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舎心ケ嶽
2025年9月28日の一言

尊像前

 

一年前には四国遍路に出ており、太龍寺山にある空海が虚空蔵求聞持法を修行された舎心嶽の大師像の前に座っていたことを書き残した一言から確認しましたが、そのこと自体もすっかりと忘れており、昨日の歩き遍路友の会総会ではそれ以前となる過去の苦い体験を語っていました。今から19年前の話となります。19年も経過していたことにも驚きです。

 

今にして思えば詳細を書き残しておけば良かったと思いますが、日時も過去の一言を読み直して探さないと判らないものの、空海が百日にわたって修行した舎心ケ嶽で、お寺に声をかけて夜間に座ったことがありました。

 

平成19年に霊場会の先達に補任されましたが、その少し前に空海の真似事で午前0時過ぎまで尊像前の崖に座って虚空蔵菩薩のご真言を唱え続けようと、太龍寺のご住職に声をかけて座りました。

 

ただし、5時過ぎの最終ロープウェイが下りていってからの時間が長く、日が沈むと遠望に見えた山々も真っ暗となり、太龍寺から南方には何一つ灯りはなく、すぐに真っ暗な暗黒の世界になるとおちついて座っておれないようになります。

 

ご真言どころではなくなり、現在では存在しないオオカミの視線を感じ、後ろの尊像の目が光っているのではないかと振り返り、崖から前に落ちてしまうと誰も発見してくれないと思うと、誤って眠ってしまったら大変で、ひたすら真言を唱えるうちに、虚空蔵菩薩のご真言は大師宝号「南無大師遍照金剛」に変わっていました。

 

「今にして思うと」と記したのは、ここに何時から何時間座っていたか正確な時間が定かではなく、お寺に声までかけて座ったものの、暗くなってから3時間程度で怖くなって下山を始め、納経所の前も泥棒のように足音を消して車の置いてある麓まで下山しました。

 

そんなことからお寺に知られると恥ずかしいのと、人に知られたくなく当時のヤフーブログには記さなかった次第ですが、私の恥かき話として正確に記録しなかった後悔は大きく、それ以後10年ほど経過するまで、1200年まえの夜は真っ暗の世界だったと認識していました。

 

「空海はあんな暗闇の中で100日間も真言を唱えていた」とずっと思っていましたが、私が訪れた日は月の出ていない闇夜で、当時でも明るい満月の日もあり、私も満月の日に訪れればどんな心境になっていたか判りませんが、今にして思うと一人では怖くて座る心境にはなれません。


2024年9月28日の一言

 

毎年巡拝していた志賀弘法会の知多半島の巡拝も、昨年代表者が亡くなったことで2年前が最後の知多半島になってしまいました。

 2016年11月2日の一言

 

そして、志賀弘法会は10年前には車いすの代表とともに四国を巡拝しており、家内と2人で肩を貸して総ての大師堂の前まで参拝した思い出も、今後は2度と体験できないお遍路となりました。

 

過ぎた過去には戻れませんが、正確な記録は当時の様子を再現することができ、今は亡き知人の顔もよみがえってきます。

 
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午後5時36分 名鉄勝幡駅

午前11時36分 勝幡駅

午後12時22分 名古屋地下鉄新栄駅

駅から3分

愛知民主会館

 

体験談資料

記念写真

※ちょっとぼけていて申し訳ありません

 
一年に1回開催される「歩き遍路友の会東海」の総会が、本日名古屋市中区の愛知民主会館で開催され、集まった会員は9名と少なかったものの、19回も歩いて四国を廻った87歳になる葛原さんの体験談を現役遍路が新鮮に聞くことができました。
 
かつて50人から60人の会員数を誇った友の会ですが、会員の高齢化によって現役で歩くお遍路が居なくなり、3年前の総会で私が引き受けないと解散の危機に陥り、昨年からは参加自由で会費無料の友の会に生まれ変わりました。
 
以前は年会費を徴収し、総会の出欠席を確認するだけでなく、入会や脱会の手続きが必要でしたが、私が会長を引き受ける条件として、フェースブックやラインの参加者も会員として案内し、当日の自由参加もありに変更して現在に至りました。
 
