天林山笠覆寺
創建は天平5年(733年)という古刹で、笠寺観音と呼ばれており、龍泉寺、荒子観音、甚目寺と並んで、徳川家康が名古屋城築城にあたって鬼門の方角にある寺院を鎮護とした尾張四観音の一つに数えられています。
聖武天皇の天平5年(733)、呼続の浜に流れついた流木に禅光上人が十一面観音像を刻んで安置し、小松寺と号したのが始めで真言宗智山派のお寺です。
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天林山笠覆寺 ウィキペディア 名古屋市南区笠寺町上新町83
昨日の写真です。 笠寺稲荷
毎月第4土曜日に笠寺フリマクリマが開催され、6のつく日に笠寺六の市が開かれているとの案内がありますが、20年ほど前に境内の骨董屋さんから鶴田浩二さんの古いレコード盤を購入した記憶は18日で、18日にも観音様の縁日が開催されているようです。
私の父親は満州から帰った戦後に名鉄電車の駅員や運転手をしており、私の小学生時代に関連会社の名鉄産業に出向しましたが、名鉄産業の本社が笠寺にあるため、無信心だった父親でも何度かはこの観音様を訪れていた可能性も考えて山門を見上げると感慨深いものがありました。
4月19日の一言