→ジャニーズ問題やLGBT問題にからめて、日本の性の理解の多様性と、15世紀のイエズス会の宣教師であり西洋人のザビエルとは価値観はもちろん違うでしょう。また、ジャニーズ問題には喜多川氏個人の問題と芸能界独特の特殊な環境が作用していると見ています。そこは小林先生に賛成します→
— グッビオのオオカミ (@mLETmslRdsjkmZJ) 2023年8月11日
→私は大航海時代のカトリック教会を否定します。一つにはそれはカトリック(普遍性)に名を借りてはいますが、レコンキスタ後のスペイン、ポルトガルはその異教徒や異民族への差別意識と残忍性を持ったまま侵略しただろうと思います。→
— グッビオのオオカミ (@mLETmslRdsjkmZJ) 2023年8月11日
→ルターやカルヴァンが宗教改革をしたと言います。ルターはカトリックと和議を結ぶ事に成功し、勝利しますがカルヴァンはカトリックに敗北し、残党はスイスやスコットランドに逃れたと言います→
— グッビオのオオカミ (@mLETmslRdsjkmZJ) 2023年8月11日
→カトリックと正教会は東西ローマ帝国からの伝統的な方法で典礼をしています。正教会は長くなるので一旦置きます。
— グッビオのオオカミ (@mLETmslRdsjkmZJ) 2023年8月11日
カトリックは三位一体(父と子と聖霊)の神を信仰します。→
→それは「秘跡」という、礼拝と祝福の形であり、「教会共同体」という聖職者を基礎とした組織の在り方です。
— グッビオのオオカミ (@mLETmslRdsjkmZJ) 2023年8月11日
洗礼、堅信、聖体拝領、告解、病者の塗油、結婚、叙階。の7つ。
→
→古いのはむしろパウロの書簡集だとも言われています。
— グッビオのオオカミ (@mLETmslRdsjkmZJ) 2023年8月11日
マタイは欧州に行かず、中近東で改宗したユダヤ人相手に指導をしていました。マタイはマルコ福音書を元にマタイ福音書を書きます→
→カトリックの教皇は弟子ペトロの後継者が立ち位置となります。だから教皇を神と混同はしません。教皇→司教→司祭と任命と派遣がなされ、教会で典礼が行われます。
— グッビオのオオカミ (@mLETmslRdsjkmZJ) 2023年8月11日
祝福と按手による、聖霊のリレーと言うのがカトリック教会の基本概念で聖体拝領に預かるのは聖霊降臨の系譜に繋がる事でもあります→
→宗教改革以降で私はいくつか興味深いのは、ドイツ北部、オランダ、北欧諸国でプロテスタントが普及し聖書の読解による信仰を通して識字率が上がったと思われます→
— グッビオのオオカミ (@mLETmslRdsjkmZJ) 2023年8月11日
→宗教改革以降の自我主義からドイツ哲学の在り方は随分変わった様に私には思えます。自分とは何か、主権とは何か、内面に関心を深めて行く傾向が増えます。→
— グッビオのオオカミ (@mLETmslRdsjkmZJ) 2023年8月11日
→プロテスタントが全てそうだとは思いませんし、また言いません。
— グッビオのオオカミ (@mLETmslRdsjkmZJ) 2023年8月11日
しかしその中の急進派は確実にそれらの理論の延長線上にあります。→
→所帯が大きく中々重い腰が上がらないカトリック教会(これも今の与野党や医師会そっくりやな)。
— グッビオのオオカミ (@mLETmslRdsjkmZJ) 2023年8月11日
第二次世界大戦後の1950〜1960年代にかけて「第2バチカン公会議」を開きます。典礼の在り方、秘跡の在り方は現代に即した形になりました。→
追記
— グッビオのオオカミ (@mLETmslRdsjkmZJ) 2023年8月11日
関係ないカレーせんべいさんに迷惑はかけれません。
ファンサイトに書き込まずに一個人としてTweetをするにとどめました。
こうして要点を書き出すだけでだいぶ長くなりました。
#ファンダメンタリスト じゃなければ良いと思いますけどね。私は。
— 忍 (しのび)🇯🇵🇺🇦 (@PRIVATE_Shinobi) 2023年8月12日
部落差別を嫌い、ヘイトスピーチにも反対している 小林よしのり氏 が、
自身のファンに対して クリスチャン という理由で「踏み絵」させるようなことはしないと思っていますし、そんなものは杞憂だと思います。
それでも、さすがに「人権真理教ザビエル派」というのは……。
私自身も「曹洞宗」に対して、先の大戦の歴史観の違いから失望し、離檀 も真剣に考えた時期があったからです。
「懺謝文[1]」(さんじゃもん)とは、日本曹洞宗が1992年11月20日付で発表した同教団の戦争責任見解と謝罪表明である[2]。
「懺謝」とは仏教語「悔過(けか)」「懺悔(さんげ)」とほぼ同義。「懺悔」と「謝罪」を合わせた語で、仏とその真理に照らして、おのれの罪過を悔い、謝りゆるしを乞うことを意味する。
曹洞宗宗務庁は同教団の近現代における海外開教・伝道の歴史を編纂し、1980年に『曹洞宗海外開教伝道史[3]』を刊行した。 この書籍は、敗戦後35年間を経ての同宗派の海外開教・布教の公式報告書であるが、「本書の内容に、差別思想にもとづく記述が数多く見いだされました。それは民族差別に基づく差別語、さらに軍国主義や皇民化政策への無批判な迎合などの箇所であります」などの認識にもとづき、曹洞宗が宗務総長(教団の行政執行責任者)名で、被包括宗教法人・寺院および当該書籍を配布した関係機関に対して、「『曹洞宗海外開教伝道史』回収について[4]」と題する依頼文書を通達した。
「懺謝文」はこの通達の付属文書として表明され、『海外開教伝道史』の自主回収と廃棄処分のための趣旨説明と同教団の歴史認識とくに僧侶と教団の戦争責任と戦後責任を明らかにした宣言的な公式文書である。表明当初は、かならずしも韓国・朝鮮・中国をはじめとするアジア太平洋地域や諸外国に向けて現地言語によって伝達されていたわけではない。
「懺謝文」では、近代および戦時下における曹洞宗の「海外開教」を総括して「仏教を国策という世法に隷属せしめ、更に、他の民族の尊厳性とアイデンティティーを奪い去るという二重の過ちを犯していたのである」と総括し、「われわれは誓う。二度と過ちを犯すことはしない、と」の誓約を表明している。