を摂取すると前以上に太りやすくなる結果に。

糖質制限する際はエネルギー量の確保が重要。



ここ2年くらい夕飯の主食を厚揚げに置き換えるというめちゃくちゃゆるい糖質制限してたけどあらためてどうしたら痩せやすい体質になるか、太りやすい体質になるかをちゃんと学んで頭の隅に置いておきたい。


厳格な糖質制限はしたくないけど効果が出ないならやる意味がないし筋肉も効果的につけたい。


あとでタンパク質のことも調べよ。

だいぶ久しぶりだけど相変わらずメモ書きレベルの思い付いた話。

ちょっと古いけど大坂なおみが全米オープンで人種差別の犠牲になった(とされる)黒人の名前をプリントしたマスクをしていたことについて。

当時も話題になってたけど個人的にはあまり良くは思わなかった。

BLM運動に関してはそれを理由に他の人たちの人権が蔑ろにされているように感じてあまり賛同できなかったことと、スポーツの世界、少なくともコートの中には政治を持ち込んでほしくないという個人的な感情から。

自分のこの意見に対しても色々な反応をする人がいるとは思うけど、それも含めて正しさというのは絶対的な答えがなく、立場が変われば変化し得るものだし、一つだけしか存在してはいけないものというわけでもないのだと思う。

大坂なおみが黒人差別に対してあのような形で行動を起こすことは彼女にとっての正しさであったならそれは認める必要がある。

でもだから上記のように自分の感じたことを言わずに飲み込むのも違って、それは違うと思うという感情を持つ、あるいは意思表示することも自分にとっての正しさであり、その二つは矛盾せずに存在できるんじゃないだろうか。

要は色んな正しさがあっていい、それを批判する正しさもあっていい、それが多様性なんじゃないかと。
(ただし詐欺や殺人などの明確に違法な行為は勿論除くし、批判と悪意は混同してはいけない)

人の言動にまったく影響を受けない人はいないわけだから色んな人と関わる中で自分の正しさを作り上げていけばいい。

世界のほとんどの人にとって個人の意志とは無関係に世界は進み変化していく。

そんな中で自分の正しさにだけこだわるのではなく、色んな人と関わりを持ち、異なる考えや意見に触れることで自分をアップデートし続けることが心の健康に繋がるのではないかなと。

ネットで遠くから誰かの悪口を言っても幸せにはなれないのだから、身近な人や社会に優しく寛容でいられる人が増えると少しだけ素敵な世の中になるんではないかな。

そのためにはまず自分が身近な人にそう接するよう心がけ、少しずつその輪を広げていくこと。

まぁそれも一つの正しさでしかなくて絶対ではないのだから肩の力を抜いていこう。
自己肯定感の高低は幼少期に親や周りから褒められてきたか、けなされてきたかに大きく影響される。

また、幼少期を過ぎてからも周囲の人に認められ、成功体験を重ねることで自己肯定感を高めていくこともできる。

自分の場合、子供の頃からかわいいかわいいと言われて育ってきたし、勉強もできた。

仕事を始めてからも苦悩や失敗はあったものの、いくつか成功体験もあるし周囲からもわりと評価されてきた。

そのため、外見に関しても能力に関しても、自己肯定感は高い方だと思う。

そして自分のことを好きかどうかと聞かれたらあまり間を置かず「好き」と言えるくらいには自分好き。

しかし自己肯定感というのはどこかの分野で高めれば他のすべての分野において高められるというものでもない、ということに今更気づいた。

というのも、女性と長く付き合っていくうちに、自分のわがままさに自分で嫌気が差すことが度々あるものの、相手が受け入れてくれた場合、
「なぜこの子はこんな性格がいいのに自分なんかのことを好きでいてくれるんだろう?」
という疑問が必ず湧いてくる。

これに対する正解としては、その理由を探すことよりも自分自身が彼女のためにしてあげられることを考えて実行し続ける、つまりごちゃごちゃ考えず愛せということだと思うんだけど、それは今回は置いておく。

上記のような疑問が湧いてくるそもそもの理由として、自分は自分の「内面(性格)」についての自己肯定感が低いのだと気付いた。

自分は自分のことを性格が悪いと昔から思っているし、もういい歳なのに結婚していないのも性格に難があるからだと考えている。

見た目や仕事の結果、能力などを褒められたことは何度もあるものの、性格的な部分について褒められたことはあまり思い出せない。(面白いは自分にとって性格への褒め言葉ではない)

むしろよく言われるのは「意外と毒舌だね」という言葉。

自分では毒舌だと思っていないものの、そもそも見た目が優しそうに見えるらしく、でも思ったことをわりと素直にそのまま口に出してしまう方なのでこれは何回も言われてきた。

