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本日は私の住む愛知県西部地方も大雪に見舞われました。動画は我家の駐車場です。
午前5時頃に降りだした雪は道路を真っ白にしましたが、午前中から雪は溶け出し夕方には道路の雪はほとんど無くなったため、お墓掃除とお花を供えに名古屋市にある横井庄一さんのお墓を目指しました。
誰かがお花を供えて下さっていました
本日の写真です。
平成9年に亡くなった横井さんにはお墓が2ヶ所あり、死後横井夫人が建立した千音寺霊園のお墓と、横井家の菩提寺となる行雲寺には横井さんの母親が昭和32年に建立した「陸軍軍曹」と刻まれた横井さんのお墓があります。
横井庄一記念館が開館してからお墓の場所を問い合わせてお参りくださる方もできましたが、千音寺霊園のお墓には小動物を慰霊する碑もあり、夫人は横井さんから行雲寺のお墓には入りたくない事と、グアム島で殺生した小動物の慰霊碑を一緒に立てて欲しいとの遺言であったとして建立されました。
夫人が鬼籍に入った今となっては真実を知ることはできませんが、生前の横井さんから「生きとる自分が入るお墓までおふくろが残してくれたから」と私と私の父親の前で笑って語っていたことを考えると、後継者となる子供のいない横井さん自身はわざわざ二つ目のお墓を建てて欲しいとは思っていなかったと思います。
私の推測では、行雲寺のお墓は母親の横井家が建立したお墓で、横井さんの死後在所となる横井家から色々言われることを嫌った夫人が、自分の兄と相談して小動物の慰霊碑という理由と話題性を考えて建立したものと思います。
今となっては、子供の無い横井さんのお墓は夫人が他界したことと、夫人が横井さんの在所や横井家の親族と懇意にしていなかったと言うよりも、横井さんは小学校五年生になってから我家の大鹿庄一から母親の再婚によって横井姓になっており、血縁者の居ないお墓に共通した現代社会に共通する社会問題でもあります。
私自身も我家の先輩としての横井さんのお墓掃除には訪れるものの、二ヶ所のお墓掃除を子供たちにまで託すことはてきず、我家のお墓やお寺とは別に、横井さんのお寺とお付き合いしていく気持ちも無いことから、こんな生活がいつまで続くかを考えると苦痛です。