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元日本兵・横井庄一さんのお墓

行雲寺墓地 名古屋市中川区富田町千音寺

久々のお供えと参拝です

母親つるさんが残したお墓です

 

本日は朝から上高地の予定でしたが、上高地の天気予報を見ると雨模様であり、12日の夜まで帰ってこないとお盆の花が供えられないため、お盆前に家内とともにお墓のある名古屋市中川区まで走ることにしました。
 
もっとも、一週間前に小鳥のムーが旅立ってから、1羽だけになったヒーちゃんが寂しがり、私を呼んで鳴き続けるだけでなく、明らかに体調不良に陥っているため、夜まで見届けてから出発することにした次第です。
 

千音寺霊園

誰かが花を供えていました

私の父親の遺したマサキを足しました

私の月桂樹です

小動物の慰霊碑へも

こちらは夫人の建てたお墓です

 

横井家代々のお墓 つるさんが眠っています

 

横井庄一さんは血を分けた後継者が無く、夫人が横井家に反目して2つ目となる新たなお墓まで残してしまったものの、お彼岸や盆暮れにお墓の掃除をする親族も無くなり、私が生きている間は我家で大鹿庄一として育ったお先祖様としてお墓を護っていくことにしました。

 

毎年お盆前に花を供えてから上高地へ行きますが、今年は11日の山の日で環境省のイベントが終わるため、例年より早い上高地行きとなり、あやうくお墓掃除を家内任せにしてしまうところでした。

 

私の留守中には、私の曾祖母や父親の眠る先祖代々のお墓と、家内の在所も後継者が不在となるため、家内は2ヵ所のお墓掃除とお供えに走ることになり、私が上高地から帰った13日には自宅へ旦那寺の僧侶が訪れ、15日にはお寺の施餓鬼供養へ参拝する慌ただしいお盆となります。

 

大鹿家の当主として横井庄一さんと上高地を天秤にかけるわけにはいきません。

 

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細川さんからいただいた法螺貝

入門書

この部分で滞っています

 

 2026年1月9日の一言

 

今年の1月に発信した法螺貝の記事ですが、今年の秋には四国遍路で法螺貝デビューを果たそうと考えていたものの、昨年11月を最後に豊川市の財賀寺で開催されている法螺貝講習会にも参加できず、慌ただしい日程から練習も疎かになっていました。

 

現在のレベルは、乙音(低音)は安定して出せるようになり、甲音(高音)は時々不安定ながらも出るものの、さらに高音となる揺りの揺り止めと別揺りに挑戦し始めた状態で、揺りの音が出せないため四国デビューの大きな壁になっています。

 

そんな訳で、お寺から帰る時に吹く宿出の螺は吹けるものの、お寺に入る宿入の螺は揺りの音が出せないため吹くことができません。明日から上高地へ出かけてしまうと練習もできないため、元々才能が無い法螺貝だけに上達しません。

 

 2023年3月25日の一言

 

そもそもが、法螺貝の音が出せないと自覚しており、私とは無縁と思っていたものの、三年前のお遍路で当時三重県四日市市に住んでおられた細川さんと出会い、固辞したものの「どうしても」と立派な法螺貝を頂いてしまったことが始まりでした。

 
2024年3月20日の一言

 

四国遍路では多くのお遍路さんと出会いますが、何度も再会し、会えるはずのない環境下で再会したり、奇跡としか言えない出会いがあり、そんな出会いや再会からお遍路仲間が増えていきますが、縁がない人とは何度再会しても行き交うだけとなります。

 

2024年4月21日の左足

 

法螺貝を手にしたものの、一年が経過しても満足な音が出ないため、愛知県豊川市で法螺貝講習会が開催されていることを知り、2年前の春から参加するようになりましたが、進歩が遅く初心者のグループのまま現在に至りました。


2025年2月3日の一言

 

それでも法螺貝への興味は尽きず、知多半島の漁師さんが水揚げした法螺貝を入手し、自分で法螺貝作りにも挑戦したものの、よくよく考えてみると、私は魚や小動物の殺生ができず、法螺貝の中身を取り出すことも苦痛となり、機会があれば作るものの積極的には作れないことを自覚しました。全くの笑い話でした。

 

 2025年5月9日の一言

 

