捲り時々逃げ -12ページ目

捲り時々逃げ

説明する程の話しではないが競艇と日常について徒然なるままに書いています。自分のボケ防止程度の物ですが、皆さん仲良くして下さい。

どなたか知りませんがこんにちは。




頭が柔らかい人になりたい。以前も話したことがあるかもなんだけど遥か昔に養老孟司さんと言うオッサンの講演を聞きに行った。何なら2回行った。「バカの壁」って本が凄く売れたオッサン。オッサンと言うか今は立派なお爺さん。





お爺さんなんだけどこの人は難しい事を実に分かり易く話すし何より頭が柔らかい。触った事はないから物理的に柔らかいかは知らないが発想が柔らかい。そんな爺さんに自分もなりたい。




改めて超簡単にこの爺さんが言ってた事を2.3紹介すると、先ず本にもなったバカの壁とは、一種の固定観念のこと。原理主義者になっちゃダメよ、って事。自分が絶対正しいって考え出すとだいたいダメ、そんなニュアンス。





自分の言ってることは多分正しい、でももしかするとそれは80%で相手の言ってる事も20%は正しいかも?そう思うことが大切、って話。常に二項対立は存在することを忘れない、とアテクシは理解している。




何事にも必ず反対側ってのはある。明暗、白黒、陰陽、硬派軟派etc。当然ハッキリ分別出来ないグレーゾーンもある訳だけど、自分が絶対正しいと思っちゃダメってこと。これがいわゆる宗教問題や戦争を引き起こすって話し。お互い譲らないからイク道イクぞ!とね。





あと言ってたのは人間の本質的なメカニズム。うろ覚えだけど人間には入力と出力があって入力が五感、出力が運動、入力=x 出力=yとするとy=xとなるんだけど、何か入力した時に人間はそこで考えを入れて出力するから考える=aだとすると、y=ax。




何か五感で仕入れてソコに自分の考えが入って運動として何らかの行動をする。それの繰り返し。ザックリ言うとこんな感じ。まあ、平たく言えば一見複雑に見える人間なんてそんなモノ、とも言える。






で、2.3紹介すると言ったので3つ目も紹介する。2.3と言った場合は何となく2じゃ少なく感じるのはアテクシだけだろうか?って事で三つ目。これは仕事について。






良く好きな事を仕事にするだとかこれが天職だとか言うが人類皆がそうはなれない。じゃあどう考えるか。世の中や社会は自分が産まれる前からあって、そこにお邪魔させて貰い、仲間に入れて貰うんだからそうウダウダ言いなさんな、と。





世の中を凸凹な道だと例えると、凸凹していて歩き難い、じゃあ私はその穴に入って埋めましょう、あなたはそっちに入って埋めましょう、それが仕事。で、穴に入ったらそこでの仕事を好きになる工夫をして幸せ目指しましょうよ、ってこと。




ある意味夢も希望もない気もするが別に投げやりって意味じゃなくて自分がその仕事を好きならそれはそれで良い訳だから、逆に一旦穴に入ったら好きになる努力をして好きになっちまえばいいじゃん、って僕は理解した。




人生は成るようにしかならない。僕は穴と認識してこの会社に入った訳じゃないけれど、それなりに幸せだしコレで良い人生だと思っている。なのでこの穴で幸せを探し、時々穴から飛び出て違う幸せを感じたり手にしたりしながら又穴に戻る人生を歩んで行こうと思う。




時々穴に入れる幸せもあると人生はもっと豊になるんだろうがソッチは最近ご無沙汰。どうでもいい? こりゃ失礼。






ってことでとりとめがなくなってしまったが死ぬまで頭を柔らかくし続けて行こうと思う。いつかはカチカチになってしまう儚さもぼんやりと意識の片隅で捉えながら。と、倒置法で締めて哀愁を出す。




では、又。






どなたか知りませんがこんにちは。




良く聞く言葉で理想論と言うのがある。『それはただの理想論だよ〜』ってな感じ。いつからってのは全く思い出せないのだが、アテクシはこの言葉にいつしか違和感を感じる様になった。は?何がイケないの?別に理想論を語ってもえーやんけ!と。




理想ってのはその考えてる物事の1番良いと思う状態でしょ?何でそれを否定的な言い方するの?多分、1番良いのはソレだけど、現実的には難易度が高いからもうちっとランクを下げて考えましょうや。落とし所はココでしょ?みたいに聞こえてしまう。コレじゃ勢いも熱もない。





