ハリー・ケイン。
今乗りに乗っている選手の1人だ。
ビッグクラブから関心を寄せられても、彼はスパーズを離れるつもりはないらしい。クラブ愛があることは素晴らしいことだ。しかし、そのクラブ愛がどこからきているのかさっぱりわからなかったが、あるサイトでケイン自身の手記のようなものを見つけた。プレミアリーグ通算100ゴール達成に合わせて掲載されたらしい。
https://www.theplayerstribune.com/harry-kane-tottenham-zero-to-100/
英語なんて得意でもないので、全てを訳すのにかなり時間がかかってしまったし、細部まで正しいかと言われると怪しいが、大筋は合っているはずだ。
別にケインファンでもスパーズファンでもないが、紹介しておこう。
◼️0から100へ ハリー・ケイン
子供のころの失敗ってのは面白いものだね。鮮明にその日のことを覚えているよ。キングスフォードの家の近くの公園で父と兄弟とサッカーをしていたのさ、ゴールなんてなかった。新しいピッチもなかった。草と2本の木が僕らに幸せな時間を与えてくれたんだ。そのころ僕は、アーセナルのユースチームでプレーしていた。敵側にいたようなものだから話すよ。良い機会だからね。
8歳のある日、父と公園を歩いていたんんだ。そして彼は「伝えなきゃならないことがある」と言ったんだ。
僕は言った、「なんだい?」
それから、父が腕を僕の肩に置き彼が言ったんだ。「ハリー、、アーセナルは君を放したがっている」
その瞬間何を感じたのかをしっかりと思い出すことができない。正直に、、それが何を意味しているのかわからなかった。若すぎたんだ。けど、父の反応がどんなだったは覚えているよ、そして私への感じも。彼は私を責めなかった。彼はアーセナルも責めなかった。彼は特に悩んだ様子さえ見せなかった。彼は「心配ない、ハリー。もっと練習して、そして別のクラブを探せば良い。そうだろ?」って言ったんだ。
今思うと、もっと動揺してもおかしくなかっただろう。僕が推測するに、もし彼らが多くの父親のように、息子をプロフットボーラーにしたいと熱望している父親なら違った反応を見せたんじゃないかな。だけど、僕の父は、どんなプレッシャーが僕にかかってもなにも起こらなかったよ。いつもポジティブだった。どんな状況でも「さあ、進み続けよう」と思うところが彼のすごいところさ。
そして、僕たちは決めたんだ。
アーセナルの後、地元のチームに戻った。そして、ワトフォードのスカウトの目に留まって、トライアルのオファーを受けたんだ。面白いことに、トッテナムとの試合でワトフォードのためにプレーしていたことがトッテナムのユースアカデミーに入る機会になったよ。白いシャツが僕には似合うと思ったんだ。初めてアーセナルと試合をした時のことを覚えている。馬鹿馬鹿しく聞こえるかもしれない。けど、放出された時は8歳だったからね。プレイする度に毎回、こう思っていたよ。「いいじゃないか。誰が正しく、誰が間違いか見せてやろう。」
今思うと、それはおそらく僕にとってそれは最も良いことだったんだ。なぜなら、前までになかったような意欲を与えてくれたんだ。
プレミアリーグで100ゴールまで到達することができて本当に幸せだ。トッテナムからローンで2年間出された時、プレミアリーグで1ゴール決めれるチャンスがあるかどうか自分に問いかけていたよ。ミルウォールにいた2012年のことを覚えている。激しい降格争いをしていたからね。言うまでもないが、彼らファンは情熱的なことで悪名高い。彼らは別のレベルにあるんだ。ザ・デンでの最初のゲームで主審が悪いジャッジを下したんだ。たった一つの悪いジャッジだ。すると突然、スタンドのファンがピッチにものを投げ始めたんだ。色んな物をね。群衆が落ち着くまで、審判が試合を5分止めたよ。とても忘れられるものではなかった。まだ18歳だったからね。周りを見渡して、、「これは、、イかれてるよ。」って感じさ。