私自身も最近は歩くことに固執せず、車のジェット巡拝と車中泊三昧になっており、四国を歩いて廻る仲間の存在は、お遍路の原点を偲ぶ機会ともなり、かつての会員は歩けなくなっているものの、11月29日に西国33番華厳寺の裏山にある谷汲山33か所を歩くことと、来年9月26日に総会を開催することを決めて散会しました。
 
本日は総会とは言え9人の参加で、かつての春日井市の社会福祉会館小ホールに40人近い会員が集まっていた当時とは比べられませんが、四国で出会ったご縁とフェースブックやラインなどネットでつながる先達クラス3人の参加は、今後の会運営に明るい光明が差してきたと思っています。
 
やみくもに歩くだけでなく、お遍路さんとしてよりハイレベルな巡拝を目指して、お遍路の道中で再会できれば幸いで、私自身が作っている「笑」の缶バッチの出会いとともに、友の会のメンバーと出会えるお遍路を目指していきます。
 
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アメリカザリガニ

 
「大鹿さん、あれっ」
  「何ですか?」
「道路の真ん中に🦞が」
  「そりゃ、助けなきゃー」
 
知人の車が突然止まって動かないため、何かと思うと道路の真ん中にアメリカザリガニが両手を広げており、慌てて救助に走ってつかみ上げると大きなハサミで指を挟まれ、これがGGになった指には痛いの何のって…
 
ここで、ジタバタするとザリガニのハサミが取れてしまうため、挟まれたままに道路端まで移動して川に逃がしてやりましたが、かつてなら我家に連れ帰って水槽に入れたものの、過去に何度も飼育した結果、ザリガニだけは最後が可哀そうなためそのまま逃がしてやった次第です。
 

2013年7月14日の一言

 

子供の頃には大量に繁殖し、川だけでなく水田や道端にもいたザリガニですが、水田の農薬によって数は減少しており、川を探しても見つからない希少な存在となっており、本日の一匹によって増加してくれれば幸いですね。

 

我家の畑に咲く彼岸花

ミニトマトの苗

冬越しさせるミニトマト

 

日本では一年草と言われるミニトマトですが、原産地のアンデス地方では暖かいため多年草で、我が家ではパイナップルも冬越しさせているため、今年は久しぶりに冬越しさせることを決めたものの、ホームセンターには時季外れで売られていませんでした。
 
そんな訳で、畑に発芽した苗(ひとり生え)を移植することにし、本日は半月前に救助した先輩となるミニトマトの横に植えましたが、基本的に収穫後の野菜は種を残しており、これからは救助して子孫をそのまま残してやりたいと思います。
 

自宅の裏庭に咲いていた彼岸花

庭から移植した木 センリョーかな

シクラメンの新芽

来年用のイチゴの苗

 
畑に行けば大量のイチゴがランナーを出しており、わざわざ自宅のプランターで伝承させることは無駄なようですが、自宅で増えたランナーの子供や孫と認識すると愛着がわいてくるので不思議なものです。
 

裏庭の青じそ

プランターの青じそ

 
我が家には青じそが大量に生えており、抜いても抜いても庭のいたるところから出ており、食べきれないため最近はバッタのエサと化しています。
 
 

9月18日に収穫されたキノコ

 
さて、四国遍路中に我が家ではキノコが収穫されており、今年はキノコの当たり年と言われているだけあって我が家も大量に採れたものの、私が居なかったため食べきれなかったと聞くと残念ですが、年内にもう一度出てくるのを待つしかありません。
 
最近は忙しいため裏庭に入ったことがなく、彼岸花を見るため入った裏庭から懐かしい草花を目にすることができました。
 
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津島市文化会館

玄関ホール

ふるさとアサヒを

 

市役所玄関入口ホール

 

ヨシヅヤ本店1階

 
本日は本日付で発行したふるさとアサヒが朝日新聞の朝刊に折り込まれたのを確認し、市役所や文化会館など置いていただける場所に届け、関係者に届けていると一日が経過してしまいましたが、明日も午前中から天候が悪そうなため、早朝の戸別配達は止めにして記事の関係者や届けることにします。
 