自責の記事でも書いたけど、自分は基本的に何か上手くいかない場合、自分に原因を求める。

たとえば、
結婚願望は強くないものの一応ある、でも結婚できていない→自分に原因がある→性格が悪い
という風に考えてきた。

これが自分は性格が悪いという刷り込みを年々強力にしていき、歳をとるほどに内面に関しての自己肯定感が低くなってきているのかもしれない。

たぶんハタチ前後の頃は自分のことを性格が悪いとは思ってなかった気がするし。

内面的な部分を根本から変えるのはかなり難しいけど、自分の振る舞いを変えることで周りからの印象は変えられる。

それと「自分は内面への自己肯定感が低い」ということをしっかりと自覚したうえで、必要以上に自分を卑下しないように心がける。

やること自体はシンプルなはず。

やるべきことをやる、自分を責めない、周りに優しくする、それだけ。

自覚して心のクセを矯正せねば。
人は1人では生きられない。

何かが上手くいった時、それは周りの人の協力や支えがあったからこそ。

しかし自分の実力や努力の結果でもある。

自分の実力だと自惚れてはいけないけど、全てが周りの人のおかげと謙虚になりすぎてもいけない。

周りの協力があり、自分の実力を発揮できたり努力が実ったからこそ上手くいった。

どちらかではなく両方が重要。

だから、

-周りの人の協力を得られるように振る舞うこと
-自分自身も周りの人を支えたり協力すること
-自分自身で努力して実力をつけること

三つすべてを怠ってはいけない。

逆に何かが上手くいかなかった時も同じこと。

自分の実力不足もあるし、環境が良くなかった、タイミングが悪かった、周囲の協力を上手く得られなかった、色んな要素の合わさった結果である。

自分だけを責めてはいけないし、周りだけを責めてもいけない。

反省して改善できることを改善していく。

人間、自責か他責のどっちかに偏りがちだから意識したうえで両方をバランスよく考えられるように矯正する。

自分の場合は上手くいった場合もいかなかった場合も自責によりがち。

上手くいっても自惚れないように気をつけること。

ダメだったとしても責任を感じすぎず早めに切り換えること、ただし反省と改善は必ずする。

上手くいった場合もそれで終わりじゃなく、もっと良い方法はなかったか、反省と改善する癖もつけたい。

という今日の備忘録。
前回の続きのような話。

前回これからは心の時代じゃないかと思ってるという話を書いた。

で、またふと思いついたので。

今の社会は貧富の差が拡大してきてて、いわゆる“中流”が減り、富める者はより豊かに、貧しきはさらに困難な状況になってきている。

これはお金の話だけど、心に関しても貧富の差が徐々に拡大してきてる気がする。

理由の一端は、各種SNSや5ちゃん(旧2ちゃん)などの、顔の見えないコミュニケーションの場が広がっていること。

Twitterなどでいわゆるクソリプを送るとか、こういうブログなどのコメント欄で誹謗中傷するとかは、明らかに心が貧しい状態になってる人。

心に余裕がないからこそ、誰か知らない人を傷つけ、見下すことで心の安定を得ようとしているのかもしれない。

でも実際にはそれは逆効果で、そんなことをしても決して満たされることはなく、同じことを繰り返せばどんどん心が貧しくなるだけ。

心の状態を豊かにするためには、自分のできる範囲で人を助ける、人に感謝する、その感謝を伝える、といったことをしていけばいい。

簡単なようで実際やろうとすると初めのうちは恥ずかしかったり変なプライドが邪魔したりして結構難しかったりする。

でもこれを素直にやるだけで心の状態は絶対良くなる。

で、自分で意識して行いを変えない限り、心が貧しい人はさらに貧しく、豊かな人はさらに豊かになっていき、心の格差はどんどん広がっていく。

そうすると心の貧しい人は同じように貧しい人同士のコミュニティを作り、豊かな人は豊かな人同士のコミュニティが作られていくことで、心の豊かな人と貧しい人の二極化が進行していきそうに感じてる。

スマホに時間も心も蝕まれている状況では心は満たされることはない。

無茶苦茶な言い分かもしれないけど、スマホ中毒の人はスマホを捨ててガラケーにした方が心が豊かになり幸福度が上がるかもしれない。

そして最低限の収入は必要ではあるものの、富の豊かさと心の豊かさはイコールではない。

資産があっても心が貧しい人はいるし、暮らしに余裕はなくても心が豊かな人もいる。

自分が幸せに感じることは何かを見つめ直し、自分の行動が正しい行いかどうかを常に自問自答するように心がけたい。

最後に古代ギリシアの哲学者アリストテレスの名言で、個人的に好きな言葉を貼っておきます。

ハープを演奏することによってハープ奏者になる。
 それと同じように、私たちは正しい行いをすることによって正しい人間になり、
 自らを律することによって自制心が身につき、
 勇気ある行動をとることによって勇敢になる。」