なんか自分語りみたいなタイトルですが、まさに自分語りです。(笑)興味のある方はお付き合いください
どうでもいいけれど、最近の私のブログのタイトル、長ぇな・・・
これまでの人生、自分で自分を苦しめてきたことがあるとすればそれは、「自分が何者かでありたい」という気持ちを抱いている時だと思います。
「何者かでありたい」というのは、「自分はこの世で唯一無二の特別な存在だ!きっとこの時代に何かしらの成果や名を残せるに違いない!」みたいな感覚です。(笑)なんじゃそりゃ、って感じですがなんか伝わりますかね?「自己承認欲求が高い状態」とでも言えば良いんでしょうか・・・
でもこれってとっても浅はかで、結局は他人と自分を比べている、悲しい状況だと思います。
そして、ここで一番オソロシイのは「誰かのために自分は頑張っている」という感覚でいる時です。特に国際協力でこういうタイプの人多いと思うんですが、結局は「良い生活を捨てて海外の僻地で貧しい人を助けている自分」や「見知らぬ土地で誰もやったことがないことに挑戦している自分」に酔いしれてたりするんですよね。それを否定するわけではないし、それがモチベーションになっていくのが悪いとも思いませんが、結局は見ているのは自分に対する周りの反応ばかりで、問題の本質や助けたい他人は見てないのだなぁと思います。
で、結局は私自身もそんな人間なのだ、とよく思う訳です。。。自己嫌悪
そういった点で私の旦那は見てて「すごいなー、尊いなー」と思います。
旦那は自分と他人を比較しません。その分自分がやりたいことややるべきことに真摯に向き合い、それが結局は世のため人のためになっていたりします。
そして「自分が心から大切にしたい人たち」を本当に大切にします。しかも、それを人が見ていないところで、自然にやるんですよね。本当にすごい。そういう姿を見ると自分の器の小ささを痛感します。
何はともあれ、恐らく今の私は日本で努力して積み上げてきたものを捨ててパースに来たこともあり、ある意味自分を証明するものが何もなくなってしまったので「自分が何者であるか」というところが物凄く揺らいでいるのだと思います。そして、「何者かであるため」に必死なのだと思います。
そろそろ生活も落ち着いてきたところだし、自分自身が向き合うべきものに向き合えるような自分になっていきたいものです。
と、いう訳で最後に自分への戒めとして宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を貼り付けて終わりにしたいと思います(笑)このレベルにはとてもじゃないけれど、まだ到達できないな~
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雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らず
いつもしずかにわらっている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
野原の松の林の蔭の
小さな萓ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはオロオロあるき
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい
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そういえば私が尊敬する旦那様は昨日から水分を摂取できるようになり、本日からお粥を食べているようでとりあえず一安心・・・。
この先の事は分からないけれど、まぁなるようにしかならないという現実を受け止めながら、明日からまた頑張りたいと思います