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高野山一の橋

橋を渡ると…

弘法大師御廟までの参道

左を向くと…

白い巨塔が…

あゝ同期の桜の塔

 

昭和四十二年八月十六日、高野山一の橋の大圓院墓地に、昭和十八年学徒出陣で出征した第十四期海軍飛行予備学生の慰霊碑「あゝ同期の桜の塔」が建立されました。
この第十四期会については、海軍飛行予備学生第十四期会編『あゝ同期の桜 かえらざる青春の手記』、映画「あゝ同期の桜」(俳優 鶴田浩二主演)などで大きな反響を呼びました。
大圓院はその菩提所でもあり、毎年九月の第二土曜日、日曜日の二日間、慰霊祭を行い、世界が平和であるよう祈り続けています。

 

大圓院の公式ホームページ

 

その奥に歩を進めると…

鶴田浩二さんのお墓があります

小野家墓所

 
昨年10月以来となる鶴田浩二さんのお墓へ参拝です。平成20年にお墓の存在を知ってから毎年訪れており、私が高野山を訪れた際には必ず立ち寄る場所となっており、昨日から同行している志賀弘法会のメンバーも公認で、本日も「随分と長いお参りだったな」と言われましたが、高野山奥の院に鶴田さんのお墓が存在することは尊敬する人として誇りでもあります。
 

戒名

その奥には…

砲兵隊員の慰霊碑

まるで生きているかのように見えます

 

鶴田さんとあゝ同期の桜から海軍だけのイメージとなりますが、鶴田さんのお墓の後方には砲兵隊の慰霊碑があり、その横に並ぶ墓標はまるで元気な若者が整列しているかのように見え、戦争によってこれからの命を絶たれてしまった先輩たちを決して忘れてしまってはならないと改めて思います。

 

年月の経過は寂しいものがあり、高野山の観光ガイドが「映画に出ていた鶴田浩二のお墓」と敬称もなく案内する現実に、観光地化されて有名人のお墓が見世物にされているようで寂しさよりも悲しさが漂ってきます。

 

鶴田さんが存命であれば、勝手に墓前で言いたいことを言う私に、「君は何と無礼な奴なんだ」と叱られても仕方ありませんが、鶴田さんの同期の桜と言われた先人たちが、国のためと信じて自らの命を散らしていった歴史を、我々は忘れることなく伝承していくことで少しでも供養となれば幸いです。

 

宿坊の総持院

山門

午前5時30分

志賀弘法会の位牌

 
私は志賀弘法会から高野山や四国遍路へ行くため車の運転を依頼された関係でしたが、ここ数年間は私の車と運転が会存亡のカギとなり、車イスで四国の満願を果たすなど会運営と大きく関わってきたため、本日から志賀弘法会のメンバーに組み込まれ、私と家内は没後に弘法会の位牌に入れていただけることになりました。
 

総持院住職、宮田永明大僧正と記念写真

 

総持院住職、宮田永明大僧正は今年3月に弘法大師・空海の名代として1年間、高野山の重要な宗教行事を執り行う最高位の僧侶「寺務検校執行法印(じむけんぎょう しぎょうほういん)」の第525世法印に今年3月就任されました。
 

今回の高野山参拝は総寺院ご住職の法印就任のお祝いを主目的としており、過去70年にわたって総寺院を宿坊としてきた志賀弘法会にとっては遅れに遅れた訪問となりました。

 

境内のフジの古木

総寺院前の愛車

壇上伽藍のアジサイ

 
本日最後の参拝です。

苅萱堂

道の駅 柿の郷くどやま

日本一美味しい和歌山の桃

 
志賀弘法会はメンバーの年齢がほとんど80歳以上となっており、私と家内の運転と車イスの補助が無ければそのまま解散の危機になっしまうことから、参加するメンバーの健康管理も大変ですが、何よりも私が体調不良に陥らない節制が求められています。
 

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金剛峯寺
御在所サービスエリア
道の駅 針テラス
高野山奥之院
納経所横まで入れていただきました
奥之院御廟橋
水向け地蔵尊
納経所
金剛峯寺 正門
本堂
境内はバリアフリー
通用門
寺務所
車イスへの配慮です
女人堂前高野山入り口
女人堂
波切不動
宿坊 総持院境内

