

皇祖 が 天照皇大神(※天照大神、天照大御神) という 女神様 であることに関しては、現行憲法の下でも政令として公布された「皇統譜令(昭和22年政令第1号)」に基づき、宮内庁が管理(※法務省も副本を管理)している公的記録にも記載されていることからも今更争う余地はありません。
そして、我が国の皇室の正統性を示す根拠についても、記紀 (※古事記、日本書紀) に求めることができます。

しかし、男系固執 はというと、
天孫 が 天照皇大神 から「神勅」を賜って天下り、その子孫(※男系も女系もへったくれもない) が 日本国の君主(※天皇) となる話を、意図的に無視するのです。
男系固執は、かねてより「我が国のご皇室は他国の王家や元首よりも優れている!」と 国粋主義的 な主張を行っており、
女子差別撤廃 を目指す国際会議の場に於いても、厚顔無恥な主張 を行っておりましたが、いまいち説得力に欠けるのです。
「長く続いてきた」というだけを誇るならば、孔子 の 男系子孫 の系図 には及びません。

神話と切り離して 神武天皇 から語ったとしたら、それだけでは 豪族間の争いのなかで「彦火火出見」がチャンピオンになったに過ぎない わけで、
それだけでは、皇室だけが特別だという根拠としては希薄であり、むしろ 征服者・支配者 としての側面が強調されてしまう矛盾を孕んだものであります。
【アマテラスは実は男!?】




古事記 には 天照皇大神 の 性別 が明記されていないものの、

素戔嗚尊との誓約 の逸話に於いて 角髪(※古代の男性の髪型)に結び直していた(※普段は角髪ではなかった)ことや、機織り部屋で仕事をする描写から、古来より一般に女神として解されていたことから、
「天照皇大神 = 女神」が、日本書紀 による創作と決めつけるのは過言であります。
日本国民 にとって、天照皇大神 は「女神さま」であることが常識であり、
女神さま であると理解しているからこそ、
「天忍穂耳尊は、天照大神の玉を口に含んだ素戔嗚尊から生まれたから、歴代天皇は素戔嗚尊の子孫」
「天照皇大神 と 素戔嗚尊 は姉弟であり、伊邪那岐命を父に持つので男系(※Y染色体?)は受け継がれている」
「皇祖は確かに天照皇大神だが、天忍穂耳尊は結婚して生まれたわけではないから単一生殖はノーカン」
「八尺瓊之五百箇御統(※玉)は、つまり 天照皇大神 の『タマタマ(※睾丸)』の役割を果たしたわけで、そこに祖宗に繋がる男系(※Y染色体?)が詰まっていた」
「初代は神武天皇であり、人皇は男系継承なのだから 天照皇大神 を持ち出さないでほしい」
男系固執 から、これだけの「珍説」が出てくるわけです(笑)。



天照皇大神 が「男神」だったと信じるに至った 男系固執 は、
持統天皇 に対し、殆んど 怨みつらみ としか思えないような評価をしています。
天武天皇 には 皇子 が複数いるにもかかわらず、自分の子である 草壁皇子 と その子孫を 皇位 につけるために無理矢理 即位 し、
記紀 の編纂課程で、天照皇大神 に 自分自身をモデルに投影した「女神」に「でっちあげ」た と言いたいようです。
天照皇大神 が「男神」と解釈される背景について順を追って説明すると、
先ず、伊勢の漁民・磯部氏の信仰する男性太陽神 の存在があります。
このように、日本各地の土着信仰にもとづく太陽神のなかには、男神として伝わっているもの も確認できますが、
天照皇大神 は、稲作と機織りを行う 農耕民族の太陽神 であり、漁民の信仰とはルーツが異なるものでありますが、ヤマト王権 は 伊勢の大神 の存在に着目し、
王権の祭祀に於ける 皇祖の太陽神(※天照皇大神) と同一視し、斎王 を派遣して祭祀を行うようになりました。
そのことから、天照皇大神 が 男神 と誤解される原因につながった と考えられます。
しかし、両者の力関係を見れば論ずるまでもありませんが、
実際には 土着信仰の 男神 が 皇祖・天照皇大神 に取り込まれた形になる ので、皇祖・天照皇大神 が 最初から女性であったことを争うほどのものではありません。
天照皇大神を男神だとする説に乗っかろうとする 男系固執 は、
実際のところ、我が国の「國體」の転覆を目論んでいるとすら思えてきます。
【失われし古代ダンケー文明】




天孫族 を 男性太陽神 を信仰する ツングース系民族 とする説については、彼らの居住する地域が 日本列島に稲作が伝わったルートと全く重ならない 点から見ても有り得ないと言えます。
一昔前は、稲作文化は 華北を経由し、朝鮮半島を通じて伝わったというのが通説でしたが、現在は否定されています。
その証拠に、朝鮮半島の稲作の痕跡が残る古い遺跡は南部にのみ存在し、北部には存在しません。
日本の古代米の稲の遺伝子分析によっても、稲作は朝鮮半島を経由することなく、長江流域から直接、日本に伝来したことがわかっています。
大阪や奈良で見つかった弥生時代後期の紀元前3世紀頃の米のDNA 分析を行ったところ、その種の 遺伝子型(RM1-a、RM1-b、RM1-cの3種類)は 朝鮮半島には存在しない もので、長江流域 の種であることが判明しました。
そもそも、皇室の祖先が 北方の騎馬民族による征服王朝 であるとする説は、出た当初から「珍説」扱いでありました(笑)。

当然、皇室の祭祀は 農耕民族 のもの であり、騎馬民族の特徴は感じられません。
そして、稲作の伝来により習俗も伝わったと考えると、天照皇大神 に影響を与えた 太陽神 がいるとすれば、、、

羲和(ぎわ、Xīhé)
羲和(ぎわ、ぎか、拼音: Xīhé)は、中国神話に登場する太陽にまつわる神である。或いは、伝説上の官吏ともいわれる。神としての羲和は、太陽の御者、若しくは太陽の母とみなされる。官吏としての羲和は、羲氏と和氏の4人に分けられて四方に配され、天文を司ったとされる[1]。
女神さま じゃん(笑)。
男系固執 が 入り込む余地などありませんでしたね(笑)。
古代ダンケー文明 復興の野望、破れたり(笑)!!