さて、出掛けた先ではどうしても昔話に花が咲き、私の出生地と同じ祖父江町の人との雑談では、昭和50年頃や父親の駅員時代となる昭和20年代までさかのぼり、そんな昔話から奇遇な出会いや境遇まで話題となると帰るに帰れなくなってしまいます。
 
毎日のスマホから、昨年のフェースブックや3年前の過去ログをシェアしないか案内がありますが、最近5年くらい前から全く変わり映えしない四国遍路しか出てこないため、10年前のヤフーブログ時代の一言を確認すると、さすがに62歳だったことからマイクロバスを運転して奈良県へ出かけていたことが判りました。
 
2016年9月25日の一言

10年前の一言です

 

運転したレンタカー

今は亡き少年時代からの仲間
 
すっかりとGGになってしまいましたが、10年前には低価格でマイクロバスを手配してくれる同級生がおり、「毎月何処かへ行こう」と言ってくれたため、開店閉業状態になっていた朝日旅行友の会のメンバーを誘って各地へ出かけていました。
 
今では大型バスやマイクロバスを運転することすらありませんが、当時は求められるままに遠方まで運転しており、楽しかった日々が甦ってくるものの、そもそもが四国遍路をスタートした平成13年には私の運転するマイクロバスで出かけていました。
 
 2024年1月15日の一言

 

そんな思い出も2年前に同級生が亡くなったことから、話はあるものの人を集めてまで旅立つ気持にもならず、多くのお遍路を運んだ四国へも、マイクロバスからワンボックスとなり、最近は軽自動車を使った一人旅となりました。

 
私の巡礼の記録
 
考えてみると、お遍路を始めたのは25年も前の話となり、当時は40代であったことからカーナビもないマイクロバスで出かけていましたが、15年前からは相棒リマ(愛犬)を同行させると宿には泊まれず、家族が同行しても私だけは車中泊になってしまいました。
 
朝日旅行友の会の旅先リスト
http://www1.clovernet.ne.jp/oshika18/newpage202.htm
 
朝日旅行友の会は昭和63年(今から38年前)から観光バスで会員募集からスタートし、最盛期はバス3台で旅程を楽しみましたが、宿泊を伴う小回りと行き先変更ができる旅程を求めて、25年前からは私が運転するマイクロバスの旅立ちとなりました。
 
そんな過去の行動について、時々確認し直さないと、数年前と思っていたことが10年前の話であり、行った先で宿泊した宿や行先自体があやふやとなり、何よりも同行した知人や仲間の多くは鬼籍に入っている現実を思い知らされました。
 
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第8番熊谷寺の山門付近

 

前夜(9月16日) 自宅(愛知県)19時発→24時15分道の駅いたの着 深夜12時を回ると高速道路は3割の深夜割引が適用されます。
 車中泊場所 道の駅いたの 
 
一日目 9月17日(木)
 第1番霊山寺~17番井戸寺 
  入浴 湯処あらたえ小松島店 小松島市立江町
      車中泊場所 立江川親水公園
※一番近い道の駅は少し離れますが公方の里なかがわ(阿南市那賀川町)も静かです。
 

安芸の海岸

二日目 9月18日(金)
 第18番恩山寺~26番金剛頂寺まで 
  入浴 たのたの温泉 安芸郡田野町
      車中泊場所 唐浜休憩所 安芸郡安田町
 ※神峯寺に近いため唐浜休憩所を選択しましたが、スペースが狭いため車の出入りするエンジン音が苦になり、少し離れても道の駅大山を利用した方がよさそうです。
 

足摺岬の夕暮れ

三日目 9月19日(土)
 第27番神峯寺~38番金剛福寺まで
  入浴 宿毛リゾート椰子の湯 宿毛市大島
      車中泊場所 宿毛大島憩いの広場 宿毛市大島
 

仙遊寺からの瀬戸内遠景

 
四日目 9月20日(日)
 第39番延光寺~53番円明寺まで
  入浴 清正の湯 今治市高橋甲
      車中泊場所 第54番延命寺駐車場
 
大興寺門前
 
五日目 9月21日(月)
 第54番延命寺~67番大興寺まで
  大興寺→山内石油(高瀬町)→三豊取鳥坂インター→瀬戸中央大橋→山陽道・中国道・名神・東名阪→蟹江インター→自宅(22時20分)
 