さて、満足に音も出せない法螺貝ですが、私が法螺貝を始めたと聞いた知多半島のお寺から、和尚さんが3個もの法螺貝をわざわざ自宅まで届けてくださり、江戸時代からの年代物と判ったため、吹き口を代えずに所有されていた修験者の当時の音を知多半島で出したいと思っています。

 

 2025年6月13日の一言

 

そして、法螺貝の世界では有名人の山本さんとも横峰寺で出会い、その後に偶然とは思えないような再会時に、素人同然の私に手ほどきをしていただき、持参していた私が手作りした小さな法螺貝も吹いていただきました。

 

細川さんにいただいた法螺貝によって、多くの人たちと知遇を得て、四国遍路だけでなく、祖父が先達をしていた御嶽山でも吹きたいと思うだけでなく、セカンドライフの上高地でも熊よけと奥穂高岳の山頂の祠に鎮座する大神に向けても吹いてみたいと考えています。

 

それまでは元気で生きておられるとしたら、平均寿命までは安心ですが、人前で法螺貝を吹ける(立螺・りゅうら)ようになってすぐにお陀仏では堪らないため長生きの欲望が募ってきます(笑)

 

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ふるさとアサヒ31号の戸別配達が本日の早朝をもって終了したため、久しぶりに自宅でゆっくりする一日となりました。今日と明日の2日間の静養で、明後日からの上高地へ万全の体調で臨めそうです。
 

唱電特機

エアコンの整備です

 
上高地行きを前にして、16日まで外出が続くため、私の車のエアコンを整備に出しましたが、上高地の宿が満杯のため私にとっては貴重な家ともなり、ずいぶんと使い古してきたことで長距離を走るたびに整備が必要になりました。
 
上高地では環境省のビジターセンター前へ望遠鏡を立てて、穂高連峰の山の解説が仕事となりますが、先月24年ぶりに御嶽山山頂(3067m)まで登頂した体験は、上高地の山のガイドにも大きく影響し、西穂高の独標に「一般の人でも挑戦できる」と解説してきたものの、若い頃の体験だけで語るのは止めることにしました。
 
上高地から見ると簡単に手が届くように見える山々も、現実には3千メートル級の北アルプスであり、万全な体調とともに無理のない計画が必要となり、パンフレットの工程表どおりには老体はついていけません。
 
さて、今回の上高地行きは個人的に製作した「上高地散策マップ」を持参して、親しい知人にも手渡す予定ですが、マイカー規制の上高地へ自由に出入りするため、タクシー会社まで開業した物好きには、GGでもまだまだできることがあると実感です。
 
ただし、ボランティアとは言え、山の日のイベント用のテント設営も手伝い、一日中立ちっぱなしの解説となるため、おしゃべり好きの私でも足腰が悲鳴をあげるようになり、最終日には安曇野の知人宅へ立ち寄って夏休みにしたいと思っています。
 
不思議なことに、上高地や四国遍路へ旅立つ前には、疲弊して体調不良の老体が何とかなっていくのも、好きなことに勝る健康法はありません。

 

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午前5時16分

クローバーテレビ前

 
昨年5月から5年間は続けたいとして再刊した「ふるさとアサヒ」ですが、4年後には76歳になるため、私自身が歩いて配達できるかどうかを考えると、ボランティアで配布してもらえる人があれば幸いですが、地域にある公共施設や人の集まるお店に置いてもらって欲しい人に持ち帰ってもらうようにしたいと思っています。
 

そぶえ整形外科 愛知県弥富市中山町北脇

昨日までの展示

新しいケースです

左はこれまでのケース

 本日のそぶえ整形外科のInstagram

 
弥富市にある「そぶえ整形外科」は、私が4年前に発症した膠原病の主治医で、名古屋市にある中村日赤の整形外科の医師ですが、昨年4月からは親が開業していたそぶえ整形の院長となり、現在は日赤には週2日間勤務する主治医の医院です。
 
幸いというか、不幸と言うべきかは判りませんが、数軒の整形外科を受診しても病名が判明しなかった知人に主治医を紹介したところ病名が確定し、現在は中村日赤とそぶえ整形へ通院することになったため、発行するたびに届けてくれるようになりました。いって
 
「ふるさとアサヒ」は、津島市と愛西市に、あま市の一部と蟹江町の朝日新聞に折り込まれて配布されていますが、院長から気持ちよく「いいよ」と快諾して置いてもらうようになったので、これからは弥富市も取材エリアとして発行していきます。
 
