君主制や貴族の制度は、法の下の平等に反するものだとは思いません。

立憲君主制は、政治権力を行使しない不偏不党の君主(※天皇、国王)を『国の象徴』として戴く点に於いて、
選挙の結果によって国民が党派的に分断されたり、結果として差別に直結する可能性の高い民主共和制と比較して穏健的な統治システムであります。

現行の栄典制度に於いて、位階は現にそれを有していた人々を除いて死後贈位される形をとっていますが、
我が国固有の由緒ある栄典制度であることを鑑みて、生前叙階(※一代限りの貴族)も復活させても何ら問題ないと考えています。

また、憲法で国教を定め、伝統宗教が法的に特別な地位が与えられることについても、それが信教の自由を侵害するものだとは思いません。

日本古来の神道思想に基づく皇室の儀式や伝統、近代国民国家を形成する過程で、神社がある種『市民宗教』として果たしてきた役割を安易に否定することはできません。

それでも、私が国家神道や神政連(※神道政治連盟)に対して懐疑的なのは、
それ自体が、戦前の旧内務省をはじめとする公権力の神社への介入と他宗教との妥協の結果によるものであり、戦前の神社が宗教的活動を厳しく制限される結果につながったところにあります。

そのような経緯が忘れられた現代に於いて、呆守が神社に対して政治的な悪影響を与え続け、その『聖域』を穢し続けているからであります。


私は、先祖との繋がりと自身の宗教的なアイデンティティーは 仏教(※曹洞宗) に求めており、
神道 は、皇室の祭祀 日本国民 の「市民宗教」と位置付けています。

祖父が住職だったことから、幼少期の私は寺で過ごすことも多く、
死生観や、生活において「禅」の思想 の影響を強く受けてきましたし、
そこから亡くなった祖父母との繋がりを感じることもできる大切な場所であります。




なので、学生時代に 新興宗教 の信者から「改宗」するよう強要された際には断固拒否しました。

日蓮系の某カルト教団 による「折伏」だったのですが、
道元禅師 が 53歳でガンで亡くなったこと引き合いに、曹洞宗が「邪宗」であることを強調してきたのです。


日蓮上人 も、同時期に興きた伝統仏教宗派の開祖なかでは特別長生きだったわけではなく、
60歳は、当時の平均寿命からいえば長生きと言えなくもありませんが(※道元も同じ)、日蓮もまた、何かしらの病気で命を落としたと見るべきなのです。





 

小林よしのり氏 も、母親の親元が真言宗のお寺だったこともあり、

宗派は違えど、私の幼少期と重なるところがあり、ゴーマニズム宣言にも親しみを覚えたものであります。


しかし「#論破祭り」に参戦してから、小林よしのり氏 や「ゴー宣道場」周辺に注目していると、

とある カトリック信徒 の ゴー宣ファン が、自身の信仰で「疎外感」を感じておられたのを見つけてしまいました。

 


「人権真理教ザビエル派」


これは、非常にマズイと思いました。



  


  

  

  

  

  

  

  

 

 

  

 




部落差別を嫌い、ヘイトスピーチにも反対している 小林よしのり氏 が、

自身のファンに対して クリスチャン という理由で「踏み絵」させるようなことはしないと思っていますし、そんなものは杞憂だと思います。


それでも、さすがに「人権真理教ザビエル派」というのは……。



私が、グッビオのオオカミさん のことが他人事に思えなかったのは、

私自身も「曹洞宗」に対して、先の大戦の歴史観の違いから失望し、離檀 も真剣に考えた時期があったからです。





懺謝文[1]」(さんじゃもん)とは、日本曹洞宗1992年11月20日付で発表した同教団の戦争責任見解と謝罪表明である[2]


懺謝」とは仏教語「悔過(けか)」「懺悔(さんげ)」とほぼ同義。「悔」と「罪」を合わせた語で、仏とその真理に照らして、おのれの罪過を悔い、謝りゆるしを乞うことを意味する。

曹洞宗宗務庁は同教団の近現代における海外開教・伝道の歴史を編纂し、1980年に『曹洞宗海外開教伝道史[3]』を刊行した。 この書籍は、敗戦後35年間を経ての同宗派の海外開教・布教の公式報告書であるが、「本書の内容に、差別思想にもとづく記述が数多く見いだされました。それは民族差別に基づく差別語、さらに軍国主義皇民化政策への無批判な迎合などの箇所であります」などの認識にもとづき、曹洞宗が宗務総長(教団の行政執行責任者)名で、被包括宗教法人・寺院および当該書籍を配布した関係機関に対して、「『曹洞宗海外開教伝道史』回収について[4]」と題する依頼文書を通達した。

「懺謝文」はこの通達の付属文書として表明され、『海外開教伝道史』の自主回収と廃棄処分のための趣旨説明と同教団の歴史認識とくに僧侶と教団の戦争責任と戦後責任を明らかにした宣言的な公式文書である。表明当初は、かならずしも韓国・朝鮮・中国をはじめとするアジア太平洋地域や諸外国に向けて現地言語によって伝達されていたわけではない。

「懺謝文」では、近代および戦時下における曹洞宗の「海外開教」を総括して「仏教を国策という世法に隷属せしめ、更に、他の民族の尊厳性とアイデンティティーを奪い去るという二重の過ちを犯していたのである」と総括し、「われわれは誓う。二度と過ちを犯すことはしない、と」の誓約を表明している。



曹洞宗が、当時の 宗務総長 の権限で韓国に対する懺謝文を建立し、

明らかに「自虐史観」に基づいたそれが、宗門の「公式見解」として事実上「固定化」されてしまっていることを知った際には失望とでもいいますか、
自分が曹洞宗の檀家であることに対しても忸怩たる思いがありました。

これは結局、曹洞宗が海外布教をする都合上、外圧に安易に「迎合」したもの であり、
所謂「宗門の戦争協力に対する謝罪と反省」にしても、国家権力に全責任を転嫁して居直っているようにしか思えないのです。

また、宗門が僧侶に与える影響を考えると、日本国に対するテロや武力攻撃事態が起きた際や、国際平和維持活動において自衛官が「戦死」した際 に、
その「英霊」に対する 追善供養 をボイコットしたり、手を抜くのではないかという「疑念」もありました。

そうなると、自衛官(※予備自衛官)である私には居場所がありません。




結局、皇室を敬愛していた祖父母との思い出と、菩提寺の方丈さま(※住職) との信頼関係から 離檀 することはありませんでしたが、
懺謝文を引き合いに、曹洞宗が「反日左翼の宗教」だと思われてしまうのは、寂しいものがあります。

実際には、そんなことはないのですが。

曹洞宗は、日本でも最大規模の寺院数を誇る伝統仏教宗派 なので、
確かに、共産党に入ったり反日左翼思想に染まった坊主や壇信徒もいますが、これだけ人数が多けりゃ「変な奴」も一定数隠れ潜んでいるものです(笑)。

そして、曹洞宗クリスチャン にも「愛国者」は沢山存在するんです!!