平成13年から始めた四国遍路の中で、車中泊は平成17年から行うようになりましたが、当初は道の駅に車中泊の車も無く、身をひそめるような車中泊だったものの、最近では都会のアパートのように車が満杯になってきました。
 
それだけではなく、一晩中空調のためエンジンを切らない車や、静かな環境を求めて離れた場所に駐車していても朝には両隣りに車が停められており、お遍路にとっては車中泊を楽しむことが目的ではなく、熟睡するには環境が著しく悪化してきました。
 
お遍路が目的のため、翌日最初に参拝するお寺の駐車場を車中泊場所にするのが一番で、朝目覚てすぐに参拝できる環境に勝る場所はありませんが、寺院に不審な心配をかけることなく駐車することと、手土産を持参する位の配慮をしないと車中泊禁止となってからでは停められなくなってしまいます。
 
次は来月の再開です。
 
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 我家のアサガオ
朝日新聞販売店
 
 私が四国遍路で家を空けていた6日間で、事務所入口に置いてあったアサガオの葉が枯れており、葉が無いため栄養が回ったのか花が咲いているものの、年越しさせたいと考えていたため、今後の成り行きが心配です。
 
私の留守中には愛犬と愛猫に加え、小鳥と小魚たちとカメも居ることから、家族に委ねるしかないものの、パイナップルやブーゲンビリアとともに、多くの植物もほとんど大丈夫ですが、アサガオだけは毎日の水やりが必要でした。
 
何とか回復して年越しさせたいものです(笑)
 

 
今治市でお土産として買い込んだ早摘みミカンです。今回は一度も休憩せぬまま自宅へ直行したため、四国唯一のお土産となりました。
 

 台所のリキ

 起床前のクー

 おはよう

 ボクもおはよう
 
四国でのお遍路ペースの余韻に浸っているものの、本日からは本来の現実に戻って、早朝からミニコミ紙「ふるさとアサヒ」を新聞に折り込むため朝日新聞販売店へ出かけたものの、車2台のオイル交換だけの一日となりました。
 
自分一人で四国三昧のシルバーウィークでしたが、最後の最終日は孫や家族と夕食に出かけることになりました。
 
さて、明日からはふるさとアサヒの配布場所へ届ける手配から配達が始まりますが、日曜日には歩き遍路友の会東海の総会があることから、しばらくは意識が四国遍路のままとなります。
 
子供の頃から愛犬と愛猫の居る生活環境でしたが、愛猫と一緒の部屋で寝る生活は初めてで、一緒に起床して自宅へ降りてくると、日中は愛犬が膝の上に居る一日はこれまでの人生でも初めての環境となりました。
 
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ふるさとアサヒ32号 1ページ

2ページ

3ページ

4ページ
 
昨晩6日ぶりに四国から自宅へ帰ると、印刷が完了して2日前に「ふるさとアサヒ」32号が届けられており、明日の朝に朝日新聞販売店へ持ち込み、週末からは自宅を中心として歩いて戸別配達を続けることになります。
 
2ヵ月に1回の発行ですが、広範囲(愛西市、津島市、あま市の一部、蟹江町)に配布されており、朝日新聞に折り込まれるだけでなく、各地の施設や珈琲店にも置かせてもらっているため、読んだご縁で連絡も入るようになり、私のセカンドライフ(上高地と四国遍路)にも大きく影響するようになってきました。
 
4年前に膠原病に罹患して以来、自分の好きな事しかせず、嫌な事は一切断ることを決めましたが、ふるさとアサヒは納得して原稿を記しているものの、地域から依頼される役務は苦痛しか感じず、そもそも頼まれることは私まで苦痛を共有させられます。
 
一方で、懐かしい先輩や仲間からの連絡もあり、父親の勤務先であった名鉄の重役さんたちからも誘われるため、それは昔話に花を咲かせることになります。
 
さて、16日の夜に出発した四国遍路も、昨日まで67ヶ寺を巡拝し33巡り目の巡拝に入りましたが、旧知の仲間や僧侶、先輩との再会もあり、新たな出会いも新鮮でしたが、読経以外は何一つ観光や道草もなく走り抜けてきたため、しばらくは頭の整理と反省も必要となってきます。
 