シーズンが続いても、僕らは降格圏にいたんだ。何人かの若手は控え室で、気が緩むとこんなことを言い始めたよ。「なぁ、もし降格したら俺の給料は半分になっちまうんだ」とか、「もし降格したら契約打ち切りだよ」って。
家には小さい子たちがいるような彼らだ。それからゲームを違う視点で見始めたよ、本当さ。多くの人たちがスポーツのためにスポーツをしていないことに気づき始めたんだ。それは彼らの家族の生活のためなんだ、わかるかい? どのくらいデリケートなことかわかり始めたよ。もはや子供ではいられないってことに、ミルウォールでの経験が気づかせてくれたんだ。僕にとってそれは非常に重要だったよ。僕がとても良いパフォーマンスをしたのは偶然だとは思わないよ。そして、もっと重要なことに僕らは残留できたんだ。ミルウォールのファンともいつも良い関係さ。彼らを愛しているよ、、時々クレイジーでもね。
スパーズにとって、次のシーズンで僕を残しておきたいと思うに十分なプレーをしたと思ったけど、不運にもまたローンに出されたんだ。そして、本当にタフな時間が始まろうとしていた。レスター・シティにいた時がおそらく一番辛い時間だったよ。そして、チームにも入りきれていなかったようだ。その時はまだ、彼らはチャンピオンシップにいたんだ。そして覚えているのは、この酷い現実に僕のアパートで直面していたことだ。「もし、チャンピオンシップのレスターでプレーできなければ、、、、プレミアリーグのスパーズでプレーできるのだろうか?」
きっと、あれは僕のキャリアの中で初めてのことだったよ。疑いが僕の中に徐々に忍び込んだんだ。タフなことだよ、疑いってのは。ある夜遅くに僕の家族がやって来たんだ。そして、色々と熱く話しあったよ。僕は落ち込んでいたから、父に言ったんだ、ここを離れたいって。それは、酷いミスだったかもしれない。けど、本当に自分自身を疑ってたんだ。父は言ったよ。「いいかい。努力し続けるんだ。やり続けるんだ。全ては上手くいくさ。」
何週間後も、またアパートにいたよ。当時、本当にNFLにハマっていて、トレーニングをしていない時は、マッデン (NFLのゲールらしい) をしているか、ニューイングランドペイトリオッツのビデオを YouTubeで見ていたよ。そんなある日、トム・ブレイディのドキュメンタリーを見つけたよ。それは、彼がNFLのドラフトにかかる前の6人のクォーターバックについてだったんだ。
トム・ブレイディはドラフトで199番目だってことがわかったんだ。想像してみてくれよ。心の中は衝撃だったね、いい意味でね。そのドキュメンタリーは本当に心を打たれたよ。みんな疑ったてたんだ。彼らはNFLのドラフトの前にスカウトされた時の写真を見せたんだ、彼のシャツを脱いだ時のね。おかしかったよ。なぜなら、彼の見た目はレギュラー男性には見えなかったからね。わかるかい?そして、あるコーチはこう言ったよ。「このブレイディとかいう小さい子供は背が高くて、ひょろっとしているな。そして、彼をウェイトルームで見ることはなさそうだ。」
自分のことかと思ったんだ。みんないつも僕についての憶測を作るんだ。「まぁ、わかるだろう。ストライカーには相応しくないよ。」って。
それは僕を心から感動させたよ。ブレイディは彼自身を信じたんだ。そして、彼は努力し続けたんだ。もっと上手くなるために。それは僕にも言えることだったんだ。変に聞こえるかもしれないけど、本当に頭の中で何かが弾けたような気がしたんだ。レスターのソファの上でね。突然のことだったよ。僕は言ったんだ。「僕もやるよ。可能な限り力いっぱいやり続けるんだ。そしたら、チャンスは来る。そして、それを掴んで見せるさ。」
何試合か後、ミルウォールとの試合があった。そう、僕の古巣だ。デカイDFがいて、思うに彼は僕を脅そうとしていたね。スローインの時に僕の後ろで言ったよ。「おい、ハリー」。
僕は言った「やあ」。
すると彼が言ったんだ。「俺はまだ1枚もイエローカードを貰っていないんだ。」
「へえ、、そう。」と答えたよ。
そして彼は続けたよ。「良かったよ。お前に使うことになりそうだからな。」