本日は名古屋市の志賀弘法会に同行して一年ぶりの高野山参拝となりましたが、車イスや足腰の悪い高齢者へのご配慮で、参道の長い奥之院は納経所横まで通行できる許可証をいただいての参拝となりました。

金剛峯寺についても、ご配慮によって正面の駐車場ではなく、納経所と通用門に近い寺務所を利用させていただけるため、車イスと高齢の志賀弘法会でも参拝が随分と楽になりました。

かつては、車イスを押して奥之院や金剛峯寺へ参拝していたことを考えると、ただただ感謝しかありません。

NHKの報道


弘法大師・空海の名代として1年間、高野山の重要な宗教行事を執り行う最高位の僧侶「寺務検校執行法印(じむけんぎょう しぎょうほういん)」に総持院の住職、宮田永明大僧正が今年3月に就任されました。


今回の志賀弘法会高野山参拝は第525世の法印に就任した「総持院」のご住職へのお祝いと挨拶をかねた訪問でもあります。


本日は奥之院と金剛峯寺に女人堂と波切不動を参拝し、午後3時に総持院へ到着してご住職とともに法印就任式や法会の動画を鑑賞させていただきました。


明日も高野山の一日となります。


今晩の献立表





本日の総持院精進料理

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70GGの挑戦

飛島村すこやかセンター

飛島すこやかセンター公式HP

 
令和どころか、平成になった直後から一度もプールに行ったことが無く、それどころか海水浴や川にも入ったこともない水嫌いの70歳GGが、本日健康目的で愛知県飛島村のすこやかセンターのプールに立ちました。
 

広いロビー

温水プール

65歳以上は200円

こっちは71GGyマン 自慢は〇首です

やっぱり…法螺貝吹きGさん

やったるどー

 

今から30年以上前の話となりますが、当時津島市の山田市長に市営プールのPTAへの宣伝と利用を誘われ、回数券まで買い込んで訪れたところ、最初の一日目に水温が低く風邪をひいてしまい、水温と室内温度を上げるように要望しました。

 

「寒くて風邪をひいてしまったので水温を上げて欲しい」

   「大鹿君、君は水泳をやった経験がないだろう」

「ありませんよ」

   「そうだろう、だからだ」

 

山田市長は、「水温が高くては水泳は暑くなって泳げない。だから水温は低くしないと水泳選手にはダメなんだ」と、水泳のできない私の要望どころか、水温や室温は高くしてはいけないと教員らしい説明に終始しました。

 

今にして思うと、こんな発想で造られたままのプールだったため、現代社会の健康志向にはマッチせず、利用者も少なく施設の修繕費用も捻出できないことから、津島市は市営プールどころかプールの無い中学校も当たり前とされてきました。

 

そんなことがあって、そして元々が水泳や水に入ることが好きではなかったため、我家は家族で海水浴やプールに行ったことがなく、キャンプやバンガローなど上高地や山方面しか行ったことがありませんでした。

 

ただし、最近は左腕や肩の動きが悪く、軟弱者のため厳しいトレーニングは続かず、ボーリングも年金暮らしには高額となり、65歳以上は200円で利用できる飛島温水プールに行くことになりましたが、津島市のプール(現在閉鎖中)とは違って施設がダントツに良く、冬でも風邪をひくことなく利用できそうです。

 

本日は泳げないと思っていましたが、25メートルコースを3往復し、歩行コースも歩いて1時間30分滞在しました。ほど良い運動量と思われます。

 

産直売り場

現在準備中

図書館

 
このすこやかセンターには温水プールの他に、スポーツジムや図書館も併設されており、我家から30分で到着し、一緒に同行する法螺貝吹きオジサンの住まいからも30分の中間地点となることから、これからはボーリングと並行して毎週訪れることになりそうです。
 

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窓の向こう側のヤモリ

 
かつて我家のヤモリは、私が夜遅くまで電気を付けていた事務所の窓に毎晩出没していましたが、息子が私の事務所で接骨院を開業(2016年6月)し、夜8時には電気を消してしまうため、居場所を替えて自宅の台所に出没するようになりました。
 
