ポリティカル・コレクトネス [Political Correctness] が求められる現代では、人種 や 国籍、宗教、性別、性的嗜好 などにおける マイノリティ に対して 不利益 や 不快感 を与えないための政策 が「推奨」されることが多くなっております。
多民族国家・移民社会 の 米国 に於いては、少し前から 政治家 や 企業 が「メリークリスマス」ではなく「ハッピーホリデー」という表現を用い、
キリスト教に於ける祭日である「クリスマス」を、単なる大型連休 に言い換えることによって ユダヤ人 や イスラム教徒、無神論者 などに対して 公共の場で「配慮」する姿勢を見せようとしています。
キリスト教徒 が 総人口の 1% に満たない我が国 では、毎年の クリスマス商戦 に盛り上がってる状況や、
クルィヴィーイ・リーフ 出身 の「ユダヤ系」の 大統領 が、12月25日に「クリスマス」のスピーチ を国民に向けて行っている ウクライナ とは随分と対照的です。
私自身、X(※旧Twitter) をはじめとする米国資本のツール に依存している関係から、米国の急進派リベラルによる独善的な「言葉狩り」は決して「対岸の火事」ではありません。
何より、軽薄で能天気かつ攻撃的な「出羽守」である日本の左翼 は、
現に、欧米 や お隣の韓国 において 既に失敗している試み を我が国に持ち込もうとしていますし(笑)。
学生時代の おぼろげな記憶ですが「ネオナチやレイシストになる者は、家庭環境に問題があり、能力も低い」みたいなことを大学の講義のなかで 左巻きの教授 が言っていたことがあります。
差別が悪とされている (※完全に無くなっていないにしても白眼視されている) 現代 に於いて、
マイノリティ に対する差別を憎んでいる リベラル(※左派) の側から 差別的な主張 が飛び出してきたものですから、その ダブスタ には絶句させられたものです。
そして、そいつを含めて リベラル や 左翼 が醜悪なのは、
手前自身の 差別意識 を 全く恥じておらず、それが 差別 であることすら認めようとしないのです。
あれから、その 社会学的論考 の「ソース」となる論文 を探しているのですが、ズバリそうだと言い当てたものは見つけられなかったものの、
「BLACK LAGOON」の 登場人物 である 黒人の ダッチ が、ネオナチ(※白人至上主義) に対して「貧乏白人」と嘲っているシーンがありました。
実際の ネオナチ や 白人至上主義者、Qアノン なんかにみられる トランピスト のような、粗暴な振る舞いをする連中を見れば、
それも一定の説得力があるように思えます。
無論、ブラクラ の ダッチ は「ラグーン商会」という 東南アジア を拠点に活動する 海賊 の頭目であり、
決して リベラル や 左翼 のような お花畑思想 の持ち主として描かれているわけではないので、そこまで嫌味さは感じられませんが(笑)。
所謂「ネトウヨ」と対立関係にある「目くそ鼻くそ」な奴らが、
自身を正当化するために ステロタイプ な ネトウヨ像 を描いた 気持ち悪いイラスト に見られるような、あの浅薄さ(笑)。
手前自身の差別意識と向き合えない奴ら が、正義面して綺麗事を並べ立てたとしても、説得力は皆無です(笑)。
……それは「愚問」というやつですよ(笑)。
多かれ少なかれ、誰もが心のなかに「差別意識」を抱えているわけで、別に、そこから逃げるつもりはありません(笑)。
マイノリティ の側に立った主張のなかにも 独善 や 間違い は 結構ありますし、
それに対して見て見ぬふりをせず「あなた方は愚かだ」と言ってやるだけの勇気を持たなければならないと思っています。
非難されたり嫌われることをおそれて、下手に媚びても 精神衛生上 良かった試しはありませんし、
気の毒な奴ら は いつまでたっても 気の毒な状況のまま ですからね。