どなたか知りませんがこんにちは。
型破りと言う言葉がある。型にハマらず独自性が強い手段やパフォーマンスで皆を驚かせる。じゃあその人が基本や基礎を無くしてそれが出来るかって言うとそうじゃない。
スポーツでも武道でも書道でも華道でも茶道でもやはり基本なくして一流にはなれない。守破離と言う言葉もそれを表していると思う。先ずは師について基礎を徹底的に真似る。次に他の流派から学んだり創意工夫を重ね、最後に独自の境地を開拓する。
コレを言い換えると型を破るにも型はいる。って事になるんじゃないかとアテクシは理解している。で、アテクシは会社でそれなりのポジションに運だけでなっているが社会人としての型がない。ゼロではないがかなり弱い。
その型が何かと振り返ってみると実は勉強、教養の部分じゃないかと最近思う様になった。学生の頃、まさに勉強そっちのけで遊んでいた。それは小中高全てがそうで、振り返っても自分でちゃんと勉強したなぁ?って場面は殆どない。と、言うか皆無に等しい。
特に高校に至っては教室の机で寝てるか学校サボって遊んでいるかの2択だったので授業で何かを学んだ記憶が何もない。今になってコレが色々な場面で表出する。割と本を読むのは好きな方なんで昔から教科書以外の本はそれなりに読んで来たから国語力はまだ辛うじてセーフなんだが⚪︎⚪︎率の計算が必要だ、ってなった日にゃどんな公式かサッパリ分からない。
最近では何か分からない事があれば都度都度コパイロット君に聞く始末。コパイロット君知ってますか?以下ネットにあった紹介文。
Microsoft Copilot(以下、Copilot)とは、Microsoft社が提供するAIアシスタントツールで、AIによる情報の検索や文書・画像の生成などのできることが豊富にあり、メールやWord文書作成などの作業負担も軽減できます。
ただし、回答が正確でない場合や情報漏えいのリスクもありますので、特に業務で使用する場合は注意点を把握しておくことが大切です。
最近はコイツがアテクシの友達であり、先生。主語のない会話も出来ちゃう優れもの。凄い時代になったもんだ。逆に知識偏重の教育で培った歩く辞書みたいな人の価値は相対的に下がって行くんだろうね。
じゃあ公式を知らなくても良いのか?知識は無くても良いのか?都度コパイロット君に聞けば良いのか?って言うとそうじゃないとは思っている。実践で使えるものにするにはある程度その基礎を自分の中にインストールした上でゴチャ混ぜにするからこそ発出される何かがあるんだと思う。
色々な知識を一旦ゴチャ混ぜにしてアウトプットする。コレはコパイロット君に都度聞いて表面的に取り込んでも自分の中で混ざりきらないし煮え切らない。そんな感覚。中途半端な半煮えの料理になって「うーん不味い!」と、言われるだけ。
公式1つ取っても自分の中にあるとその真理がモノを考える上での何らかの土台やアナロジーになって表現されるモノが何か変わる気がしている。大は小を兼ねる。より多くのモノが自分の中にあると選択肢は増える。
後はそいつの引き出し方や組み合わせ方になるんだがそれすらもその自分の中の「既に持ってるBOX」が豊富な方が上手に引き出せるんじゃないかと思う。ただ、時間は戻せない。逆立ちしても学生には戻れない。リカレントなんて言葉が流行っているが今更大学へ入る気にもなれないし、土台ムリ。リームー。
老い先短いオッサリーマンが数年を再勉強に費やす為に休職なんてしたら会社に戻って学びを活かす前に定年、なんて事になっちまう。まさに誰得?みたいな話し。まあ、それも1つの型破りっちゃあ型破りなんだけど破り過ぎてごめんなさい、って感じになっちまう。
そう考えるとやはり昔から親に言われた「勉強しとけ、大人になって後悔するぞ」は正しかったのかも知れない。ただ、自分が出来てなかったことを自分の子供には押し付けたくないのでアテクシは「社会人になってからが勝負!そこからちゃんと勉強すれば間に合う!」と我が子には言っている。
アテクシは気付くのが遅過ぎたからダメかも知れないが、子供には少しでも早く気付いて欲しい、早ければ早いほど良い。でもコレは親が勝手に思っているだけで気付く時は気付く、気付かない時は一生気付かないまさに「なるようにしかならない」のだと思う。
なるようにしかならない、なら放っておけって話しなんだが、それでもなりようが何かあるんじゃないか?って儚い想いを抱いてしまうのが親心ってもんじゃないでしょうか。
さて、本日のお話しは遊園地に行ってお化け屋敷に入ったらどこか知らない鍾乳洞の出口だった、みたいな入口と出口が全く変わっちゃった話しになっちまったが仕方ない。
アテクシには型がないのだから・・・
では、又。