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立川談慶さん
 

散歩中の名鉄電車

 
本日は午前中に一人の患者さんを病院へ搬送迎しただけで午後にマックとスーパーに出向く平凡な一日となりました。もっとも、自宅でのんびりしていたことで、来月に志賀弘法会のメンバーと高野山へ同行して行くことになりました。

 

さて、…

先週入手した本

立川談慶師匠

サイン

 

「大鹿一八さん?」

   「かずやと読みます」

「一八は僕の本の中にも登場しているよ」

 

先週土曜日に参加した落語会で、立川談慶師匠の本にサインをいただいた時の会話ですが、貼付した古典落語面白キャラの味わい方の中で、第五章に「落語ならではの超強烈キャラ」として登場していました。

 

私のことではないことは判っていても、多くの落語に登場する「一八」を幼少期から少年時代に聞いていたら、少なからず私の人生にも影響していた可能性は高く、今にして思うともっと落語で語られる「一八」らしく生きてこれば良かったとも思われます。

 

「一八」は落語では「ヨイショだけで世の中を調子良く生きる」人物として、「前座クラスのごますり」として、失敗ばかりがつきものの落語に数多く登場すると紹介されていますが、「一八」が登場する落語から人生訓へ結ばれています。

 

「どんなことにも挑んでいってみろ。しくじったらしくじったらで謝っちまえばいい。そこで痛い目に遭ったという経験は将来の糧になるはずだ」というビジネス書にも負けない素晴らしい言葉が浮かび上がってきそうな」と記されています。

 

そして、「本当の失敗は安全運転だけに終始して、何も起こさないことなのかもしれません。つまり失敗をすることが失敗なのではなく、失敗を恐れて自分の行動にブレーキをかけて挑戦しなくなることこそ本当の失敗と呼ぶのではないでしょうか」と結ばれています。

 

一八の一言

いやあ、もう、生きてゆくだけで精一杯ですよ。明日世界が終わるとしても、見境なくゴマすりを続けます。それしかない。

 

頑張れ一八、失敗したら泣いて謝ればいいさ。泣いた後には必ず虹がかかるさ。

 

今から30年ほど前の話となりますが、伊勢戦国時代村がオープンした時に、芝居小屋の時代劇に「一八」が登場し、観客を笑わせていましたが、私は思わずティシュに包んだ50円玉のオヒネリを舞台に投げていた懐かしい思い出もありました。

 

 
写真を撮る時に、「笑って」と言われても笑えないだけでなく、笑ったつもりが怒ったような写真映りが悩みの為、記念の写真を撮る前に師匠に聞くと…
 
「そんな時は舌を出して」
   「えっ? 舌って」
「ベロを出せば良いよ」
 
貼付したツーショットはそのアドバイスで撮影された写真です。
 
残されたオマケ(笑)となる私の人生にも、まだまだ経験したことのない体験ができそうな気になってきました。