膠原病はまれに寛解(かんかい・症状が消えた状態)することもあるものの、死ぬまで病院のお世話になる可能性が高く、主治医のもとに何年先まで届けられるかは判りませんが、4年後には戸別配布ではなく欲しい人が持って行ってもらえるようにしたいと思います。

 

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「大鹿さん、予約は明日ですよ」
 
かかりつけの歯科医院の待合室に座っていると、受付の女性から予約日を間違えていたことを指摘され、今日に限ってずいぶんと早くから来院して間違って座っていた事が判りましたが、本日は本調子とは思えない体調から午前中は内科医院の診察も受けてきました。
 
登山疲れだった足腰の動きは復活したものの、身体の脱力感や無気力状態が続いていたため、今まではこんなことでは通院しませんが、週末に訪れる上高地には万全な体調で出かけたいので診察を受けました。
 
もっとも、こんな体調でも好きなことをやっておれば不調も感じない可能性も高く、これまでは市販の風邪薬かロキソニンで乗り切ってきました。
 
さて、本日のフェースブックには
 

個人的には膠原病に罹患していることと、血圧も高いことから病院とのご縁を切ることはできませんが、日常的に歩くことと、規則正しい食事と生活に心がけ、間食を避けて温かい風呂に入り、早く寝る(午後10時には)ことを心がけたいと思います。

 

もっとも、かつて津島市看護専門学校の名誉校長を務めておられた医師は、「医療費にお金をかける人は長生きする」と常々発言されていたことから、不調時に自己判断で放置せず、専門医の診察を受けられる環境は重要です。

 

 

 

早朝のミニコミ紙「ふるさとアサヒ」の配達も、あと2日で完結できそうになっており、雑用は多いものの上高地へ行く前に済ませて、お盆を過ぎたら四国遍路も考え、御嶽山8合目と9合目の中間地点にある弘法大師像まで登りたい。

 

自分の好きな上高地と四国遍路を中心とした生活にはストレスは無く、近所や町内から嫌われても嫌なことは全てを断って、好きなことと自分でやりたい事しかしないことが、私の健康法になりそうです。

 
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かかりつけの医院においてもらうふるさとアサヒ
 

こんな一工夫を

 
先月25日付けて発行したミニコミ紙「ふるさとアサヒ」31号を早朝3時半から地域へ戸別配達していますが、昨日の日曜日に体調が絶不良で休んだところ 体力が回復し、本日は3時間ほど歩いて配布してきました。
 
今回の戸別配達は先月の御嶽山 登頂の後遺症で足腰が疲弊していると思っていましたが、昨日服用した風邪薬の効果が著しく、どうやら登山後に夏風邪をひいていた可能性も高く、最近の体調不良は登山の疲れではなく風邪の影響だったのかもしれません。
 
今週の8日には上高地へ行き12日まで帰宅しないため、それまでにすべてのミニコミ紙を配布する必要がありますが、議員時代には単車で2万部の議会だよりを配布していたものの、歩いて配布することは足腰に堪え、自分の年齢を考えると単車の配達にカムバックすることも現実です。
 
ただし、高齢となる5年先の配付を考えると、配布地域を拡大して朝日新聞の折り込みだけにするか、店頭や施設に置いてもらって自由に持っていってもらうことも検討が必要で、今回からは弥富市の医院と近くのかかりつけ医とともに、あま市の公民館や珈琲店にも置いてもらうようになりました。
 
議員時代とは違い、誰でも多くのお宅に配布して名前の宣伝をする必要はなく、読んでもらえる人に届けたいため、公共施設や知人を介して一人でも多くの方に読んでいただくことを第一にして発行を続けたいと思います。
 
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午後6時42分の自宅前

2階の新コンビ

 

出会った人たちに手渡す予定のパンフレット

私の名刺?
 