毎日目にすると居ることが当たり前となり、姿を見せないと家族が心配するようになり、幸いにして連日親子や孫と思われる小さなヤモリが出てくるとわが家にも安心感が漂ってきます。
 
昨年 2023年7月24日の一言

その前日7月23日の一言

 

1年前にも四国遍路の燃え尽き症候群と表現し、その前日には巡礼の記録を書き残しており、本日は昨年からの巡拝記録をまとめてみました。

 

昨年秋からの参拝の記録
9月
  3日 太郎坊宮 臨済宗瓦屋禅寺 滋賀県東近江市
 11日 御嶽山霊神場 長野県
 14日~18日 四国遍路 16巡目満願
 21日 阿息観 津島市弘盛寺
10月
  7日~8日 四国遍路 志賀弘法会88番~70番
 21日 阿息観 津島市弘盛寺
 28日 高野山
11月 
  1日 聖天祭 大福田寺 桑名市
  6日 御嶽山霊神場 長野県
 15日~20日 四国遍路 17巡目満願
 21日 阿息観 津島市弘盛寺
 27日 行基寺 岐阜県南濃町(海津市)
12月
  1日 聖天祭 大福田寺 桑名市
  6日~11日 四国遍路 18巡目満願
 14日 八事興正寺 名古屋市
 18日 南円堂 西国三十三所 奈良県興福寺
 21日 納め弘法と阿息観 津島市弘盛寺
 31日 除夜の鐘 大福田寺 桑名市
1月
  1日 初春祈願 大福田寺 桑名市
  7日 豊川稲荷 進雄神社 徳城寺 三明寺 愛知県豊川市
 21日 初弘法会 阿息観 津島市弘盛寺
 28日 お千代保稲荷と弘法堂 岐阜県海津市
 31日~四国遍路へ
2月
  5日まで 四国遍路 19巡目満願
 11日~13日 家族で四国遍路
 14日 甚目寺観音 愛知県あま市
 21日 阿息観 津島市弘盛寺
 24日 魚山宝泉院 京都大原
3月 
  1日 聖天祭 大福田寺 桑名市
  6日~11日 四国遍路 21巡目満願
 21日 阿息観 津島市弘盛寺
 30日 志賀弘法会知多半島八十八ケ所 愛知県
4月
  1日~6日 四国遍路 22巡目満願
 13日 志賀弘法会知多半島八十八ケ所 愛知県
 17日~19日 四国遍路と善通寺へ
 21日 白山龍鳴会法螺貝講習会 愛知県豊川市財賀寺
 27日 御嶽山霊神場と弘法堂
5月
  1日 聖天祭 桑名市大福田寺 一灸さん 津島市弘盛寺
  3日~5日 西条市極楽寺大祭 家族で四国遍路
 16日~20日 四国遍路 23巡目満願
 21日 阿息観 津島市弘盛寺
6月
  1日 志賀弘法会知多半島八十八ケ所 愛知県
 10日 御嶽山霊神場と弘法堂
 16日 白山龍鳴会法螺貝講習会 愛知県豊川市財賀寺
 21日 阿息観 津島市弘盛寺
 26日~ 四国遍路 
7月
  2日まで 四国遍路 24巡目満願
 13日~15日 家族で四国遍路 20巡目満願
 20日 御嶽山霊神場と弘法堂
 25日~26日 高野山志賀弘法会 (予定)
8月1日 聖天祭 桑名市大福田寺 (予定)
 
 

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明神分岐の道標

徳沢方面への道

河童橋方面 梓川左岸は通行止

サルは通行止めも関係なし(笑)

明神館前のベンチ

明神館

明神橋 左岸

右岸へ渡りました

梓川

 

穂高神社奥宮の鳥居
明神池
二之池

梓川右岸から河童橋方面へ

せせらぎ

焼見河原

岳沢湿原へ

湿原

ここからはオシドリのヒナたち

 

 

 

 

 

 

 

鳥たちの楽園です

岳沢湿原と六百山

木道

鑑賞台

まもなく河童橋へ到着

明神方面への入口 梓川右岸

梓川へ

河童橋右岸側

明神岳

河童橋

 
土曜日(20日)は午前中雨となり、午後には太陽の陽射しが差しましたが、上高地のシンボル穂高連峰は終日雲に隠れたままで、河童橋から明神方面へ歩く梓川左岸道(上流から見て左側)は山崩れで通行できず、初めて訪れた観光客には蒸し暑い一日となってしまったと思われます。
 
