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海津市歴史民族資料館

木曽川と長良川を分流する前の木曽三川

現在の木曽三川
 
 かつて多くの薩摩藩士の犠牲を出した木曽三川の分流工事を知ってはいたものの、資料館に展示してある分流前と現在の大きなパネルを見て、重機のない人力の時代の工事がいかに大変だったかを実感させられました。
 

資料館横を流れる大江川

堀田と上げ舟

嫁入り舟

展示されている和舟

昔の堀田と上げ舟

昭和40年頃の田植え風景

水路を使った農作業
 
 私の住んでいる愛知県海部郡でも、昭和初期まで田植えや水田の農作業は水路を利用しており、木曽川を挟んだ岐阜県側でも全く同じ環境にあったことを海津市の歴史民族資料館で実感させられました。
 
 県境こそ存在するものの、養老山地に沈む夕陽を見ながら水路を舟で我家へ帰る先人を思うと「県境をまたぐ行き来をしない」と言う県知事の言葉は行政の勝手に思え、かつては同じ自然環境下で積み上げてきた歴史を感じさせられます。
 

足踏み水車

 
 懐かしい写真です。私の先祖たちも昭和40年頃までは水車で苗田に水をくみ上げていました。水は高い所から低い所へ当り前に流れていきますが、人力で水を苗田にくみ上げていた先人たちの苦労が偲ばれます。
 

魚を捕る漁具 うえ・うげ

グアム島で横井さんが使った漁具
 
 下の漁具は昭和47年にグアム島で発見された横井庄一さんが発見時に持っていた竹製のカゴですが、愛知県海部郡で生活していた横井さんが持っていたため、多くの人たちが私の住む地域で使われていた漁具のように勘違いされていたようですが、海津市の資料館に展示されていた漁具を見て横井さんは他の地域出身者の漁具を見本に作ったと確信が持てました。私の子供の頃に川で見た物と同じ漁具が海津市に展示されていました。
 

蛇篭

 

 この竹で作られた蛇篭にはびっくりさせられました。上高地を流れる梓川の両岸には鉄の金網に石を詰めた蛇篭が堤を護っていますが、明治時代まで竹で作られた蛇篭が使われていたことは全く知りませんでした。

 

河童橋と梓川

五千尺ホテル前の蛇篭

ウエストンレリーフ前

レリーフ

ここにも蛇篭

 

 平成11年、初めて市議会議員に当選した直後に、当時の津島市長山田克己さんに「先人の生活を伝承する歴史資料館」の建設を訴えたことがありましたが、「いずれ誰も来ないゴミの山になり税金の無駄遣いになる」と言われました。

 

 確かに、海津市の資料館も人が殺到する施設ではありませんが、地域の歴史と先人の苦労を次世代に伝承することは重要と思える訪問となりました。

 

                                        1月13日の一言