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6月10日(3日前)の御嶽山
山の駅 里宮
御嶽神社 里宮本社
鳥居から拝殿へ
延々と続きます
やっと拝殿へ
過去の先達の姿を偲んで参拝
御嶽古道 二合目へ
参道を降ります
上高地のパークボランティアになってから、愛知県へ帰る道中の道草と言うか、寄り道としているのが御嶽山の霊神場への参拝で、私の祖父が先達を務めた明栄講の霊神場と弘法大師が奉られている弘法堂へ参拝しています。
毎回上高地を3時過ぎに出発し、夕暮れに御嶽山を訪れて参拝するため、時期によっては真っ暗になってしまいますが、祖父が先達を務めた霊神場で、講祖と祖父や知り合いの先達さんに参拝し、隣の霊神場にある我家の新屋の霊神碑や、地元でお世話になった元郵便局長の石碑に参拝してから弘法堂へ参拝に向かいます。
かつては夏山だけでなく、真冬の1月でも巡拝するバスが列をなした御嶽山ですが、最近は参拝する信者と会うことはほとんど無く、私は昨年1月以来参拝する人と出会ったこともなく、信者である先達の霊魂が帰っているとされる霊神碑も倒れたり傾いたままになっています。
23年1月15日の一言
御嶽山には愛知県の信者の石碑も多く、各地に滝行のための滝も残されていますが、誰も居ない修行は滝の上から何が落ちてくるかも判らず、朽ちかけた弘法堂での参拝は、通行する観光客から奇異の目で見られてしまいます。
祖父は亡くなる半年前の厳冬期に、100日間水をかぶる大祭の修行を行っており、生活そのものが御嶽山の先達だっただけに、現在の御嶽山が信じられないものの、信仰の対象が分かりにくいことと、医術の発展や科学万能の時代に先達が対応できなかったなど、個人的には思い当たるものの、ここまで荒廃すると隆興は考えられません。
何よりも私に残された時間も限られており、崇拝する弘法大師や修験道の先人の足跡をたどりながら、四国遍路の延伸上に御嶽山も存在し、上高地や穂高連峰の中でも弘法大師の声に耳をすませていきます。