こんな生活では、死ぬ間際になっても整理を終えられない可能性も高く、かつては番外の空海ゆかりの地や、川下りや渦潮見物もしていたことから、年末までに出会った都合で立ち止まるお遍路も考えたいと思います。
 
今週の日曜日は歩き遍路友の会東海の総会が開催されますが、会員の高齢化により数人しか集まらない瀕死の団体に陥っているものの、今年はネットを通じた参加もあることから楽しみにしたいと思います。
 

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私の好きなお地蔵様
本日四国遍路の最終日は、第54番延命寺から67番大興寺まで巡拝して5日間のお遍路を終えました。

 

第54番延命寺山門

境内

缶バッチの新しい仲間
朝から一緒に巡拝していた岡山県の先達藤本さんが59番国分寺を最後にお遍路を終えて自宅へ帰られるためツーショットでお別れです(笑)
 
藤本さんはご夫婦で先達を務められ、今回も一緒に巡拝しておられましたが、今にして思えば奥様を待って4人で写真を撮れば良かったものの、自分本位の私は待つことができず、しまったと思っても後の祭りとなりました。
 
御夫婦には輪袈裟に「笑」の缶バッチを付けてもらいました。見かけたら声をかけあってください。
 

第58番仙遊寺

相棒リマの居ない看板

ご接待のぶどう
 
かつて、仙遊寺の看板に相棒リマと一緒に写真を撮ったことが忘れられず、自宅の庭に眠っているものの、ここにはリマが居るような感覚になり、毎回万が一は無いと判っていても、一緒に写っていそうな気持で自撮りとなります。
 

遠景

瀬戸内の島々
 
ご住職は愛知県の名古屋市出身で、新聞少年であったことや、山が好きで御嶽山の登山経験もあり、共通の話題に事欠かない貴重な僧侶になりました。境内から見える瀬戸内の島々は幻想的で、ここでゆっくりと遠景を楽しみたいと思っても、頭の中は次のお寺のことしか湧いてきません。
 

第63番吉祥寺

 

成就石

 

第60番 横峰寺駐車場の小鳥

ヤマガラ

 

第66番雲辺寺

本堂に秋の気配が

第67番大興寺山門

今回最後の階段

 

ここの風景も大好きなお地蔵様で、私の三男は高校時代に大興寺に近い自転車競技の高校女子チャンピオンのお宅に寝起きし、アトランタオリンピックの真鍋選手にも付いて走っていた地域と思うと懐かしい愛着も沸いてきます。

 

午後4時50分に大興寺を後にして、高瀬町でガソリンを給油後して三豊鳥坂インターから、瀬戸中央大橋、山陽道、中国道、名神、新名神と乗り継いで自宅には午後10時20分に到着しました。

 

家内から遅くなっても途中で休憩をとるように言われていますが、お遍路のジェット巡拝と同じく、一度も休憩することなく自宅までノンストップでしたが、車中泊は夜早く就寝しているため眠気がないままに帰宅できました。ただし、長距離運転のツケは明日以降の身体に蓄積されていきます。

 

今回32巡目のお遍路は、高知県の27番神峯寺で満願となっており、それ以降は33巡目のお遍路となり、年内に35巡目の満願を果たして新しい年を迎えたいと思っています。

 

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朝一番は第39番延光寺へ

宇和島第40.5番札所へ
人懐っこいニワトリたち
ツーショット(笑)

お遍路の札所と同じように必ず立ち寄ることにしている宇和島市の40.5番札所に立ち寄ると家人は不在で、留守番をしていたニワトリと記念撮影してきました。

我家では、私が生まれる前から私の中学生時代まで多くのニワトリが鶏卵のため飼われており、父親が小さなヒヨコたちを買ってくると、保温のため裸電球を入れた箱の中のヒヨコを覗いて遊んでいた懐かしい思い出がよみがえってきます。

昔の農家は当たり前のようにニワトリがいましたが、今では鶏卵業者そのものがなくなり、庭に放ちたいもののネコに狙われるのと、ヘビが寄ってくるため我家では禁句となっています。

昨日の八坂寺
本日孤独な八坂寺

昨日の松山市の芝さんから私のラインへ八坂寺で集まった(笑)の缶バッチを付けた仲間の集合写真が送られてきましたが、昨日ならさぞや楽しかったでしょうね(笑)

