どなたか知りませんがこんにちは。
同じ情報を持った人間が同じ会議室に集まって議論をしたらまあ当たり障りのない答えが出て来る。会社なんかだとそれぞれ役職が違う人が集まり、様々な役割を担う人が集まって議論する場もあるんだけどその人達は元々持っている情報が違ったりする。するとどうなるか。
当然個々の能力や知識量、経験の違いがあってその凸凹の凸から凹へそれが流れてある一定の高さに揃って行く。異様に高い凸の人が居るとひたすらその凸を凹へ流し続けて凹が埋まって行って凸の人の知識や経験が出尽くした所で収束して会議が終わる。
会議の目的によるんだけど基本的に情報を多く持ってて経験豊富な人が中心となり、時折凹側が斬新な事を発すると凸の経験豊富な情報を多く持ってる人がその斬新な意見を解釈してその人なりの言葉や形に修正してその人の言葉に変換され議論の中に組み込まれて収束する。
凸だの凹だの訳の分からない事を言ってるが、何が言いたいかと言うと、基本的にその会議の意思決定はその中の1番偉い人がほぼ決めている節がある。末端が言ったアイデアが最後に大上段として決まる事はクリエイティブな事を決める場でない限り殆どない。
アテクシは年が年なんでそれなりにレイヤーの上層部側の立ち位置で会議に臨む事はあるので時々最上段へ食い込む意見も言えるが末端席の人がズバズバ意見を言ってそれが最上段の結論として収束することは先ず見たことがない。言ったとしても終わってみればいつの間にやら上位者の意見にすり替わって終わっている。
でも、それはある程度仕方のない面もある。元々情報量も知識経験も違うんだから冷静に意見を評価すれば凸側の意見に収束して然るべきなんだけど敢えてこの部分に疑問を呈したい。別にどうでも良いっちゃぁどうでも良い話し。なら言うなって話しだけどしれっと進める。
何故こんな事を思ったのか?についてだけど役職が上の人の意見は単に目的に対して最善の答えを求めている場合と、役職が上の人がその場に居ない更にその上の役職の人に対して⚪︎を貰える方向に忖度して纏めようとしてる可能性がないか?って事を思った。
つまり、何のために、誰のために、有益になるのかちゃんと見極めないと最大多数の最大幸福に繋がらないんじゃないか?と。会社組織ってのは基本的にヒエラルキーの形をしていて上に行くほど人は少ない。社長は1人だけど一般ピーポーは多数いる。
その多数の人達の事を本当に考えた結論になってないと不幸な人が増えるんじゃないか?ってこと。企業はそもそも働く人より企業が作り出す価値を提供するお客様の事を最優先に考えなければいけないが、その価値を作り出す為に働く人の中で1番付加価値が高い事をしてるのは多分一般ピーポー。
付加価値を殆ど産み出してない意思決定者が自分達の満足度を高める為の仕事をしてると長い目で見ると良い事はないんだろうなぁ?と、思っちゃったりなんかした訳である。ハッキリ言って本日書いてる事は自分でも整理出来てない。
だからって改めて整理したり書き直したりする気もない。垂れ流して会社へ向かう。偶然これを最後まで読んでしまった人が使った時間は無駄になるが、どなたか知らない以上謝る事もできないので勝手に許して貰う。
では、又。
