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関ケ原古戦場 決戦地跡

現在の決戦地跡

案内板

石田三成陣跡

島左近陣地跡

案内板

案内板

関ケ原古戦場 開戦地跡

陣地見取り図

現在の合戦跡地

平和の杜

遠景

山林

案内

岐阜県関ヶ原町

古戦場記念館

通路

売店

プラント6 岐阜県瑞穂市犀川

大きなショッピング場です

 
 今から400年前に天下分け目の合戦が行われた岐阜県 関ヶ原合戦場跡地を訪れました。
 
西暦1600年、慶長5年の出来事ですが、現代社会のように音の出る動力のない自然環境下では、遠く離れた関ヶ原から我が家まで戦場で戦う人と人との叫び声が聞こえたかのように思えてなりません。
 
遠くの他県ナンバーの車で満車となった関ヶ原古戦場記念館の売店から離れた合戦場跡は、雨のため人の姿も少なく、400年前に人と人とが罵声を浴びせながら戦った戦場が、静寂に包まれて肌寒い雨音だけがポツポツと背中を濡らしました。
 
千二百年前に四国の僻地に響いた空海の真言を聞こうとするよりも、四百年前の武士の吐息なら聞こえてきそうですが、現実には戦が済んだ直後の雨が戦で流れた血を洗い流し、本日のような静かな日々が続いてきたと思います。
 
そして、命をかけて戦った多くの武士の存在が、今では大将の名前だけが陣地跡地の幟旗に残されている現実に、自分の姿を見ているような気持ちにさせられました。
 
我家の仏壇に残された過去帳には千七百四年に他界した故人の記録が残されており、400年前には我家が存在したことが判りますが、織田信長や蜂須賀小六の出生地から3キロの場所にあることから、当時の先祖の知り合いにも関ヶ原の戦場に存在した可能性を考えると感慨深いものがあります。