1月下旬の神戸新聞に秀吉からの書状の記事が大きく載ってるのを見て、特別公開中の龍野歴史文化資料館へいってきました。
秀吉が脇坂安治に宛てた書状の数々が展示されてます。
ラッキーなことにこの日は無料で学芸員が丁寧に説明をしてくれる日でした。そのため駐車場に入りきれないほどたくさんのお客さんがいました。
この書状が発見された経緯がすごいです。
元々は龍野神社が所有してたけど、あるとき火事で焼けてほとんど灰の塊になったところを、東京大学が買い取り復元したそうです。
秀吉から書状を受け取った脇坂安治ですが、ここでちょっと脇坂安治の説明をします。
豊臣秀吉の部下として、賤ヶ岳の戦いで功績を挙げた賤ヶ岳七本槍の一人です。
秀吉の朝鮮出兵では韓国の英雄 李舜臣に破れます。(このため韓国では日本の戦国武将の中で抜群の知名度らしいです)
関ヶ原では西軍から東軍に寝返り、東軍の勝利に貢献します。
大阪夏の陣でも徳川方に与し藤堂高虎とともに奮戦します。
洲本、大洲、龍野と藩主を歴任。
ちなみに今、世間を騒がせている診療報酬詐欺の女医脇坂英理子とは全く関係ないと学芸員が言ってました。
この件でマスコミから問い合わせが続き、けしからんと言ってました。
さて、秀吉から脇坂安治に送った書状の内容がすごく面白いです。
全部で33通ありますが、「早く材木を送れ」「いつになったら材木を送るんだ」「材木の数量を教えろ」「サボらず励め」など1週間おきくらいにしつこく送ってきてます。
その中で一番驚いたのは信長公を呼び捨てにした書状です。「おれは信長のように甘くはないぞ。」と送ってます。
秀吉の性格がよく分かります。
この書状、重要文化財指定を目指してるそうです。
4月10日までの特別展示なので、興味があるかたは是非、ご観覧下さい。