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名鉄電車の動画 愛西市左折

 

一年前にも…

フェースブックの画面に一年前に訪れた蜂須賀の蓮華寺の写真が現れたため、同級生と珈琲店に出向いただけで終わるはずの一日でしたが、小雨降る夕方に桜見物に車を走らせ、ほとんど開花していなかったため、近くの勝幡城周辺を歩くことにしました。
 

日光川 上流方向

勝幡城跡地 稲沢市平和町城之内105

城址の石碑

案内板

↓ そして南へ300メートル

勝幡城跡地 稲沢市平和町城之内
織田弾正忠平朝臣信定古城跡

織田信長公生誕地の幟旗

築城から500年

石碑

由来書

日光川 下流方面

勝幡城跡地から東へ300メートル 右側が愛西市勝幡町

勝幡神社 愛西市

鳥居と参道

本殿

おこわ祭の記念碑

案内板

↓ ここから東へ800メートル歩きます

勝幡観音
白衣聖観世音菩薩

勝幡城の絶命した馬を捨てていた跡地

 
高校時代から何度も訪れてきた勝幡城跡地ですが、現在は城のあった場所が個人の宅地や社有地になっており、城主だった織田信秀公の居城だった土地がどのように小分けされて所有されてしまったのか、当時の城主の気持ちになると複雑です。
 
ただし、この城で織田信長公が生まれたかどうかはさておき、城址の東側に狭い町並みの中では広大と思える勝幡神社が残され、さらに街道を挟んだ少し離れた土地に「駒(馬)捨て場」が存在していたことに、五百年の歳月によって大きな城のあった土地がアリ塚のように他人に奪われてしまった現実には寂しさを実感させられます。
 
そして、五百年前には目的地に向って真っすぐ歩いていけた土地が、ずいぶんと回り道をしないと行けない現在の環境に、私が大学時代に知り合った人のお宅を探すと存在せず、勝幡でお店を出していた高校時代の同級生の敷地も分譲住宅へ変貌していました。
 
さて、月末となる来週にも四国遍路へ出発しようと画策していましたが、方位学的にも南西は悪いという発信と、周りの人々や私の置かれた環境も考えて、しばらくは近場の足元を眺めてみたいと思います。