しかし、人間にとっては最悪の環境も、上高地に生える植物や野鳥たちにとっては最高の楽園となり、岳沢湿原ではオシドリのヒナたちが水面を行き来して、一生懸命エサを食べる姿にしばし時間を忘れてたたずみました。
 
美しい水に恵まれた上高地では、岳沢湿原だけでなく小梨平の中川や、河童橋の近くでもこの時期にはオシドリやマガモのヒナが見られ、北海道以外では上高地にしか生えていない希少な植物が一斉に花を咲かせていきます。
 
もっとも、毎日のように目撃されるクマ情報にびっくりされる観光客もありますが、過去の2件の人身事故の原因は人間にあり、最初の1件はテントに夕食で残った食料を持ち込み、その匂いでクマがエサを採ろうとしたした事故で、昨年の事故は突然遭遇したクマを外国人観光客が先に殴りかかって反撃されたものでした。
 
上高地は元々がクマやニホンザルの生息地で、クマ鈴や大声で人間の存在を認識させればクマは寄ってはこず、上高地のニホンザルも町の公園や人間のエサをもらっている集団とは違って人に寄ってくることもありません。
 
この恵まれた上高地の自然環境に感謝し、観光客は荒天には来ませんが、野生動物や野鳥はどんなに厳しい天候にも耐えて上高地で生活しており、我々は彼らの縄張りに入れてもらっているくらいの気持ちが必要です。
 
晴天時には気づかない自然環境の魅力を、雨天で蒸し暑い一日によって再認識させられたようにも思います。
 

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インフォメーションセンター2階

 
「大鹿さん、急いでみえますか?」
  「何かありますか?」
「2階の写真展の中に渡辺さんの写真があるんです」
  「そりゃー、ありがたい」
 
昨日の上高地インフォメーションセンターでの会話ですが、バスターミナル前のインフォメーション2階で開催されている写真展に、今年から失明して上高地へ来れなくなった渡辺画伯の写真が展示されているとの情報でした。
 

佐藤善樹写真展の案内

会場

会場

渡辺さんの写真

名物大画伯との紹介です

4年前の写真です

 
渡辺さんの写真を案内された写真展でしたが、上高地の深夜の星空や幻想的な写真が多数展示されており、個人的に是非とも鑑賞して欲しい内容のため、これから上高地を訪れる方にはインフォメーション2階まで足を運んでくだされば幸いです。
 
今年になって私宛に山と渓谷社から連絡があり、山と渓谷五月号に上高地の名物画伯として紹介されましたが、今月初めにもテレビ東京から渡辺さんをテレビで紹介したいと連絡があり、年内に画面から放映されることになりました。
 
今から10年以上前の話となりますが、私の発信するヤフーブログで「ホームレス画伯」として紹介したことで、海外からも渡辺さんを訪ねる登山者や観光客が出現し、最近では毎年どこかのテレビや新聞で紹介されるようになりました。
 
今年2月に失明した渡辺画伯は、5月に小梨平にあった荷物をすべて撤収してしまいましたが、私と渡辺さんの関係を知る知人から未だに連絡が入り、その都度渡辺さんと連絡を取り合うため、現実には不在となっている上高地に居るかのような感覚になってしまいます。
 
「もう、四国から帰っているだか?」
  「今晩から上高地へ走って行こうと今準備中」
「例のテレビ局から連絡があって…」
  「また、連絡するから」

上高地へ走る直前(金曜日)に渡辺画伯から電話がありました(笑)
 
その翌日(土曜日)の早朝の話です。

 

昨日早朝のラインです。

 

発信者は渡辺画伯の旧知の友人であり元脳外科医のUさんで、上高地や登山へ修験者の白衣姿で行動する知る人ぞ知る有名人で、数日前から滞在する上高地から帰る前に、珈琲でも飲んで雑談しようと連絡があり、宿泊されていた西糸屋山荘まで出かけました。

 

