未だ来日していない大物シンガー・ソング・ライターの一人がニール・ダイアモンドです。

シンガーとして、66年の全米6位の 「チェリー・チェリー」 67年の 「悲しきプロフィール」 など

60年代後半からヒットを連発し、ソング・ライターとしても

66年に モンキーズ に提供した 「I'm a believer」(全米1位) 「A little bit me, A little bit you」(全米2位)が

大ヒットするなどアメリカでは着実に大スターへの道を駆けあがっていました。






$PIPPAPのブログ




69年に 「スイート・キャロライン」 が全米4位となりアメリカでの彼の人気は、

揺るぎないものになったのですが、何故か日本ではヒットしていません。

このジャケットのシングルは、 

ディープ・パープル のヒットでもお馴染みになった 「ケンタッキー・ウーマン」との抱き合わせで 

72年に再発されたものですが、さすがにこの時は日本でもトップ5に入る大ヒットとなり

日本での知名度は一気にあがったのです。



さてと ニール についてはまたの機会に話すとして、この キャロライン は誰でしょう?

実は (最近 ”実は” が多いなあ) 35代米大統領 ジョン・F・ケネディ の娘

キャロライン・ケネディ をモデルにして書かれた歌なんです。

当時 キャロライン は11歳で、雑誌の表紙に載っていた彼女の写真からインスピレーションを得て

書きあげたそうです。

07年の彼女の50歳の誕生日に ニール は招かれこの曲を歌っています。




     Good times never seemed so good

     良い時は、そんなに良い様には見えないものだよ




父を暗殺された彼女に対する優しい心使いが、現れているようではありませんか。










$PIPPAPのブログ





これ羊じゃなくてロバではないか! そうですよ、絵だけ違う裏ジャケット載せてみました ヒツジ


ウイングスとしてのファースト・シングル 「アイルランドに平和を」 に続く72年のセカンド・シングルです。

前作が北アイルランドにおけるデモ隊への発砲事件、いわゆる「血の日曜日」事件を扱った

政治的メッセージを込めたセンセーショナルなものだっただけに

3か月後の次作は ポール もクールダウンのために、子供向けの可愛らしいこの曲を発表したのでしょうね。

しかし、評論家には 「一貫性がない」 とか 「軟弱だ」 とかで評判は悪かったみたいです。

私は結構好きだったんですがねえ。

全英9位、全米28位止まりでしたが、とにかく ”ウイングス” の名前を広めたのは確かです。



ところで歌詞は、我が国でも有名な童謡 「メリーさんのひつじ」 そのままなの知ってましたか?

音譜 メーリさんのひつじ ひつじ ひつじ メーリさんのひつじ かわいいね

というアレです。

ポール は 「娘の メアリー がいつもこの曲を喜んで聴くので曲名に メアリー と付けて

レコーディングしようと思っていたんだ。」 と語っていますので、

メアリー は娘に間違いないですが、歌詞は原曲に サビの部分の



    You could even sing it ! La La La La・・・・・



を付け加えただけなので、原作者の サラ・ジョセファ・ヘイル を作詞にするのが、正しいかと。


バック・コーラスには 妻の リンダ と連れ子の ヘザー そしてもちろん メアリー も参加しております。


それにしても セカンド・ソロ・アルバム名も 「ラム」 ですし、ポール は本当に ヒツジ が好きだったんですね。










72年の ポール・サイモン の初ソロ・アルバムからの 「母と子の絆」 に続く2枚目のシングルです。

ラテン調のリズムと底抜けに明るいメロディーが、とても素晴らしいですが・・・




$PIPPAPのブログ



歌詞が謎だらけですねえ。ミステリーとでもいいましょうか、いろいろ考えるのも楽しいんじゃないでしょうか。




     ママはパジャマのままベッドから転がり出し 警察に駆け込んだ

     パパは状況を理解すると 声を荒げてつぶさに調べだした

     それは法律に違反している 法律違反だぞ

     ママが見たものは 法律に違反している


     僕の名前が出て来る度に ママはうつむいて地面に唾を吐いた

     パパは言った あの小僧を捕まえたら留置所にぶち込んでやる



     だから僕は家を出た 行く当てがあるわけじゃなかったが

     自分の道を自分のペースで歩いている 行き先は分からないけど

     さよなら、ロージー、コロナの女王 また会おう

     僕とフリオと校庭で



     2,3日したら奴等がやって来て 僕は連れ戻された

     でもこの話が新聞に載ると 進歩派の牧師がやって来て

     僕を釈放してくれた 僕等はニューズウィークの表紙に出たんだ



     そして僕は自分の道を歩いている 行く当てがあるわけじゃなかったが

     自分の道を自分のペースで歩いている 行き先は分からないけど

     さよなら、ロージー、コロナの女王 また会おう

     僕とフリオと校庭で




う~ん、ママが見てしまった法律に触れるものとは何だったんでしょうか?

進歩派の牧師は、60年代後半に熱心にヴェトナム反戦運動を展開していた 

ダニエル・ベリガン がモデルらしいとの事です。


しかるに、この様ないろんな説が立てられる訳です。


1 牧師が出て来ることから、ヴェトナム戦争に対する反戦運動ではないか?

2 ロージーなるコロナの女王 というわけが判らないものが出て来る事から ドラッグか?

3 僕とフリオは同性愛だった!?



作者の サイモン に訊いても 

   「僕にもわからない。セクシュアルな何かだとは思うけど

    その何かがどんなものか、はっきりさせる気もなかった。」



という事で答は、人それぞれで宜しいんじゃないでしょうか   (なら、初めから言うなっツーノ)