何でもかんでも最高を求める夢追い人になれって意味じゃないけど簡単に理想論を切り捨てるのは如何なもんか。なのでアテクシはコレには否定的見解を表明する。誰に対して表明してるのかは勿論自分でも分からない。120点を求めるから100点を取れるのであって最初からゴールを低く設定するのはなぜな〜ぜ?と、言いたい。




ただ、こんな事を書いているが実はアテクシは特段熱い男でも情熱的な男でもない。淡々淡白な男。ハッキリ言って何事も「どーでもいい」が出発点の無気力人間。なのにこう言うことを時折言いたくなるタイプ。そこはあしからず。





仕事に置き換えても何となく似たパターンは良くある。理想的には⚪︎⚪︎だけど、一旦コッチで行こう、みたいな感じ。一旦ソッチになって走りだせば大概は半永久的にソレは続く。ちょっとした例を出すとソコは一旦輪ゴムで留めとくか〜、なんて言って輪ゴムで固定すると大概3年経っても輪ゴムのままになっていて、カリカリになって殆ど用をなさないのに輪ゴムのままである。




人って割りかしそうゆうもんじゃないですか?一旦形になってそれが当たり前になるとずっとそのまま。ココから何が言えるのかを考えて見ると、最初が肝心ってこと。何事も最初のスタートでちゃんと理想に1番近い形を狙い、パワーをかけておかないとイケないってこと。




ちょっとニュアンスは違うが仕事で似た様な言葉でフロントローディングってのがある。簡単に言うと源流段階でパワーを掛けると手戻りが少なくて結局1番儲かる、コストが小さくなる。当たり前の話しなんだが皆持ち場立場があるので中々そうは上手くイカない。




源流側がちゃんと理解して体制も整えた状態じゃないと逆にフロントヘビーと言って源流側が徒労感に苛まされる事になる。個人でも似た部分があって、背丈以上を目標にモノゴトの入り口側で理想だけを掲げ、張り切り過ぎても見合った力が無ければ徒労に終わる。




まあ、言うのは簡単で実際ヤルのは大変なんだが何事も最初が肝心ってこと。で、何かを始める時は目的は一体何なのか?達成した時の理想の状態は何なのか?をちゃんと考え抜いてから始めないと大した結果にゃならねーって事を自分に言いたかったんだろう。知らんけど。




さて、昨日のボーツレースはピコピコやったが結果はコレ。





でもって夕方からは趣味の焚き火。






ボーツは負けたけど酒飲みながらの焚き火、幸せでした。







では、また。


























どなたか知りませんがこんにちは。






交差点で右に曲がろうとして信号でウインカーを出して待っている。そこへ対向車が来てそいつもその交差点で左折して僕にとって行きたい方向へ曲がろうとする。その時、ウインカーを出すのが遅いヤツがいる。




ギリギリになってまさに曲がる直前にウインカーを出してキュルっと曲がる。これは真っ直ぐ行くと見せかけてこちら側を先に行かせない作戦だと予想している。ってかアテクシはそんなに急いでませんけど・・・




このシチュエーションを頭の中で描けるかしら?そっと目を閉じて想像力と共感力を働かせてみて欲しい、別に良い事は何もないけど・・・

想像力は大切です。究極手を使わずに自分をイカせるくらいの想像力が欲しい。は?




まあ、話しを戻してさっきのウインカーをいきなり出してギュルって曲がる話しなんだけど別に悪意はなくて元々そうゆう癖なのかもしれないが相手にそう思われたら結果は一緒。




逆に異様にウインカーを早く出すヤツもいる。100m前からウインカーを出して何度も曲がり角を過ぎて「曲がるのはココか〜い!」ってヤツ。このどちらも厳密にはルール内なのかも知れないがルール内にも濃淡はある。逆にルール内なら何でもやって良いって訳じゃない。




交通ルールは皆が安全に運転して目的地に辿り着く為に作られている。社会のルールは皆が健全に生活出来る様に、会社のルールは利益を出して働く人々が安心安全に業務を遂行出来る様に、世の中には実に多くのルールがある。




が、全てをルールで縛る事は中々出来ないし、それこそルールが無限にあっては覚える事さえ不可能に近い。じゃあどうするか? 自分の身は自分で守るしかない。信号が赤でも車が来てなければぶつからないし、青でも赤信号を無視して来るヤツがいたらぶつかる。





結局ルールは必要だし基本的には守るべきだと思うが先ずは自分の危険センサーの感度を磨く事が大切なんじゃないかと思っている。何故こんな事を書いているのかサッパリ分からないんだけど、何となく思いついた事を書き逃げして仕事へ向かおうと思う。





では、又。