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弘盛寺 津島市越津町
本日21日は空海(弘法大師)が承和2年(835)に高野山奥之院で入定された日で、真言宗のお寺では21日には何らかの行事が催されており、私の町内のお寺では毎月阿息観という真言宗の座禅である瞑想法が開催されています。
70歳となったGGの寿命は儚い予感がしますが、平成25年に四国別格20霊場椿堂からいただいてきた椿は、我が家と町内の弘盛寺で成長しており、境内では「病気平癒」の椿として後世に引き継がれていきます。
GGは亡くなれば燃やされて煙とお骨になってしまいますが、この椿は生きたまま弘法大師ゆかりの椿として成長して、数百年後にもご利益のある椿として残されていきますから、煙として流されてきて葉から幹に宿って見守っていきたいものです。
今月訪れた椿堂で、ご住職と遠く離れた愛知県津島市に椿堂の椿があることを話し、雑談に花を咲かせてきましたが、私自身も膠原病に罹患していることから、この椿とわが家の椿に病気平癒を祈願して、ご利益の実例にしていきたいものです。
下記の一言から過去の謂れが判ります。
2021年3月21日
2015年6月19日
我家の椿です
我家の椿堂ゆかりの椿
つぼみを付けています
意図せぬことでしたが、釣り銭が余分にあったことに駐車場で気づきながら、そのまま帰ってしまった反省から、翌年のお遍路でお返しに伺ったところ、その返礼としてお接待で椿の木をもらってきました。
半年後に綺麗なピンク色の花を咲かせたものの、夏の猛暑で一晩で枯らしてしまい、家内からもう一度あの椿が欲しいと言われ、結果的には万が一の後継者としてお寺に置いてあったプランターの椿をもらってきてしまいました。
2010年2月27日
2013年11月7日
さて、四国から愛知県に来て10年の歳月が経過して、お寺の椿は境内の一角で大きく成長しており、我が家は植木鉢の中が長かったため幼木のように見えるものの、すでに私の背丈を上回っており、私が煙とお骨になってから邪魔にされ伐採されないためにも、お寺のような由来書を残しておこうと思っています。