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皇統の正統性・正当性の根拠となるのは、皇祖・天照皇大神が天孫・ニニギノミコトに賜った『神勅』であります。
【天壌無窮の神勅】
葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。
【現代語訳】
この日本の国は、私の子孫が王となるべき地である。皇孫であるあなたが行って治めなさい。無事でいるように。皇室が栄えることは、天地がある限り永遠である。
【宝鏡奉斎の神勅】
吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし。
【現代語訳】
我が子よ、この鏡を見るとき、まったく私を見るのと同じように見なさい。床を共にし、同じ殿にいて神聖なる鏡としなさい
【斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅】
吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。
【現代語訳】
高天原で育てられている神聖な稲穂を我が子に与えます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20191028/22/s64h01a89/4d/7d/j/o0600040214626096772.jpg?caw=800)
これは、日本書紀に記録されている公式見解でありますが、
この時点に於いては、単に『天照皇大神の子孫』であって、
皇統は男系男子でなければならないとはされていませんでした。
結局のところ、男系男子による継承に限定する規定や記述が登場するのも、
プロイセン憲法を参考につくられた大日本帝国憲法と、サリカ法典の影響をうけた明治皇室典範からであり、
明治22年に旧皇室典範が制定されるまでは、内親王は臣籍の男性と結婚された場合も、皇族としての身位を失うことはありませんでした。
その証拠に、徳川家茂公に降嫁された和宮(※親子内親王)も、薨去されるまで皇族でありました。
やはり、男系男子を絶対視する思想は、こじつけによるものと言わざるをえませんし、
考えようによっては、むしろ昔の人々の方が、今の男系男子愛好症のモノマニアなんかよりもマトモな思考と精神の持ち主であったと言えましょう。
結局のところ、彼ら男系男子固執論者もまた『戦後民主主義の日本』で育ってきたことに変わりはなく、
皇統の連綿を男系男子によるものという物語を創作し、Y染色体が三種の神器に並ぶレガリアであるかのように嘯くのも、
彼らが、皇室を 唯物論的な視点 でしか分析・評価してこなかったのは明らかです。
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その舌の根も乾かぬうちに、
やっぱり「神仏には性別はない」とか、この前と言っていることが全然違うじゃないですか!?