エウミール・ヂ・アルメイダ・デオダート はブラジルのリオデジャネイロ生まれで

幼少時からピアノと編曲法を学んでいます。

67年からプロ活動を始めて、 ルイス・ボンファ や アストラッド・ジルベルト などの

レコーディングに参加する傍らテレビや映画の音楽にも携わっています。

CTIレーベルを主宰する クリード・テイラー に認められて71年に契約し、

大ヒットアルバム 「PRELUDE」 を72年に制作する事となるのです。






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68年に公開された映画 「2001年宇宙の旅」 の挿入曲として有名になった 

リヒャルト・シュトラウスの 「ツァラトゥストラはかく語りき」 を大胆にジャズ・アレンジした

この曲は、9分を5分に縮めてアルバムからシングル・カットして

73年全米2位のビッグ・ヒットとなり彼の名前を一躍有名にしました。


ジャズ・メンが演奏しているのですが、ロック・ビートにのせてパーカッションもラテンの雰囲気を

醸し出し、ジャンル横断的ないわゆるフュージョンの先駆的作品でした。

アレンジはもちろん デオダート で、プロデュースは テイラー そしてエンジニアは

ブルー・ノートの名エンジニア ルディ・ヴァン・ゲルダー が務めています。



ロックと言っても良い斬新なアレンジと、原曲のあまりにも有名なテーマとあいまって、

ジャズでは異例のポップス部門でのヒットになったのでしょう。

小気味良いカッティングとブルージーな ジョン・トロペイ (G) のソロ

短いけれど若き日の スタンリー・クラーク (B) のパフォーマンス

デオダートのエレクトリック・ピアノのプレイを堪能したければアルバム・ヴァージョンがお勧めです。

ドラムは ビリー・コブハム 、パーカッションに アイアート・モレイラ とビッグ・ネームが参加しています。




そんなに肩肘張らなくても気軽にイージー・リスニング感覚で聴くならシングル・ヴァージョンでしょうね。



ちなみに我が国ではトップ40に入るのがやっとで、たいしてヒットしていません。

当時の日本のポップス界では斬新すぎて受け入れられなかったのでしょう   (>_<)





シングル・ヴァージョン








ミッシェル・ポルナレフ と言えばこの曲が最初に浮かんできますね。

テレビのCMに使われたり、98年日本チームが初出場したサッカー・ワールド・カップのフランス大会で

応援歌として使われたりと、ヒット当時を知らない人でもどこかで聴いた事があると思います。





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この曲もともとフランスでは、69年に 「渚の想い出」 のB面としてリリースされています。

当然ヒットするはずもありません。

日本でも69年に CBSソニー から 「可愛いシェリーのために」 という邦題で発売されていますが、

これもB面であったため、特に話題になりませんでした。

71年に CBSソニー が作った新レーベル ”エピック” の第一弾シングルとして

邦題も 「シェリーに口づけ」 と変えて発売したところ ナンバー1の大ヒットとなりました。

この曲もまた 日本でのみのヒット曲と言っていいでしょう。

このヒットに、当の ポルナレフ が一番驚いたそうです。



   音譜 トゥー・トゥー・プー・マ・シェリー・マ・シェリー


言葉は解らなくても自然と覚えてしまう歌詞は、 ”シェリーにキスをする” なんていう意味かなと思っていましたが、


       みんな、みんな、シェリーにあげる


という意味だったのですね。ちなみに ”口づけ” などとは一言も出てきません。

邦題を付けた人のセンス 凄~い     グッド!










数々ある彼等のヒットの中でも、全世界で日本でだけ独自にヒットした曲です。

65年から2人は、アメリカはダラスでロックン・ロール・バンド ”サウス・ウエスト・FOB” という

バンドに参加していましたが、限界を感じて69年に脱退してデュオを組む事となります。

ジョン・フォード・コーリー は、6歳の頃からクラシック・ピアノを習っていて

ギターやオートハープ、バンジョーもこなします。

ダン (ダン・シールズ) は、ギターに加えサックスも演奏するという才人達です。


デュオになり70年に A&M と契約して2枚のアルバムをリリースしますが、

ファースト・アルバムからのシングル・カット 「New Jersey」 が71年全米103位になるのがやっとで

鳴かず飛ばずに終わっています。





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ところが、セカンド・アルバムに入っていたこの 「シーモンの涙」 は米ではB面だったのですが

日本でA面として発売したところ、72年にオール・ジャパン・ポップ20で6位まで上がる大ヒットとなります。

これにより、彼等の名前は有名になり スリー・ドッグ・ナイト の前座として来日も果たしています。



しかし、米ではサッパリだったので、76年に心機一転 ビッグ・トゥリー・レコード に移籍し

「秋風の恋」全米2位 をはじめ 「眠れぬ夜」 「愛の旅立ち」 「愛こそ証」 など

大ヒットを放ち続け、米での快進撃が始まるのです。



デュオ解散後は ダン はカントリー・シンガーとして、ジョン は俳優として其々成功を収めています。




清涼感の溢れるこの曲、アメリカ人には良さが解らなかったか?

それにしてもA面に持ってきた 日本A&M の人は凄い     合格