議員を引退して7年が経過し、年金生活に名刺や肩書は必要ないと名刺は作ってきませんでしたが、最近になり名刺を出される機会が増え、「名刺を持ち合わせていない」と伝えると、周りの知人から「この人は天皇陛下から勲章をもらった人」と言われ、慌てて会場を案内されるケースもあり、メールアドレスやHPアドレスを問われる事も多くなりました。
 
そんなわけで、名刺交換に必要な名刺を作るより、私のセカンドライフとしている上高地の散策マップと、これを見れば四国遍路に出発できるパンフレットを作り、これを見れば私の総てのネット配信も検索できるパンフレット(裏表)をコンパクトに折り曲げて手渡すことになりました。
 

パンフレット3種 大・中・小

上高地散策マップの二つ折り

私の発信元の案内 表紙上

この半面(表紙下)だけで四国が巡拝できます

 

たかだかA4番の表紙上だけで、私のHPや毎日発信しているブログとFacebook からプロフィール、そして肉親の横井庄一さんや昭和63年からスタートした朝日旅行友の会から私の旅先や遍路記録、そしてこれを見るだけで旅立てる情報がQRコードから検索できます。

 

手帳にも入ります

 
現役を引退したセカンドライフながら、上高地や四国遍路だけでなく、移送のボランティアや民生委員などに加え、昨年から復刊したミニコミ紙(朝日新聞折り込み)の発行で、現役時代より出会う機会が増えており、これからは名刺代わりに手渡していきます。
 
上高地のビジターセンター前で、望遠鏡から山の解説をしていますが、大正池から案内パンフレットも持たず歩いてきて、「何処かお勧めの場所」を聞かれることも多く、穂高の山頂が雲に隠れる日もあるため、そんな時は上高地の散策マップを持参して大正池か田代橋でガイドに立ち、四国遍路に興味ある人にもパンフレットを手渡して案内したいと思っています。
 
本当にこれがセカンドライフと言うよりも、現役時代のキャッチフレーズ「カムバック津島」にしていくような気持にして健康長寿を目指していきます。
 
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午前5時14分 津島市下切町 

 

2ヵ月に一度だけの1位

 
先月から5日目となる早朝のミニコミ紙「あるさとアサヒ」の戸別配達ですが、先月19日に登頂した御嶽山の疲れと足の痛みが残り、これまで経験したことのない腰の悲鳴となりましたが、何とか残した4日分の配付を終えて一週間後の上高地は万全な体調で訪れたいものです。
 
2015年7月3日の一言

 

私が子供の頃から通っていた理髪店は、11年前に店主の事故と大病によって廃業されてしまいましたが、それまでは黙って座っておればいつも通りに散髪が終わり、自分の人相の悪さを自覚して理髪店への不満は何もありませんでした。

 
2020年6月28日の一言

 

ところが、それ以来チェーン店の理髪店に通うようになりましたが、多くの店員は抱えているものの、店員の移動も多く、毎回同じ店員に散髪してもらったこともなく、毎回散髪後にストレスを抱えていました。

 

毎回「どのように切りますか?」とは聞かれるものの、「長くしてくれ」と長髪を依頼したつもりが、長く切って短くされてしまったり、「このままのイメージで」と言うと、ほとんど切られないままに終わったり、低価格のため仕方ないと思っていましたが…

 

春の叙勲により皇居で天皇陛下の拝謁を受ける直前に行くと、高校時代から一度もしたことのないバリカンによる刈り上げ姿にされ、短く刈られた部位は真っ白な白髪状態になり、何度も黒く染めたもののカツラを被っているような姿にされてしまいました。

 

損害賠償でもしてもらいたい心境でしたが、左側を大幅に刈り上げられ、半分はそのままにはできないため、刈り上げ頭を見る度にストレスが溜まり、何とか2ヵ月かかって横と後ろも長くなってきました。

 

ところが、上高地へ行く前に散髪をしたいと自分で切っても不揃いとなり、かと言って前の店には行きたくないため困っていると、理髪店に行ってきた8歳の孫に「ボクの行っている理髪店は良いよ」と勧められ、昨晩には店の営業時間も連絡をくれたため本日行ってきました。

 

 

980円理髪店です

となりの軽食と団子のお店

私の大好物です

缶コーラも最高

理髪店の隣です

やっと店内へ

 
980円という低価格のためか2時間半の待ち時間と言われましたが、ショッピングセンター内のため、となりにある軽食コーナーでランチと決め、自宅から家内を呼んで食事と買い物で時間を調整しました。ちなみに、孫は30分程度の待ち時間と言っていましたが、近くにはマクドナルドもあり苦痛にはならないようです。
 
