いま世界中で、
災害や戦争以外で、
異常な死者数になっていますが、
ぜひネットで『超過死亡』で調べてみてください。
旧ツイッターの現『X』が一番おススメで、
他のメディアのように情報統制されなくなり、
真実の情報を有志の政治家や医師なども発信しています。
私が当初から指摘していたように、
偽コロナ禍でワクチンを打ってしまったことが原因で、
大切なご家族を亡くされる方もたくさんいますが、
それもその人自身が選択した人生なので、
悲しまずに『肉体卒業』を祝ってください。
神社など日本神道では、
死は肉体を卒業して、
大本の神へと還るお祭りなのです。
『死』を怖いもの忌まわしいものとしたのは、
宗教というお金儲けの仕組みなのです。
今回のお話は、
たぶん信じられないか、
受け容れ難い人がほとんどだと思いますが、
《人間は死なない》のです。
一般的に【死】とされている現象は、
『肉体がお役目を終える』だけで、
ほんとうの自分という『魂は永遠』なのです。
魂とはエネルギーで、
ビッグバンから始まり、
永遠に進化発展し続けている、
大本のエネルギーの分身なのです。
いわゆる『輪廻転生』という説ですが、
人間になるまでにも長い歴史の中で段階があり、
岩石や鉱物から始まり、
植物から動物になり、
最終的には犬から人間に生まれ変われるのだそうです。
なので、
今世で人間が初めての人もいれば、
もうそろそろ人間卒業という人もいて、
それぞれに『学びの段階』が違うのです。
学びの段階が違うということは、
それぞれの人というフィルターを通して、
その人にとっての《現実》を作っているので、
こういうお話が理解できる人と、
まだ理解できるレベルではない人に別れるのです。
では、
なんのために何度も生まれ変わるのか?
それは、
『魂の進化』のために、
産まれる前に天の創造神と自分とで、
今世での課題や環境などを『設定』して、
自分で親を選んで産まれてくるそうです。
退行催眠などで前世の記憶が蘇ったり、
産まれる前の記憶を持つ子供などもたくさんいます。
「肉体がすべてで死んだら終わり」
という考え方は、
「広大な宇宙の中で生物がいるのは地球だけ」
という考え方と同じく、
烏滸がましい独りよがりの身勝手な考えです。
私自身も、
おそらく直近の二代前の記憶があり、
保育園でブランコに乗っていた時に、
ゼロ戦で特攻隊だった記憶が蘇ったり、
小学生の時に、
妹とふざけていて家具の角で、
アバラの下を大きくえぐってしまい、
その傷がチンピラヤクザだった時に、
刺されて死んだ傷だと思いだしました。
他にも、
街中などで夕方の台所に、
裸電球のような明かりを見ると、
妙に懐かしいような寂しいような感情が湧くこともあります。
さらには、
今世に産まれるときに、
母のお腹の中で、
病院の先生の聴診器めがけて、
手足を上手に使ってモグラたたきのように反応して、
医者からは双子だと言われ、
結局暴れすぎてへその緒で首が絞まってしまい、
帝王切開でとりだされたのでした。
そして、
ひとはみな、
肉体を卒業するときに、
アチラの世界へ行く前に、
自分の全経験を見せられるのだそうです。
それも、
自分だけの視点ではなく、
関係者全員の視点から、
それぞれの感情すべてを見せられるそうで、
ひとはみな、
その時その時に『ベスト』と判断して、
言動をしていますが、
自分では『良かれ』と思ってした言動が、
相手にとってはとても傷ついた。
などということはよくあります。
そんな風に自分の経験を見せられた時に、
ものすごく後悔をしたりして、
今度はお互いに役目を変えたりしながら、
強烈に『またやり直したい』と思うそうです。
しかし、
生まれ変わりを待つ魂は増え続けていて、
地上では人口が減り少子化も進んでいるので、
順番待ちの大行列になっているそうです。
※魂レベルによって地球以外への転生もあるそうです。
そんな思いをして、
ようやく今世に生まれ変わっても、
産まれた瞬間に前世の記憶は消えてしまい、
やがて『エゴ』という自己防衛本能が芽生えて、
自分で勝手に産まれて育っているかのようにふるまいだし、
自分の人生を大切にしないようになってしまうのです。
あるエライお坊さんが、
90歳近くになってから、
一生懸命英語の勉強を始めた時に、
お弟子さんたちが驚いて、
なぜいまさらそんなに勉強するのかと質問したそうです。
するとお坊さんは、
「来世が楽だから」
と答えたそうです。
この世界で素晴らしい結果を出している人は、
今回の人生で初めてしたことではなくて、
前世から努力してきたことがほとんどという説もあり、
私もそうだろう思っています。
今世での私の記憶からは抜けていますが、
以前スピリチュアルライフコーチの仲間とセッションをしたときに、
その人はチャネリングができる人でしたが、
私を視てくれた時に、
「齋藤さんは神道系だね」と言われて、
当時はまったく神道が何なのかも知らないほどでしたが、
お寺よりも神社が好きだったり、
その後神職にスカウトされたりと、
やはりご縁があるのだろうと感じています。
ちなみに私の大先祖さまは、
齋藤実盛さんという源平時代の武士ですが、
史書によるとかなり信仰の篤い人だったそうで、
今でも埼玉県熊谷市妻沼にある、
聖天山歓喜院というお寺にお祀りされています。
【聖天山のHP】
http://www.ksky.ne.jp/~shouden/
このようにして、
人間は何度も何度も生まれ変わりながら、
様々な経験を通じて、
大本の《神》に近づいていくのです。
神社にお参りに行くと、
かならず拝殿の中に『御神鏡』という鏡がありますが、
あの鏡そのものが神様だという意味もありますが、
じつは、
そこに映るのはアマテラスさんではなくて、
一生懸命に拝む『自分自身』なのです。
そして、
『かがみ』から『が』を抜くと『かみ』になります。
つまり、
あなた自身も『神』の分け御霊なのですよと、
教えてくれているのです。
生きている間に、
どれだけ『我・エゴ』を外していけるか?
ということが『魂の進化』には欠かせず、
『我』が無くなれば『神』となり、
肉体を持つ人間を卒業して、
未熟な人々を救い導く存在として、
《八百万の神々》となるそうです。
私のご先祖さまもそうですが、
今の神社仏閣にお祀りされている存在も、
その昔は未熟な人間だった時代があり、
進化をした結果、
神仏としてお祀りされていて、
確かにそこにいらっしゃりながら、
私達を無償の愛で導いてくださります。
だから、
神社仏閣で御祈祷をすると、
願いが叶いやすいのです。
神社仏閣とは、
お役所のような存在で、
神職やお坊さんは、
神仏と私たちの間を取り持つ公務員のようなお役目で、
神仏にも段階があって、
私たちの願いを叶えて、
お礼参りをすることで、
格が上がるそうなので、
神社仏閣へ行くときには、
お願いするばかりでなく、
日頃の感謝を伝えに行くと良いですね。
すべては時空を超越して、
『いま』という瞬間に繋がっています。
《あたりまえ》なことはひとつもなくて、
私たちが奇跡的に産まれて生きていることから、
すべてが《ありがたい(有り難い)》ことなのです。
私自身も、
実に様々な経験をしてきて、
いまではこのように皆様にお伝えさせて頂けるということが、
まさしく《神の奇跡》なのです。
【私のビフォーアフターの記事】
https://ameblo.jp/s260gts/entry-12727375072.html?frm=theme
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