2011年03月11日15時56分 とうとう、津波?
守衛さんが「津波が来たーっ。避難してーっ。」と、
叫びながら、走って来てくれました。
車で海側の東南門から出られなくなり、高さ15m位
のこの場所にみんなで避難しました。
海の方を見たら、写真の真ん中より少し上の方、林
がぼーっとしているそのすぐ向こうを、白っぽい塊が
左から右の方へと流れているのが見えました。
たぶんビルか家だったかと、、、。
ただ、我々の少し前に門を出た作業員もいたと思う
のだけれど、無事だったのだろうか?
2011年03月11日15時59分 津波が現実に到達。
足元を見ると、津波がゆっくりゆっくりと、しかし確実
に押し寄せていました。
写真には出ていないのですが、もう少し左上の先に
はトヨタのプリウスが1台止まっていたんです。結構
浸かっていました。
2011年03月11日16時00分 あーあーっ、津波が。
確実に、じわじわと音もなく、静かに迫ってくるのが、
かえって怖かった。
右上のハイエースが我々の車で、手前の左の車が
フィットで、取引先の担当者の車でした。
2011年03月11日16時01分 約2分間に 30m位。
「あーっ、ヤバいなぁ。マフラーが浸かってしまったら、
アウトだよねぇ。」って、ここにいる誰もが、そう思った
に違いない。
と、その時、山側にある国道6号線バイパスに面して
いた、普段は使えなくなっていた門を開けているのが
見えたんです。みるみると水かさが増してきている中
で、「今しかない。」と叫びながら、階段を駆け降りて、
膝下まで津波に浸かりながら、慌てて車に飛び乗り
ました。ドブさらいをしたことがある人ならわかると思
いますが、あの臭いで車は充満しました。
でも、あの時。ここに登っていなかったら、西門が開け
られたことに気がつかなかったんだよなぁ。と思うと、
本当にぞーっとします。
あのプリウスが、なかなか動き出さなくて皆で心配
しましたが、遅れて発進したのを確認して、その後は
皆すっ飛んで行きました。普段は、構内スピードは
30km/hに制限されていたんですがね。
2011年03月11日16時14分 西門を出て北上。
国道6号線バイパスを北へ数百m行ったところにある
交差点。ハイエースの左下に映っていたフィットはこの
段差をすっ飛んで行きました、連絡が付かないと言っ
ていた家族の元へと。段差は15~20cmでしたよ。
我々はこの交差点の角にあるセブンイレブンの地割れ
でひどくなっていた駐車場に止めて、食料とか買えたら
と思いましたが、店内は真っ暗。瓶ものが棚から落ちて
割れ、床は酒の海でした。
2011年03月11日17時41分 JR相馬駅そば。
右側奥の建物が当時連泊していたビジネスホテル、
「相馬ステーションホテル」です。
我々は、地割れの交差点から一旦は西に向かったの
ですが、小さな河川から津波が溢れ出していて、道路
は冠水。再び交差点に戻って、北上するしかありません
でした。行くとこ行くとこ、そこらじゅうの道路が通行止め
になっていて、迂回の迂回の迂回な感じでした。
ラッキーなことにJR相馬駅近くにガソリンスタンドがあり
通常料金で営業していたので、何があるかわからない
状況だったので、とりあえず満タンに。
この写真左は何かのお店で、写真を撮っている右側に
あったお寿司屋さんは無残にも倒壊してました。
2011年03月12日11時27分 翌日の国道6号線。
相馬ステーションホテルで、余震に怯えながらの一夜
が明けました。素泊まりだった我々にも、炊き出しを
提供してくれたんです。温かい味噌汁もありました。
福島の方々は本当に、いい人ばかりですよね。
朝早くまでは、ソフトバンクも繋がりましたが、ドコモは
最後まで使えていました。私はauでしたが最低で全く
ダメ。駅前に公衆電話があったことを思い出して行って
みると、災害用で無料で掛けられました。
最初は他に一人しかいなかったのですが、だんだんと
人が集まりだしたので、とりあえずの連絡先だけにして
代わりました。
この後、ちょうど正午に東京都新宿区の本社事務所へ
と向かうことになりました。原発事故があって、常磐道
は使えなかったので、とりあえず国道115号線で福島
市内へと走り出しました。山越えの115号では、警察・
自衛隊・消防の車と、何十台いや100台超とすれ違った
でしょうか。心の中で、「頑張ってくれーっ」って叫んで
いましたね。ハンドルを握っていたのですが、なぜか
涙が、、、、。群馬・栃木・長野・新潟、遠くは静岡や浜松
ナンバーもありました。
結局、東北自動車道も通行止めでしたので、国道4号
線をただひたすら南下することにしました。道すがら、
ガソリンスタンドは営業しているところが少なく、営業中
のところでも、一定額(2000円、3000円)か、一定量で
しか、販売してもらえない始末。渋滞を巻き起こしてい
ました。ただ、相馬で満タンにしていたのが功を奏し、
関東に入ってから給油するまで何とかもちました。
新宿区四谷に帰ってきたのは 24時頃で,都内に宿泊
する人を送った後に、川崎で一人、横浜市金沢区で
一人送って、私が自宅に着いたのは13日の午前2時
を過ぎていましたね。
都内に入って、上野駅付近を走行中に、実家の兄から
電話が入って来た時は、ホッとして涙がこぼれました。
不謹慎ですけど、面白かったのは、13日の14時頃に
なって、震災当時に送られたと思われるメールや留守
番電話が受信され、そのみんなの慌てぶりったら。
中でも、姉が「原発が吹っ飛んだから、常磐道はダメ
だよ。国道115号線で、福島に出るしかないからね。」
って、その通りに帰って来ましたよと、すぐ連絡しました
けど、久しぶりに笑ったような気がしました。
それにしても、よく地図があったもんだと。
こうして、福島県相馬市から無事に帰って来たのです
が、この話には続きがあるんです。
それは、CM②のあとで、じゃなくて Episode 2 で
お伝えします。 to be continued.