そして、本日は岩本寺が賑やかに
そして、土佐大日寺では天野さんとツーショット

本日は39番延光寺からスタートし、松山市内まで巡拝できればと思っていましたが、自分でも驚くスピードで走っており、45番岩屋寺では、午前12時50分に登り始め、本堂と大師堂の読経を終えた時に時計は1時11分をさしていました。

過去にもない速さで、今でも信じられない結果でした。途中で息切れした何度も立ち止まっていた過去を考えると、マラソン選手の気持ちです。

そんな訳で、松山市内の本堂は御真言だけに割愛して、猛ダッシュで第53番円明寺までたどり着きました(笑)

石手寺で三好大先達と

(笑)の缶バッチの御縁で、芝さんから言われていた石手寺山門にある食堂へ三好大先達を訪ねましたが、ここでリタイヤしても良いと思って立ち寄ったものの、予定を話したため、「急がないと間に合わない」と言われて一気に巡拝モードが加速して走っていました。

今度はゆっくりと訪れます(笑)

第53番円明寺本堂
大師堂
不動堂

さて、一昨日徳島の平等寺で一緒だった天野さんが、高知の大日寺で芝さんと出会った写真が送られてきて、私は現在愛媛県今治市に居ることを考えると悠久の時間を満悦している天野さんと別世界に居るような感覚に襲われました(笑)

実は、本日で愛知県へ帰ろうとも考えていたものの、ジェット巡拝モードに火がついて明日は香川県まで入ってから帰宅することにしました。

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安芸唐浜の海岸 高知県安芸市

高知県の海岸は荒々しい岩礁に砕け散る荒波もあれば、朝は穏やかな波音が清々しく押し寄せてきます。

安芸の海は穏やかで、心地よい眠りと清々しい目覚めを実感させられます。

第27番神峯寺
手水舎
境内の彼岸花

朝一番と言うか、朝とは言え、お遍路が誰一人居ない境内は寂しい反面で、無音の境内と清められた香炉や、きちんと並べられた手水舎の杓子など一日のスタートに相応しい環境が神峯寺にはありました。

第35番清瀧寺からの遠景

何とか足摺岬まで巡拝したいと、高知市内のお寺は昨日とは違い、ガツガツ、黙々と巡拝の足を進めました。

インターに近い35番清瀧寺を最後(36番は先に済ませました)に高知市とはお別れです(笑)

金剛福寺前の土産物店
満杯の駐車場とは対照的に閑古鳥が鳴いていました。
第38番金剛福寺
お大師と亀の出迎え
輝かしい夕陽
本堂
本日最後の参拝です

5時ギリギリの参拝を覚悟して走ってきましたが、午後4時30分前に到着し、ここも誰も参拝客が居なかったので、本堂で清々しく勤行を唱え出すと、寺の関係者と納経所の人が初めて訪れたご夫婦のお客さんを参拝中の私の本堂の前まで案内し、そのお客さんはその後も参拝中の私の前に立ったまま手を合わせたまま最後まで動きませんでした。

階段下でお経を唱えている私の真ん前で拝殿に立ち塞がる参拝はいかがなものかな?

本日は31番竹林寺の駐車場も満杯で、丘の上の駐車場から歩いての参拝となり、ほとんどはお寺以外の観光客で、足摺岬も多数のガードマンを配置して駐車場は満杯でしたが、参拝客と門前の土産物店は閑古鳥が泣いていました。

無料の駐車場に満杯の観光客が入っても、目前にある足摺岬のお店も潤う仕組みを考えないといずれはお店が無くなってしまいます。

昨日は出会いや再会がありましたが、本日は先を急いで足下ばかりを見るスピード巡拝だったためか、ほとんど人と話しておらず、こういう時は人の粗ばかりが目につき、自分自身も殺伐としてきます。

足摺岬
足湯から見える白山洞門

そんな訳で、最近立ち寄ったことがない足湯を訪れると、親切にしてもらったオバサンの姿も無かったものの、足摺岬の美しい夕暮れを見ることができ、まともな気持ちでお遍路を終えることができました。

明日は松山市まで入っていきます(笑)