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本日のスタート 第87番長寿寺 名古屋市
寺標と由来
本日は名古屋市北区の志賀弘法会が4年ぶりに知多半島の八十八ヶ所霊場を8人で巡拝し、半田市の第20番龍台院まで参拝して1日目の巡拝を終えました。
10年前には3日間で八十八ヶ所を結願していた志賀弘法会ですが、車イス同行となっていた4年前には4日間を要するようになり、4年前の初日は23番寺まで巡拝していたものの、本日は20番までで終わったことから、このままでは満願まて5日間必要になりそうです。
志賀弘法会の高齢化は深刻ですが、それよりも東浦町の第10番観音寺は近くの常照寺が朱印を代行しており、今年中に観音寺そのものの取り壊しが決まっていると聞き、本日ほとんど巡拝者の姿が無かったことと併せて弘法信仰七十年のメンバーも落胆していました。
ご朱印ブームと言われる現代においても、墨書きではなく印刷の朱印帳に印(スタンプ)を押すだけでは魅力に欠け、洋式トイレどころか和式の汲み取りトイレでは八十代の志賀弘法会でも度々苦痛を訴える巡拝となりました。
案内する私自身が知多半島の巡拝に気がないことと、来月から週末は上高地のボランティアが始まり、7月まで毎月訪れることにしている四国遍路のスケジュールで満杯ですが、八十代後半のメンバーに秋までの引き伸ばしは苦痛となるため、4月中旬の四国遍路を中止し、6月始めの上高地ウェストン祭を知多半島に充てることを決めてから、これまでの集合地で解散から自宅まで送迎してから自宅へ戻りました。
七十歳になったGGには朝6時から夜9時過ぎまで休み無く運転する巡拝は辛くなりますが、明日の夜からは4月の四国遍路をスタートさせていきます。