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永遠の目標 鶴田浩二さん

 
最近は空海(弘法大師)の足跡を追いかけて四国や高野山を訪れていますが、私が生きてきたなかで唯一ファンと言うよりも、人生の目標として尊敬してきたのが映画俳優の鶴田浩二さんです。
 
最近は軽自動車に積んである鶴田さんのCDを毎日訊いており、改めて俳優鶴田浩二さんの唄声から伝わる人生訓に驚かされています。

 

道草

冬の厳しさ 知ってる花は 春の嵐に 耐えて咲く

 一度転んで痛みを知れば 二度とつまづくことはない 

  そうさ 男の人生にゃ 無駄じゃないんだ 道草も

 

日向(ひなた)ばかりを 歩いた奴に 人の情けが なぜ分かる

 堕ちて沈んで浮かんだときに 涙ながせる奴になる

  そうさ 男の人生にゃ 無駄じゃないんだ 道草も

 

死んで行くとき 初めて分かる 人の値打ちと いうものは

 長いうちには取り戻せるさ 若い間の遅れなど

  そうさ 男の人生にゃ 無駄じゃないんだ 道草も

 

クリックしてお聴きください。

 

「いまどきの詞(うた)では歌う気がしないんだよ。詞に心がない、詞に人間の匂いがない、詞に温かさがない。そんな詞でどうして歌えるんだ」の言葉は、鶴田浩二大全集に残された鶴田さんの言葉ですが、残された曲の唄声からもその心情が伝わってきます。

 

2007年5月13日の一言

 

ずいぶんと古い17年前に記した一言ですが、鶴田浩二さんの代名詞とも言える「傷だらけの人生」をテレビでタマちゃんなる歌手が歌ったことに対する苦言と言うよりも、批判した一言でした。

 

貼付した一言に私の心情を書き記していますが、鶴田浩二さんの歌として作曲家の吉田正さんが作った曲を、鶴田さんと縁もゆかりもないだけでなく、鶴田さんの心情とは真逆のような顔と歌声でプロ歌手が自己流で歌ったことはショックでした。

 

このことから、一八と言えば鶴田浩二と言われたカラオケでも、私は鶴田浩二さんのイメージを大切にしたいため、人前では歌わないことにしました。

 

かつては、長距離運転で眠くなると、昭和57年9月に大阪フェスティバルホールで開催された「歌手生活30周年記念コンサート」の録音を、スピーカーの向こう側に鶴田さんが居るものとして真剣に聞いて眠気防止にしてきました。

 

昭和62年6月16日に62歳という若さで旅立たれた鶴田浩二さんですが、鶴田さんより年長の70歳になったGGが聞いて、人生訓のように感じてしまうところに、若くして戦争や命をかけた大事件を経験した鶴田さんの人としての魅力を改めて感じさせられてしまいます。

 

2008年5月29日の一言

 

鶴田さんを偲んで毎年訪れていた高野山奥之院にある「あゝ同期の桜」の碑ですが、まさかその真後ろに鶴田浩二さんのお墓があると知ったのは平成20年の話で、それまで鎌倉霊園にある鶴田さんのお墓に一度は行きたいと思っていたものの、これ以後は高野山へ行く度に鶴田さんのお墓へ立ち寄るようになりました。
 

2022年12月20日の一言

2023年10月27日の一言

 

鶴田浩二さんの付き人をされていた川谷拓三さんも、平成7年に亡くなられており、川谷さんと親交のあった親族から、「いつでも会わせてやるぞ」と言われていたものの、遙か昔の思い出話だけになりました。

 

鶴田浩二さんが逝って37年も経過しており、今年はその命日も忘れていたことから、来月には高野山のお墓を訪れるものの、改めて鶴田さんだけでなく先輩や恩師を振り返ってみたいと思います。