Uさんは上高地や北アルプスだけでなく、四国を何度も歩いてお遍路されていた私の大先輩でもあり、渡辺さんが上高地へテントで長期滞在して油絵を描きかけた初期からの知り合いで、私は白衣姿に感動して納め札を交換してきました。

 

西糸屋山荘で昨日のーショット

 

上高地で出会うだけでなく、終の棲家とされた京都でも東寺に近く、ご本人は尺八の奏者でもあり、お遍路や修験道の大先輩となることから、最近はラインでも情報交換するような関係になりましたが、上高地と四国に共通する数少ない先人ともなります。

 

昨年5月のUさんと渡辺画伯

小梨平のUさんと渡辺画伯

 
私にとっては兄貴分のような渡辺さんですが、小梨平のテント生活から隣組やご近所付き合いとなり、千葉県の自宅まで訪れる家族付き合いとなりましたが、雑誌やテレビの物珍しさだけでなく、未だに上高地では交流のあった人々に渡辺さんの姿が残されています。

河童橋周辺の足元に残された渡辺画伯の落とした油絵具の色からは寂しさを感じます。
 

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ビジターセンター前
環境省PVガイド研修会のスタートです

通行止めの梓川左岸

風穴まで入りました

風穴

小梨平

河童橋

梓川右岸
 
上高地の明神方面へのガイドは、普通は環境省ビジターセンターから清水橋へ戻り、その後は梓川の左岸から明神方面へ案内して行きますが、今年繰り返された豪雨により土砂崩れが起こり、一時復旧されたものの再度の土砂崩れで、年内の復旧は難しく現在は大正池方面へのガイドが行われています。
 
本日は梓川右岸(上流から見て右側)を明神まで研修が行われました。
 

 

木道

岳沢湿原

 

 

 


 

目的地は明神池まで

明神橋

現地解散

本日の上高地は朝から激しい雨が降っていましたが、雨だから座学にというような甘い発想は皆無で、カッパや傘をさしての研修会になったものの、幸いにも雨は一時間であがり、途中は蒸し暑く、目的地の明神池到着時は晴れ間も出てきました。
 
現在上高地の明神方面への道路は、梓川左岸が土砂崩れで復旧のめども立っておらず、立ち入り禁止となっている小梨平から百メートル先にある風穴まで入り、普段はガイドしない梓川右岸を河童橋から明神池までの研修となりました。
 
天候が回復し、このまま帰るのは辛いものがありますが、明日は地元で所用があるため、午後四時から沢渡まで下り、藪原経由で御嶽山霊神場まで走り、霊神碑と弘法堂に参拝後に愛知県まで戻りました。帰宅は午後9時20分。
 
その他の行動は明日に添付します。
 

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 一宮インター近く

一宮IC 6時03分

一宮サービスエリア
岐阜県へ
雨は上がりました
恵那インターを越えて

恵那峡サービスエリアへ
夕焼け空
午後6時55分
道の駅 きそむら 午後8時20分
沢渡足湯公園 午後9時50分

明日上高地で開催される ガイド 研修会に参加するため 本日は夕方より 上高地の麓にあたる沢渡まで走ってきました。

明日1日だけの行事のため、朝早く出発しても十分に間に合うとは思いますが、個人的趣向である 車中泊で前日から旅立ちました。

明日の天候は悪そうですが、小雨 程度であることを祈るばかりです(笑)

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本日は名古屋法務局へ

運輸局と厚生局の合同庁舎です

3階窓口へ

 

法人の担当窓口

 

手書きで補正しました

 
私の住む津島市にも法務局の支所があり、かつては法人部門の相談や申請も対応していたものの、現在は名古屋まで出向かないと担当しておらず、自宅のパソコンでも対応できそうですが、上高地への旅立ち前に済ませたいため出向きました。
 
NPO法人というと簡単に思われますが、法務局や愛知県への報告など、70歳のGGには大変と言うよりも、愛知県で将来消滅する自治体の一番に挙げられている津島市には、NPO法人の申請どころか相談できる窓口もなく、県民法人税の申告すら一宮市まで出かけないとできません。
 
法人を設立した15年前には苦痛とも思わなかったパソコンでの入力も間違いが増え、簡単に作成はできるものの間違いの訂正ばかりで、名古屋市まで出向いてでも、窓口で指導されながら手書きで補正したほうが確実となりました。
 
