Episode1では、2011年03月11日津波到達の様子などをお伝え
しましたが、その続きを。
当時、あの工場で作業中だった私達は、機械や工具類をそのまま
置き去りにして、東京に戻るしかありませんでした。
工場に入場許可が出るのを待って、2011年04月07日にあの現場へ
と向かいました。
あの日のまま、時間が止まっていました。
この工事写真用の看板には、あの日の作業内容が書かれて
おり、消されることなくそのままでした。
つまり、現場は大変な状態が今も続いている証でした。
この建物の入口の階段です。この2段目くらいまで津波が
到達した跡が残っています。
建物を出て、ふと足元を見ると 「 蒲公英 」 が咲いてました。
地震も津波も自然のものですが、この蒲公英も自然。
改めて強さを実感しました。 ただ、この蒲公英は日本の古来
の種ではないのかもしれないですが、、、。
今度は隣の建物。
見上げると、当時のあの激しく地面が揺れている時に、この
高ーい所で作業をしていた人が数人いたんです。工具か何か
が 「ガチャーン!ガチャーン!」 と大きな音を立てて落ちていき
揺れが治まるまでにはかなりの時間がかかりましたが、その
時まで何かに掴まっていた作業員の数名が慌てて降りてくる
のが見えたんです。この現場では地震による死者は出ては
いないと聞いています。(良かったぁー)
この後、私達二人は、置き去りにしていた機械や工具を車に
積み込んで、明日(2011年4月8日)の現場(仙台)へ向かうの
ですが、その前に当時よくお世話になっていた松川浦の定宿
で釣り宿「賀都屋旅館」さんの様子が気になっていたいたので
少し遠回りすることにしました。
工場の門を出て、一つ目の信号を海の方へ少し行ったところ
です。
さらに、海側へ200mくらい行くと、地元のスーパーがありま
した。確か、スーパーシシドだったと思います。
1階部分は根こそぎ持っていかれた感じでした。
この写真は、週刊誌 「週刊現代 2011年04月02日号」の巻末
写真とほぼ同じアングルです。
この後、「賀都屋旅館」さんに行ったのですが、その途中も含
めてカメラを向けることはできませんでした。
津波の恐ろしさというか、水の力の物凄さ、一つ道路を挟んで
海側は壊滅、山側は難を逃れているという現実。 道幅や高さ
距離にして、たった2m位の距離なのに。
この海は、松川浦の内海というか湾です。海苔の養殖も
盛んなところなのですが、津波で流された近くの旅館が所有
するマイクロバスが水没していました。
そのまま、湾に沿って車を走らせると家の手前には、
レジャーボート、家の向こう側には漁船がありました。
ガードレールの上を越えて来たようです。
どのくらいの津波が押し寄せてきたのだろうか?
松川浦を離れ、打ち上げられた漁船から1km位走った
国道6号線バイパスの細田交差点の手前数百mのところ。
また、漁船が。
近づいてみると、この電信柱で止まったって感じ。
津波のパワーは半端ないです。
この付近には、車も流れてボコボコになっていたり、
右側にあったローソンは壊れ、ヤマト運輸の営業所は
しばらくは別の場所に間借りしてた。
この後、細田交差点を右折して、ただひたすらに国道
6号線を北上して、仙台市内へと向かいました。












