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仕事専用のパソコン

 
週末に上高地へ行くことが決まっており、来週は民生委員の仕事や週末の法螺貝講習会などスケジュールが満杯状態になっているため、本日はNPO法人の愛知県へ提出する事業報告書を仕上げるためパソコンの前で一日が終わってしまいました。
 

仕上げた提出書類

NPO法人解散の書類

 
現在私が代表になっているNPO法人「ひとまち生活ネット津島」は、平成19年に地域の高齢者や障がい者を病院や買い物に移送するボランティアとして設立され、現在まで患者さんを移送する活動を続けてきました。
 
当時50代だった私も現在70歳になり、ボランティアの高齢化は深刻になっており、昨年末からは主力メンバーが長期入院し、多くの希望者に対応することは難しく、新たな若いボランティアを補強しないと存続が厳しくなってきました。
 
家内から「いつまで続けて行くの」と愚痴が出ますが、最近私が四国遍路と上高地ばかりに目の色を輝かせて、車イス対応の福祉タクシーは家内の専属状態になっており、車の老朽化も考えると引退するのが一番楽な選択肢となっていきます。
 
ただし、私の住む津島市には車いすや福祉車両を有するタクシー会社がなく、福祉タクシーも高額な料金設定になっているため、低額な福祉有償運送の存在は大きく、何とか法人の若返りを果たして存続させる責任は大きいと自覚しています。
 
さて、もう一つの法人「横井庄一記念館を護る会」の代表にもなっており、この法人は館長の横井夫人が亡くなった後の記念館を存続させるために設立されましたが、遺産を相続した夫人の親族から、一方的に記念館を閉館するとマスコミに発表され、それまで関わったボランティアも記念館に入れないため、認証された愛知県へ法人を解散する方向で進めており、本日も解散届の書類を作成していました。
 
結果論となりますが、横井庄一さんが亡くなった後に、すべての資産を名古屋市へ寄贈して京都へ帰る予定だった夫人が、寄贈先となるはずの名古屋市に難色を示され、困って相談された私が「記念館を後世へ残すなら」と関わったことが始まりでした。
 
夫人が肺結核で長期入院した時には、私だけでなく周りの知人が記念館の留守番役となり、深刻な病気療養となった夫人のご兄弟を夫人が引き取った時に、私の仲間がボランティアで連日のように病院へ移送していたことは夫人の親族には何も伝わっていなかったか、夫人の親族にとっては横井庄一さんは肉親でなかった現実に、記念館に関わったボランティアとしては残念の一語となりました。
 
どちらにしても、二年前に膠原病に罹患した70歳の私一人では、NPO法人の事業報告や税務署や関係機関への納税対策など、パソコンを駆使して申請するのも苦痛となっており、今まで「大鹿商店」状態だった法人を、協同組合か会社組織に改革していく必要性を痛切に実感する日々となってきました。