あたしの事どう思っていたの?⑱ | ユニコーンのブログ

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母親乳癌ステージ3HER2陽性の進行癌
病院の送迎、介護の為臨床検査技師を離職
3年前からうつ病になった女のひとりごと

今日はビックリするくらい寝た😳

朝6時に起きて、弁当、送迎して7時半に家帰って、ベッドにゴローンして・・・

目が覚めてスマホみたら15:30😱アセアセ

ウソやーーん!!アセアセ

そんな寝れる?笑

でも、不思議と頭スッキリしてたからたぶん疲れてたんやろなー😅


てことで

↑続きーーー!



午前2時過ぎ・・・

お父さん今亡くなったから

と旦那から電話をもらい、結局あたしは看取りに立ち会うことなく、父を亡くした。



しかし、絶対後悔すると従兄弟から言われていたが、3年経った今でも後悔していない。



後に分かったことやけど、オトンはまだLINEが打てる状態やった時に、死を覚悟していたんやと思うねんけど、オカンには『幸せな一生でした。長生きして下さい』とLINEを送り、あたしの旦那には『家族をよろしくお願いします』と送り、息子、娘にもそれぞれ、『勉強も頑張って、元気にやって下さい』みたいな内容をそれぞれに送っていた。



だけど、あたしにはLINEはこなかった・・・



入院中に欲しいものや、必要なもののLINEはしてきていたが、あたしとのLINEは前回書いた『カルピス欲しい』のLINEが最期の会話やった。



オトンにとってひとり娘のあたしはなんやったんやろ?どう思っていたんやろ?

あたしにだけ最期のLINEをくれなかった。

理由はもう聞けない。



病院から葬儀屋に連絡をし、午前4時頃にオトンが実家に帰ってくるから、先に実家に行って、和室を片付けてオトンが寝られるスペースを仏壇の前に作るように言われた。



過呼吸も落ち着き、だいぶ自分を取り戻していたあたしは子供達と実家へ行き、片付けをした。

白い布団と白いシーツを用意していた頃に、オトン、旦那、オカンが帰ってきた。



和室の窓を全開にし、庭から棺を運びいれる。

死んだオトンを見ると痩せ細り、別人の様やった。



あたしの記憶はここで終わっている。



途切れ途切れに従兄弟や叔母さんが泣いていたり、ドライアイスの交換がどうとか、話を聞いていたような記憶はあるが、次の記憶は葬儀場までとんでいる。



ただ、間に友引きがあって3日は家にいたんやけど、その間に湯灌や葬儀のグレードや、骨壷選び、なんやかんやと決めないといけないことがあって、オカンがまったく機能しなかった為、あたしと1番上の従兄弟ですべてを決めた。

コロナ禍やったし、家族葬でこじんまりしようと決めてはいたが、それでも130万はかかった。



葬式ってチラシや看板なんかに、家族葬30万〜とか書いてあるが、絶対ウソやと思った。



そしてずっとあたしは泣いていない。

葬儀の時、父の友人が手紙を泣きながら読んでくれた時に、もらい泣きはしたが、それ以外で涙は出なかった。



あたしとオトン。

ほんまに親子やったんやろか?とたまに思う。



いや、顔からして間違いなく親子なんやけど🤣

今でも立ち会わなかったことを後悔していないし、涙を流してもいない。



その後、怒涛の手続きに追われるようになり、やっぱりオトンが亡くなった事より、残されたオカンの面倒を見る方が大変やった。



そして、オトンの死から1年後にオカンの乳癌が発覚し、さらにオカンの面倒を見ることが大変になりいま現在に至り、最初のブログの内容になる。



振り返り終わってみて、やっぱりあたしとオトンの関係って他人に近いくらい浅かった気がする。

きっと、オトンもあたしとの思い出がなさすぎて最期のLINEを送る内容さえなかったんやろなと😅



『オカンをよろしく』とも頼めなかったんやろな。

だから、旦那にまとめて『家族をよろしく』と送ったんやろな。



カウンセラーに言われた、振り返りはこれで終わりました😄

結局、あたしの問題はなんやったんやろ?

オトンはロシア人のクォーターで、祖父より外人の顔してたんやけど笑

あたしはエイスやから、ほぼ日本人。

色が白いのと、顔もオトン似やけど日本人。

だから間違いなくオトンの子やと確信はしてるけど、オトンはあたしをどう思ってたんやろねー🤔



おわり。