我々が学生の頃までは、鎌倉幕府成立の年は「1192(※いいくに)作ろう鎌倉幕府」と教わりましたが、
建久3年(1192年)に、源頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命されたときよりも前に鎌倉幕府が成立していたとする解釈がなされるようになると、頼朝が勅許に基づいて守護・地頭の任命権を獲得した文治元年(1185年)を指して「1185(いいはこ)」とする説の他、いくつかの成立年が教科書で紹介されています。



江戸幕府5代将軍である徳川綱吉の出した『生類憐みの令』についても、母・桂昌院の進言に基づいてマザコンの綱吉公が発布したものとされ、
大した検証もなされないまま『民衆を苦しめた悪法』として教科書にも記載されていました。

8代将軍吉宗を主人公にした『暴れん坊将軍』をはじめとする時代劇でも直接登場しないものの、犬公方は悪役として描かれていましたが、
捨て子・捨て親(※老人や子供の養育放棄)を国の法律として禁止したり、それまでの武断的な風潮を改めて『文治政治』『道義国家建設』を目指した政治家として再評価されるようになりました。

事実、カピタンに同行して綱吉公に謁見したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルは、綱吉の統治能力の高さと『生類憐みの令』を欧州人の視点で評価しています。

また、江戸幕府が外国との交流を絶ったとされる『鎖国』についても、近年ではその存在すら見直されています。

実際に、日本は長崎の出島と明国船を通じての交易を除く外国との交易を国策として制限し、日本人の海外渡航と帰国を禁止することを指していましたが、
『鎖国』という言葉自体、ケンペルの書いた『日本誌』の記述を、蘭学者でオタンダ語通詞の志筑忠雄が『鎖国』と翻訳したものです。

そもそも、幕末・明治以前の国家間の交流や貿易は、中華の皇帝に周辺諸国の王公が臣従して貢ぎ物を差し出す対価として、臣下としての地位と返礼品を得る形式をとっていたわけで、
日本のみならず東アジアにおいて条約に基づいた外交関係や自由貿易というものが、18世紀末頃まで存在しなかっただけの話です。


此のように、日本史・世界史における『常識』とされてきた記述でさえも、ここ数年で大きく修正されています。






歴史学において歴史修正主義(れきししゅうせいしゅぎ、Historical revisionism)とは、歴史の再定義や再解釈の言説を指す用語である。一般に否定的・批判的な意味合いを込めて使用されることが多く、特に第二次世界大戦に関わる戦争犯罪戦争責任に関わる議論で、それを否定または相対化する言説を指して歴史修正主義という用語が使用される。

確立された歴史を「修正」することそれ自体は歴史の記述を発展させ洗練させるための一般的なプロセスであり、特に議論を呼ぶものではない[注釈 1]。しかし、主流の歴史家が(例えば)正の力と捉えていたものが負の力として描かれるような、道徳的知見の逆転を含む議論は遥かに物議を呼ぶ。このような修正は、主流の見解の支持者から(特に激しい言葉で)異議を唱えられる。そして不適切な方法を用い、あるいは最初から事実と異なる言説を広めること、ジェノサイドの否定などを目的とする場合には、特に批判の対象とされる。欧米圏においてはホロコースト否認に代表されるような事実と異なる歴史像を広めることを意図して史実を否定する言説は「歴史修正主義」ではなく「否定論denial)」と呼ぶようになっており[2]、西欧ではこの種の言説に法的規制を設定し違法化している国が複数ある[3]

日本語の「歴史修正主義」という用語は翻訳語であるが[4]、欧米圏における"Historical revisionism"よりも広く、曖昧な意味合いで使用され、単なる歴史の再解釈や俗説を指す場合もある[5]



しかし『歴史修正主義』[Historical revisionism] という言葉は、我々が想像する以上に 敵意を以て使用されるものであります。

ホロコースト等のジェノサイドを否定する意見に対して刑事罰を科している国は少なくなく、
その他の 第2次世界大戦期の記述に対する批判的考察に対しても、それと同様に『歴史修正主義』のレッテルが貼られることもあります。



ホロコーストに関しては、生存者の証言以外にも当時の資料や物的証拠が多数存在していることからも今更議論の余地はなく、
特定の人種や自国の障害者の絶滅を目論んだ邪悪な試みを正当化する説を認めるわけにはいきません。
それは、ドイツに対してのみではなく、ソ連がウクライナに対して行った人為的な飢餓である『ホロドモール』のように、
連合国側が行ったジェノサイドに対しても同様であり、世界史における残虐な非人道的行為に対しては、絶対に肯定してはなりません。

しかし、あまりにも戦勝国側に偏った歴史を無批判に受け入れて思考停止したことによって、
独善的でナンセンスな正義感が 現実問題として存在する巨悪を隠し、新たな悲劇をもたらす結果にも繋がりました。

その典型が、ユーロマイダン革命以降のウクライナに対するロシアの侵略であります。



ウクライナは、2022年(令和4年) 2月24日よりも前からロシアによる侵略を受け続けていましたが、
第2次世界大戦の戦勝国である旧ソ連を継承したロシアに対する欧米諸国の目は甘かった!!

クリミアを併合し、ドンバス地域の傀儡政権にロシア軍を駐留させている状況にあって尚、
国際社会が、当時のポロシェンコ政権やウクライナのナショナリズムに対する偏見を拭うことができなかった結果が、2月24日以降の惨状であり、
我々自身の今の生活が厳しいのも、全て そこに起因するものであることを忘れてはいけません。


 



ポーランドとの歴史問題を抱えているにせよ、
少なくとも、ステパーン・バンデーラウクライナ蜂起軍は ロシアの主張するような『ナチス・ドイツの協力者』なんかじゃありませんでしたし、ナショナリストであってもネオナチという評価は不当なレッテル貼りでしかありません!!






今こそ、左に偏った秤を均衡に戻し、女神ユースティティアの正義を示す時であります!!

ウクライナに栄光あれ!!
Слава Україні!!

英雄達に栄光あれ!!
Героям слава!!

仇敵ロシアを撃滅し、来年こそは良い年にしましょう!!

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