彼は僕とやりあおうとしていたんだ、簡単なことさ。スローインがきて、僕らは競り合った。肘の競り合いもあったよ。でどうなったかって?偶然、僕の肘が彼の肋骨にあったんだ。彼はそのまま地面に落ちて、痛みで顔をしかめていたよ。彼を踏みつけつることになってしまったけど、僕はなにも言わなかったんだ。それが僕の彼への証明の仕方さ。僕にとってもだ。そしてみんなにも。僕は怖がったりしないってね。
翌シーズン、僕はトッテナムに戻った。そして監督であるアンドレ ビラスボアスに会ったんだ。彼は、再び僕をローンに出したがったよ。いくつかのクラブが僕に興味を示し、上手くいきそうだったんだけど、それは僕の夢ではなかったよ。僕の夢はプレミアリーグでプレーすることじゃない。プレミアリーグでスパーズのためにプレーすることなんだ。
だから、正直に彼に言ったんだ。「出て行きたくない。」って。
その言葉が口から出てきた時に「しまった。間違えたかも、、。」と思ったよ。
監督はちょっと困ったように僕を見ていた。
それから即座にいったんだ。「このチームで先発すべきだということを僕は証明してみせる。毎週金曜日に、君は相応しくないと、プレーできないと呼ばれれても構わない。それでも他のチームには行きたくないんだ。」
結果、そうなったんだ。彼は僕を1stチームでトレーニングさせることを許可したんだ。そして、これが本当に、僕の信頼のターニングポイントになった。いつも自分には能力があると思い続けてきたけど、僕自身のために立ち上がる必要があった。つまり、子供の頃に見てた夢がまさに目の前にあるんだ。だけど届かなかった。誰かが僕に手を貸してくれるのは待っていた感じかな。けど、人生においては誰も手を貸してくれない、そうだろ?
自分で掴まなきゃいけないんだ。
トレーニングでは輝いていたけど、試合にはまだ出れなかった。それから冬に監督が解任されて、ティム・シャーウッドが指揮を取り、彼が僕にチャンスをくれたんだ。それからは、「歴史」と人々は言うだろうね。僕は最初の3試合で3ゴール決めたんだ。信じられない感覚だったよ。特に、ホワイト・ハート・レーンでの最初のゴールはね。けど、本当のところは、僕が決めたゴールの前の全ての出来事が、今の僕を作ったんだ。
言うまでもないけど、翌シーズンにマウリシオ・ポチェッティーノが来て全てが変わったよ。僕だけじゃなくクラブもね。僕のキャリアの中でマウリシオよりも大きいインパクトを与えた人はいなかったね。それは、素晴らしい経営理念をクラブにもたらしただけでなく、チームを一つにしたんだ。彼自身は面白いキャリアを持っているけど、それを話すことは決してなかったよ。監督として決してね。いつも最高の選手か、必死にもがいてる選手にとっての手助けをすること。もちろん、努力をしなかったり、怠惰な選手には、、、彼は容赦ないね。それでおしまいさ。プレーすることも、彼と話すこともできない。でも、彼をリスペクトして、一生懸命努力したら?彼はきっとこの世の全てに時間を与えてくれるはずさ。
フットボールにおいて、すごい気に入っている思い出は、何シーズンか前にハットトリックをしたことだ。その試合の前、マウリシオに彼のオフィスに呼ばれたんだ。その時は、仲は良かったけどすごい良いってわけではなかったんだ。何の用事かはわからなかったよ。ドアを開けたら、、、、デスクに座って赤ワインを飲んでいるんだ。おそらく上質なマルベックかなにかかな。すごい笑っていたよ。そして、彼は手招きしてこう言ったんだ。「来いよ。写真を撮ろう。」
彼が僕に、ワインを持った方と逆の腕を回してきて、僕たちは写真を撮ったんだ。この時が、スペシャルな人だなって思った最初の時かな。本当にファンタスティックな男さ。彼を、監督として、ボスとして尊敬しているよ。でも、フットボールの外では友達でもあるんだ。僕らチームが一つになった理由は彼さ。最近のフットボール界では珍しいことだと思うけど、僕らは本当の友達なんだ。
