(※西フランク国王・ローベル1世の孫)
王朝:カペー朝
(1)「ユーグ・カペー」
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(2)「ロベール2世」
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(3)「アンリ1世」
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(4)「フィリップ1世」
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(5)「ルイ6世」
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(6)「ルイ7世」
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(7)「フィリップ2世」
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(8)「ルイ8世」
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(※ブルボン朝・アンリ4世の祖先)
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(※ヴァロア朝・フィリップ6世の祖父)
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(13)「ジャン1世」
(※ルイ10世が崩御された後に生まれた遺児王。しかし、待望の国王は生後4日で崩御)

(14)「フィリップ5世」
(※フィリップ4世の次男。ルイ10世の弟)
(15)「シャルル4世」
(※フィリップ4世の三男。ルイ10世の弟)
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「シャルル・ド・ヴァロワ」(※ヴァロア伯)
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(※世継ぎがなく、王位は弟のシャルル7世に移る)
(5)「シャルル7世」
(※王太子シャルル=オルラン・ド・フランスは、3歳で薨御。ヴァロア家の直系は断絶)
(※ヴァロア=オルレアン家)
(※世継ぎの男子がおらず、従兄の「ジャン・ドルレアン」の子であるフランソワ1世に王位が移る)
(※ヴァロワ=アングレーム家)
「シャルル5世」(※ヴァロア朝3代国王)
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「ルイ・ド・ヴァロワ」(※オルレアン公)
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「ジャン・ドルレアン」(※アングレーム伯)
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「シャルル・ドルレアン」(※アングレーム伯)
王朝:ブルボン朝
「ルイ9世」(※カペー朝9代国王)
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「ロベール・ド・フランス」(※クレモルン伯)
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「ルイ1世・ド・ブルボン」(※ブルボン公)
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「ジャック1世」(※ラ・マルシュ伯)
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「ジャン1世・ド・ブルボン」(※ラ・マルシュ伯)
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「ルイ・ド・ブルボン」(※ヴァンドーム伯)
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「ジャン8世・ド・ブルボン」(※ヴァンドーム伯)
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「フランソワ」(※ヴァンドーム伯)
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「シャルル・ド・ブルボン」(※ヴァンドーム公)
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「アントワーヌ・ド・ブルボン」(※ヴァンドーム公)
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(※朕は国家なり!) ↓
「ルイ・ド・フランス」
(※父・ルイ14世より先に49歳で薨御。大王太子[le Grand Dauphin] とも呼ばれる)
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「ブルゴーニュ公ルイ」
(※父ルイと同じく、祖父であるルイ14世の在位中に王太孫のまま29歳の若さで薨御)
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「ルイ・フェルディナン・ド・フランス」
(※王太子のまま薨御)
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(5)ルイ16世
(※フランス国最後の絶対君主にして初代立憲君主。お人好しな性格だが、予てよりの財政難に加え、日本の浅間山の噴火 と アイスランド島のラキ山の大噴火 に伴う気候変動に伴う凶作など多難な治世において、
貴族・聖職者から税金を取ろうとして失敗し、特権階級と平民の代表との板挟みに苦しんだ気の毒な王様。
ヴァレンヌ逃亡事件が切っ掛けで革命派によって廃位され、王妃マリ・アントワネットとともに「一市民」として処刑される)
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「ルイ17世」
(※ルイ・シャルル。ルイ16世 と マリ・アントワネットの第2王子。7歳で薨御した兄の後を継いで王太子となり、両親と姉マリー・テレーズの深い愛情によって育てられたが、革命派によって家族から引き離され、幽閉先で酷い虐待を受けた末に「崩御」した。王としてフランス国を統治した実績はないが、後の復古王政では叔父のルイ・スタニスラス・グザヴィエが「ルイ18世」として即位した)
「ルイ15世」(※ブルボン朝4代国王)
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「ルイ・フェルディナン・ド・フランス」
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「ルイ15世」(※ブルボン朝4代国王)
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「ルイ・フェルディナン・ド・フランス」
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(7)「シャルル10世」
(※ルイ16世、ルイ18世の弟。アンシャン・レジームへと回帰する極端な反動政策が災いして7月革命を引き起こし、オーストリアに亡命。フランス国王のなかで唯一国内に埋葬されていない国王)「ルイ13世」(※ブルボン朝2代国王)
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「フィリップ・ド・フランス」(※オルレアン公)
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「フィリップ2世」(※オルレアン公)
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「ルイ・ドルレアン」(※オルレアン公)
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「ルイ・フィリップ1世」(※オルレアン公)
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「ルイ・フィリップ2世ジョゼフ」(※オルレアン公)
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(1)「ルイ・フィリップ1世」
(※7月革命によりオーストリアに亡命したシャルル10世に代わって国王に推戴された。王家の傍流の貴族でありながら自由主義的な思想の持ち主で「中流階級の守護者」としての地位を確立していたものの、図に乗りすぎたのが災いして英国に亡命することになった)
まあ、ルイ9世 から アンリ4世 (※ルイ9世11世孫) までの傍流でも、こんな具合ですから、
北朝第3代・崇光天皇 の 少なくとも 21世孫 以降 の 旧宮家男子 の養子案は、間違いなく内外に「王朝交代」を印象付けることになりますよね(笑)?
ほんまに 男系固執 で大丈夫ですか(笑)!?