最近の出先機関は私の住む津島市役所よりも、愛知県や国の出先機関となる法務局や運輸局の方が、電話でも判りやすく(GGへの説明は大変ですが)応対してくれ、本日も窓口でマンツーマンで指導してもらいました。
 
今年は法人の整理と、ずさんな過去の手続きの訂正も急務となりました。
 
 

本日の名鉄電車
 

動画です

 
私の子供の頃に父親が名鉄電車の運転手をしており、次々と通過する電車を眺めていると時間の経過を忘れ、学校をズル休みしていた少年時代は、夕暮れ時に遠くの橋梁を渡る電車の音から自宅へ帰っていたことが懐かしく思い起こされます。
 
列車が新しくなり、レールの継ぎ目も減って、線路からガタンゴトンという音はしなくなったものの、客席との仕切りもないオンボロ電車を運転していた父親が見ていた線路の景色は一緒で、電車を見ている時だけはストレスが無くなります。
 
私の妹が名鉄の職員のため、無料で行きたい駅まで乗車できる家族券が支給されており、毎月利用して降り立ったことのない場所まで行きたいと思っているものの、四国遍路や上高地なで遠くまで出かけ、身体を休めていると電車に乗る機会は失せてしまいます。
 
明日には上高地へ走り、来週には高野山が予定されていますが、7月中に電車に乗って一度も降りたことのない駅へ行きたいと思います。
 

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松山道 伊予灘SA

松山市 第52番太山寺前
 
6月25日から24巡目の遍路に出掛け今月2日に愛知県へ戻りましたが、先週の3連休には公認先達の推薦寺院でもある太山寺へ出向く用事があり、逆打ちで88番大窪寺から66番雲辺寺まで巡拝し、気になった別格8番と12番のお寺も立ち寄りました。
 
さすがに、梅雨時に2回とも台風並みの雨や線状降水帯に入るお遍路は苦痛で、それでも来月の予定を考えてしまう頭の回路は異常と思われ、幸いにも今週末から8月は上高地の行事日程が予定されているため、四国病のリハビリから暫くは上高地病に罹患したいと思います(笑)
 

今月1日に出会った同病者

 
「こんな大雨でもお遍路さんは行くんだぁ」と、朝一番で車を降りて参拝し終わった私と会話を交わしたのは、同じ愛知県のお遍路さんで、納経所の開く10分前にお寺へ向かう私の姿を眺め、小雨になった私の参拝後に雑談に花を咲かせました。
 
「私は膠原病の患者なんですよ」
   「私も病気ですよ」
「えっ、何の病気なんですか?」
   「四国病なんですよ」
「それじゃー、私と一緒だ」 (笑) (笑) (笑)
 
私が駐車場に到着する前から車内で待機されており、私の参拝後に車から参拝に向かうスローペースですが、時間のノルマのないお遍路三昧の生活で、同じ四国病でも私のようなジェット巡拝とは違うお遍路病で、私はこんな人を見つけると時間を忘れて話し込んでしまうのも病気かも知れません。
 

この人も同病の仲間です

 
「お父さん、早く、早く」と急かすのは家内の声で、普段はグズグズする家内に私がかける言葉ですが、先週土曜日に別格12番延命寺の納経所から帰る時に、一生懸命急かす手招きは本堂にから聞こえきた尺八の奏者に私を会わせたくないためでした。
 
この人は尺八を吹いて霊場を参拝している広島県の知人で、5月の家族と一緒のお遍路でも長話で30分ほど家族を待たせていました(笑)

それでも長話になってしまうのが四国病で、雨も気にせず傘もささずに雑談に花を咲かせ、私が練習中の法螺貝が上達したら一緒に四国を廻る約束で散会となりました(笑)
 

私の納経帳

今回から付箋を付けました

 
さて、真っ赤になった納経帳を持つお遍路の先人も見かけますが、最近の私の納経帳でも自分のお寺のページが探せない納経所があり、今回も自分で探してくれと言われたお寺もありました。

そんな訳で、10番ごとに目安   となる付箋に番号を付けました。

次は上高地病の合間のお遍路を楽しみたいと思っています(笑)