千羽鶴と、服用に対して思うこと。 | 発達障害一家・5人揃ってアスペ+ADHDだからできること

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ADHD+アスペルガー症候群の当事者です

息子たちと旦那も同じ障害を持っていますが
だからこそできること  を大切に。
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一つ前の記事に書いたように、副作用とうまく付き合いたい猫ママ。

今は、午前中はずっとこれを作っています。


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千羽鶴。

親戚のように可愛がってもらってる方が、10日ほど前に脳出血で倒れ、
右半身に麻痺が残ってしまいました。

ホント、
生まれ持った障害があってもなくても。
人間なんて、いつ何が起こってどうなるかなんてわからないものだ。と、思い知らされます。



今はまだ、ICUから出たばかりで、お見舞いに行ける状態ではなく。



10月に、リハビリ専門の医療機関に移ると聞いたので、その時に持って行きたくて、チマチマ折ってます。


元々細かい作業をチマチマやるのは好きだし、苦にならないので、テレビ見ながら…

午前中は、ほんっっっっっとに、洗濯とトイレ以外は立ちません。
これを徹底しないと、ホントあっという間にフラフラになるので。


今日は祝日なので、三男がいますが…
(長男は朝からカラオケ次男は部活。)

それでも絶対立ちません‼︎笑
このペースを守れないと、夕飯も作れなくなりますからね。


薬のことについて記事にする中で、
様々な方から、コメントやメッセージの中で「そんなに辛いものを飲ませていたのか」というようなことをいただくのですが…


私の場合は、とにかく薬に弱い。

私自身が思っていたよりも、どうやら感覚自体がかなり過敏なようで、
普通は気づかないような変化も含めて、
全ての感覚を拾い過ぎてしまう
らしいです。

なので、同じ薬を飲んでる人が全員同じようにツラいかと言ったら、たぶんそんなことはなくて。

私自身の子供時代を振り返って…最近思うことなんですが、

今はこんなに過敏なことに「気づける」私ですが、
子供の頃は逆に、きっと認知が低くって。

自分の感覚どころか、世の中で起きている全てのことに対して、
「認識できていなかった」
と思います。

感覚自体がふわふわしていて、
あれもこれもよくわかってない。

うまく言い表せませんが、成長の時期の発達障害の子どもというのは、色んなものの「実感」がほとんどないんじゃないのか…


と、思ったりします。

もちろん、それこそ全員ではありませんが、少なからずそういう側面もあると思う。

なので、語弊があるかもしれませんが、
薬の副作用に関しても「わかっていない」「認識していない」場合も多いのではないかと思います。

だからと言って、体に負担があることには間違いはないのも事実ですが、
逆に、本人の感覚としての「苦痛」は、私の実感とは違う場合の方が多いんじゃないかな。と、思います。


「薬を飲ませてまで」
というような罪悪感は、親御さんの中に少なからずあるはずで、
何かをそれで制御しようとしたり、コントロールしようとすることに、何かの違和感や罪悪感を持つ方は少なくないと思いますが、

医師を含め、「必要」と判断しての投与には、必ずメリットがあります。

私自身、じゃあなんでそんなにツラいのに飲み続けるのか、と言ったら、

「付き合い方を工夫して、副作用とうまく付き合えるなら、
薬を飲むことによるメリットを得たいから。

です。

時間をかけて、副作用がどの程度で落ち着くか、どの程度副作用をコントロールできるか、という部分はもちろん気になりますが、
たかが半年くらいフラついたり、動けなかったりしても、そのあとの30年、コンスタントに生活を回せるなら、それに越したことはない


と思うわけで。笑

今の状態が例え1年続いたとしても、その後の期間の方が長いですからね。
急がば回れ的な。  将来の生活のための「今」です。


その「今」を、早い段階で得られることは、それだけ得られるメリットも大きいわけで。
必要以上に申し訳なく思うことはないと思います。

もちろん、体が小さい分だけ、有る意味での「効果」は強く出たりもすると思いますし、
食欲その他の成長に関わることは、大人とは違うところで注意が必要なのも事実ですが…


私の持論として、

「親が子どものために一生懸命考えて出した答えには、間違いなんてことは一つもない」

と、思います。


私が記事にすることで、薬に不安を持つ方が増えてしまったら心苦しいですが、
それでも、言葉にできない発達障害者の気持ちを、少しでも代弁できたら…と、
おこがましいかもしれませんが、思っている部分もあり。

全てが一致するわけではなくでも、必ずどこかに共通する気持ちがある  わけで。

それを、うまく伝えていけたらなぁ  と思います。