僕にとって、アーセナルからの拒絶は良いことだったね。最初のノースロンドンダービーは2015年。靴の紐を結んでいる時、アーセナルのユースと試合をした11歳の頃を思い出したんだ。それはデジャヴみたいなものかな。いつも、試合前に頭の中にシナリオを思い浮かべるんだ。正確にね。試合でどうやって得点するかを。左足で巻いてシュートを打つ。右足で、ボックスの中の右コーナーからボレーを打つとかね。いつもやるのが、僕のやり方なんだ。本当に細かいことまでやるよ。相手選手や、芝の切り方まで全てのことさ。
この時、赤いユニフォームをきたアーセナルのディフェンダーを思い浮かべていたいたんだけど、鳥肌がたったよ。
トンネル (ロッカールームからピッチまでの間だと思われる) にいた時、「オーケー。12年かかったけど、誰が正しくて誰が間違いだったか見せてやるよ。」って思ってたよ。
その日、僕は2ゴール決めたよ。決勝点の86分のゴールは、試合前に想像していたものとは全く違ったんだ。ヘディングだった。おそらくこれまでの得点で最高のヘディングだね。あのネットの後ろに突き刺さる感覚は、僕のキャリアでも完璧で、たくさん触れられるものではないさ。
試合終了のホイッスルの前、ピッチの周りを1周歩いていると、ファンが拍手をしていたよ。「そう言っただろ。」って感じさ。
アーセナルっていうだけじゃない。それはもっと深い感じなんだ。自分自身のなにかを証明すること。どんな方法やステップの時も信じてくれた家族のためにも。家族はミルウォールにいた時や、ノーリッチ、レスター、そして僕が疑った時でさえも信じていてくれたからね。
プレミアリーグで100ゴール達成した今、本当にたくさんの人々にありがとうと言う良い機会さ。
ありがとう。思わしくない結果の時でも一緒に我慢してくれたフィアンセのケイト。
ありがとう、父さん。僕がアーセナルから放出された後公園で僕の肩に腕を回してくれて。そして、完璧な僕の家族。レスターのアパートで一番辛い時期に僕の話を聞いてくれてありがとう。
ありがとう、母さん。数えきれないほど、僕の送迎をするために運転してくれて。
ありがとうチャーリー兄さん。たくさんの時間、僕との1対1に付き合ってっくれた。そして時々、テディ・シェリンガムみたいにやらせてくれた。
ありがとう、トム・ブレイディ。ウェイトトレーニングルームで見たこともないと言われるような奴らに希望を与えてくれて。
チームメイトもありがとう。僕がどんなゲームにも出れないとき近づいて「君はプレーするに値するよ。」と言葉をかけてくれて。
ありがとう、マウリシオ・ポチェッティーノ。僕をストライカーにしてくれて。
そして、もちろんトッテナムのファンもありがとう。子供のころから、スパーズのためにプレーすることが夢だった。長い間僕が、目を閉じて絵に描いてきたモチベーションは、プレミアリーグでアーセナルに対してゴールを決めることだった。それは何回も達成したし、色あせることは決してないよ。けど、今の僕のモチベーションは全く異なっている。目を閉じて思い描く自分自身は、プレミアリーグのトロフィーを、僕らの新しいスタジアムでチームメイトと掲げることさ。次の100ゴールはそのための引き換えだろうね。
過去数シーズン、僕らは優勝に近いところにいいる。けど、優勝までのギャップを埋めるためには一つの方法しかないんだ。いや、至って普通の答えで申し訳ないんだけどね。きっと父も同じことを言うよ。努力し続けよう、やり続けよう、進み続けよう。
COYS
-Come On You Spursの略。応援の時の合言葉みたいなもので、スパーズのホームではCK時などにチャントとして歌われているとのこと-
ハリー
いかがでしたかか?
The white kit fit better on me, I think. 僕には白いシャツが似合うと思ったよ、と語ったハリー・ケイン。彼が新スタジアムで、トロフィーを掲げた後、目を閉じてどんな彼自身を思い描くのかはわかりませんが、The Real Madrid’s white kit fit better on me other than supers, I think. とか言って、もっと大きい白いクラブに行くことにならないといいですね。