低価格の理髪店ではあるものの、店員さんは熟練の女性たちのため、無言のまま通っていた前の店とは違い、あれこれ聞いてくれるため土台の顔は何ともなりませんが久々にストレスのない散髪となりました。
 
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津島市内神守町 午前5時
 
ミニコミ紙ふるさとアサヒを毎朝配達する生活が続きますが、2日前から10歳になった小鳥が不調のため、起床した直後に安否を確認し、配達した後に何とか元気な姿を確認したものの、午後に外出しようとするともう1羽の「ヒーちゃん」が鳴き続けており、確認すると「ムーちゃん」が虹の橋を渡っていました。
 
まだ柔らかく冷たくなっていないので旅立った直後と思われ、10年前の5羽から2羽になっていたため、残された「ヒーちゃん」のストレスは大きく、カゴから出してエサのワームを与えましたが、しばらくは愛猫クーの存在は無視してでもヒーちゃんの相手をしてやりたいと思います。
 
ムーちゃんは10年前の4月に兄弟のボクとともに我家に来ましたが、そのボクは4年前の9月に先立っており、昨年8月に旅立ったチーちゃん以来の悲しみは、私の胃腸に大きなダメージとなりました。
 
2022年9時2日の一言
あんなににぎやかだった私の2階の事務所は、唯一の手乗りとなった「ヒーちゃん」と愛猫クーとの緊張関係が続きますが、ヒーちゃんのためにはペットショップに依頼して、目が開く直前のブンチョーかキンカチョウのヒナを家族に迎えようと思います。
 

愛西市の蓮田

 

 

 

 

 

 

 
12日前に御嶽山山頂に登頂した際に、私の老体には足腰に大きなダメージを残し、その後の愛知運輸支局へ提出した書類に不備があり、昨日修正した書類を郵送しましたが、ハードスケジュールに身体のダメージが加わり、現役とは違う年金暮らしとは言え、凡ミスが目立ち、学生時代に起業した新聞販売店で馴れたはずの早朝の配達にも身体が悲鳴をあげるようになりました。
 
送れるミニコミ紙配布についても、熱心なご愛読者や関係者から遅れの指摘を受け、本日は市内から愛西市まで出向いて留守宅へはポストに投函して帰宅しました。
 
明日からは8月に入り、8日からは上高地に滞在予定となっているため、それまでにミニコミ紙の配布を終え、気分を一新して行動したいものですが、上高地から帰宅するとお寺のお盆の行事が待っており、知人との約束も棚上げしないと四国遍路の予定も立てられません。
 
こんな生活を続けると、雪崩のように年末となり、気がつくと病院のベッドになっては堪らないので道草や寄り道は回避し、一日一日にホッとできるスケジュールへ背中の重しを外していきたいと思います。
 
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水田の周りの雑木とススキ

桑の木

ススキ

 

まずは草刈りへ

 

真夏の草刈りは大変です

 

大きな壁です

 

伐採中

 

伐採した枝葉

 

一年間でこれだけ生えました

 

使用する道具

 

伐採後の切り株

 

雑損だらけで終わりません

 

私は一年に一度の出動です

 

今度は畑へ

 

スイカ

 

小玉スイカ
 

緑から黄色へ

 

金のタマゴ

 

終わりかけのミニトマト

 

大量のウリ

 

これからのナス

 

 
毎年のことですが、水田には一切入らない私が一年に一度だけ出かけるのは、水田脇に生えてくる雑木の伐採で、毎年切っても切っても必ず生えてくる桑の木を切るため電動のこぎりを持参して家内に同行しました。
 
いつからこの桑の木が生えたかは判りませんが、毎年1回は必ず訪れて残酷にも1年かけて成長した枝を切るわけで、除草剤の原液をかけるとか、稲の収穫後にもみ殻を置いて燃やしてしまおうと思ったものの、息の根を止める気持ちにはなれません。
 
こんな生殺しも可哀そうかもしれず、家内に言われなければそのまま大きな大木にしても構いませんが、私が生きている間はこんな繰り返しが続きます。
 
2024年5月10日の一言

2021年7月18日の一言

 

久しぶりに訪れた畑でしたが、私の性格では熟した野菜や果物を切ることができず、旬を過ぎてからしか収穫できません。しばらくはスイカとウリで食べるものには困らないようですが、夏の猛暑のなかで多くの野菜が耐えて成長していました。