キエフ・ルーシの領土

ルーシ王国(1199~1349)


ヘーチマン国家(1649~1786)
『ザポロージャのコサック軍』


ウクライナ国(1918)



ウクライナ人民共和国(1917~1921)



ボフダン・フメリニツキーの銅像
ポーランド・リトアニア大公国に反旗を翻し、ロシア・ツァーリ国の庇護の下に今のウクライナ辺りに『ヘーチマン国家』を建国した。

ウクライナは、キエフ・ルーシ(※キエフ大公国)にそのルーツを有しますが、その歴史の大半をロシアをはじめとする周辺国の支配下に置かれ、
『ルーシ』という呼称についても、いつの間にか分家筋のモスクワ(※ロシア)を指すものとなってしまいました。

コサックの頭領(※ヘーチマン)を元首とする半独立国や、ロシア革命の最中の僅かな期間に独立した時期を除けば、
ウクライナの歴史は、ロシア(※ソ連)の歴史として記録されてきました。

ドストエフスキー、ゴーゴリやチャイコフスキーといったウクライナにルーツを持つ偉人もロシアの偉人として記録され、
スプートニクの打ち上げに中心的役割を果たしたコロリョフもウクライナ人でしたが、それを知る人は多くありません。



文化・芸術・科学技術において、世界史に多大な貢献をしてきたウクライナ人の存在について、私自身、2月24日のロシアによる侵攻を切っ掛けに勉強するまでは知ることはありませんでしたし、
ウクライナという国についても『穀倉地帯』『農業国家』くらいにしか思っていませんでした。



ウクライナが世界史の表舞台に復帰したのは、ソ連崩壊によるものでありました。

そのため、ウクライナの独立には『英雄』と呼べる程の傑物によってもたらされたものではなく、
歴史上の王公やヘーチマン、ウクライナ人民共和国(1917~1921)のフルシェフスキー大統領などに対する『思ひ出』を除けば、ウクライナ独立の英雄は今まで存在しませんでした。

独立後にウクライナ化を推進したレオニード・クラフチェク大統領ですら、経済危機に対応できずに親ロシア派のクチマ氏に政権を追われてしまっています。

その後のウクライナの政権は、旧ソ連時代の汚職体質から抜けられずにいました。



【内政干渉と暗殺未遂】
ソ連が崩壊し、ウクライナをはじめとするソ連を構成していた共和国が独立しましたが、
ロシアはウクライナに対する露骨な内政干渉を止めることがありませんでした。

(※上がクチマ、下がヤヌコーヴィチ)

2004年(平成16年) のウクライナ大統領選挙の不正に端を発し、
親露派のクチマ大統領とヤヌコーヴィチ首相 (※後に大統領) にウクライナ国民が「ノー」を突きつけた『オレンジ革命』によって、ヴィクトル・ユシチェンコ氏が大統領に就任した際、

ユシチェンコ氏の顔が突如として変形し、ロシアによる毒殺未遂事件は世界に衝撃を与えました。

その後も、2014年 (平成26年) の『ユーロマイダン革命』により、ヤヌコーヴィチ大統領がロシアに亡命すると、
今度は、クリミアや東部地域にロシア軍の部隊を派遣し、そのままクリミアのロシアへの併合を強行しました。

しかし、オレンジ革命やユーロマイダン革命、ロシアによる侵略を受けた経験は、ウクライナ国民の中にあった独立の意思に火をつけることとなりました。



【国民の僕】

高校教師がウクライナの大統領になるドラマが現実の政党となり、2019年、ゼレンスキー氏は大統領に当選しましたが、最初から上手く行っていたわけではありませんでした。

政治経験の無いユダヤ人コメディアンに対する世間の反応は冷ややかであり、
内外から『財閥の傀儡』と見なされ、その支持率は一時期20%台にまで下落していました。

しかし、ロシアによる侵略に対して首都キーウを離れず、
大統領としての職務を全うする姿が、それまでのゼレンスキー大統領に対する評価を一変させました。

ゼレンスキー大統領というウクライナの英雄に栄光あれ!!






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