尊像前
一年前には四国遍路に出ており、太龍寺山にある空海が虚空蔵求聞持法を修行された舎心嶽の大師像の前に座っていたことを書き残した一言から確認しましたが、そのこと自体もすっかりと忘れており、昨日の歩き遍路友の会総会ではそれ以前となる過去の苦い体験を語っていました。今から19年前の話となります。19年も経過していたことにも驚きです。
今にして思えば詳細を書き残しておけば良かったと思いますが、日時も過去の一言を読み直して探さないと判らないものの、空海が百日にわたって修行した舎心ケ嶽で、お寺に声をかけて夜間に座ったことがありました。
平成19年に霊場会の先達に補任されましたが、その少し前に空海の真似事で午前0時過ぎまで尊像前の崖に座って虚空蔵菩薩のご真言を唱え続けようと、太龍寺のご住職に声をかけて座りました。
ただし、5時過ぎの最終ロープウェイが下りていってからの時間が長く、日が沈むと遠望に見えた山々も真っ暗となり、太龍寺から南方には何一つ灯りはなく、すぐに真っ暗な暗黒の世界になるとおちついて座っておれないようになります。
ご真言どころではなくなり、現在では存在しないオオカミの視線を感じ、後ろの尊像の目が光っているのではないかと振り返り、崖から前に落ちてしまうと誰も発見してくれないと思うと、誤って眠ってしまったら大変で、ひたすら真言を唱えるうちに、虚空蔵菩薩のご真言は大師宝号「南無大師遍照金剛」に変わっていました。
「今にして思うと」と記したのは、ここに何時から何時間座っていたか正確な時間が定かではなく、お寺に声までかけて座ったものの、暗くなってから3時間程度で怖くなって下山を始め、納経所の前も泥棒のように足音を消して車の置いてある麓まで下山しました。
そんなことからお寺に知られると恥ずかしいのと、人に知られたくなく当時のヤフーブログには記さなかった次第ですが、私の恥かき話として正確に記録しなかった後悔は大きく、それ以後10年ほど経過するまで、1200年まえの夜は真っ暗の世界だったと認識していました。
「空海はあんな暗闇の中で100日間も真言を唱えていた」とずっと思っていましたが、私が訪れた日は月の出ていない闇夜で、当時でも明るい満月の日もあり、私も満月の日に訪れればどんな心境になっていたか判りませんが、今にして思うと一人では怖くて座る心境にはなれません。
2016年11月2日の一言
そして、志賀弘法会は10年前には車いすの代表とともに四国を巡拝しており、家内と2人で肩を貸して総ての大師堂の前まで参拝した思い出も、今後は2度と体験できないお遍路となりました。
過ぎた過去には戻れませんが、正確な記録は当時の様子を再現することができ、今は亡き知人の顔もよみがえってきます。

































































































