一、真相。経済を攻撃するという親神、中山みき。
  1874年筆先第4号 七十七才老女・明治七年四月 7 7 7 4の数理である。
 いまのみちなんのみちやとをもている なにかわからんみちであれども (4-1)
 このさきハをふくハんみちがみへてある もふあこにあるこゝいきたなり(4-2)
 このひがらいつの事やとをもている 五月五日にたしかでゝくる     (4-3)
 それよりもをかけはぢまるこれをみよ よるひるしれんよふになるぞや (4-4)
 五月五日は数理55年、1874年の数理55年は1929年10月24日-ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落。世界恐慌の引き金となる「ブラック・サーズデー」。
   日本はこの年7月24日-日本が「戦争抛棄ニ関スル条約」(不戦条約)を批准していた。だが世界恐慌においては、為政者(濱口内閣)は、戦争に国民を誘導する道を選び天皇を利用する。1930年4月29日-天長節祝典: 宮城平河門内覆馬場で370年ぶりの天覧相撲開催。同年5月12日-重巡高雄進水式(皇后臨席)宗教事情としては、この年3月1日-谷口雅春が新宗教生長の家を開教。11月18日-牧口常三郎と戸田城聖が、創価学会の母体である創価教育学会を設立を見ている。1930年2月11日-三菱重工設立(三菱造船より改名)。2月14日-三菱石油(現・ENEOS)設立。1932年3月1日-満州国が建国宣言。同年5月5日日本側は第一次世界大戦・青島の戦い(戦死者273名負傷者972名)を上回る戦死者第一次上海事変約770名負傷者2300名以上という損害を出し、日露戦争以来の大激戦となった第一次上海事変勃発、同年5月15日-五・一五事件で、犬養毅首相が殺害される。同年8月2日-ドイツ総選挙でナチス党が圧勝。同年9月15日日満議定書調印。同年12月23日-大日本国防婦人会発足。1923年1月1日日本陸軍が山海関で中華民国軍と衝突。1月2日-日本陸軍が山海関を占領。同年1月30日-ヒトラーが独首相に就任、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の政権獲得。同年2月20日-作家小林多喜二が、治安維持法違反容疑で逮捕される。東京・築地署に留置され特別高等警察の拷問により虐殺される。同年2月23日-日本陸軍、熱河省に侵攻。同年2月24日国際連盟が、日本軍の満洲撤退勧告案を42対1で可決。松岡代表退場。同年3月24日-独国会で全権委任法が可決され、ナチス独裁政治が確立。(ナチ党の権力掌握、ナチス・ドイツ成立)。同年3月27日-日本政府が国際連盟脱退の詔書(昭和天皇)を発布。同年3月31日齋藤首相、国際連盟脱退を伊勢神宮に報告。同年4月1日満洲国が非承認国に対して、門戸閉鎖。同年4月10日-関東軍が長城線を越えて、華北に進撃開始。同年4月28日-大日本帝国陸軍、少年航空兵制度開始。同年4月29日-天長節(昭和天皇誕生日:32歳)の日比谷公園で、国際連盟脱退詔書奉戴式が挙行される。学生2万人が参加。同年5月7日-日本軍、華北に侵入。同年5月31日-日本が中国国民党との間で塘沽協定を結ぶ(満洲事変の終結)。同年10月14日-ドイツが国際連盟を脱退。同年12月23日皇太子明仁(昭和天皇第一皇男子、第125代天皇、2019年5月から上皇)誕生(サイレン吹鳴で発表。1回だけなら女子、2回なら男子で、2回鳴った)。同日は、1989年(平成元年)から2018年(平成30年)までの天皇誕生日(日本のナショナル・デー)。1934年3月1日-満州国にて帝政実施。執政溥儀が皇帝となる。同年11月7日-東北地方の冷害凶作被害に対して、昭和天皇と香淳皇后から50万円の救恤金が下賜される。同年12月29日-日本が米国にワシントン海軍軍縮条約の単独破棄を通告。1935年3月16日-アドルフ・ヒトラーがヴェルサイユ条約を破棄し、ナチス・ドイツの再軍備を宣言、同年4月6日-満洲国皇帝溥儀が来日。靖国神社参拝。同年7月-外務省が条約等の外交文書に於ける日本の国号表記を「大日本帝国」に統一する事を決定。同年12月8日大本教教祖出口王仁三郎と幹部三十余名を不敬罪・治安維持法違反で検挙(第二次大本事件)関東軍支援のもと李守信軍がチャハル省に進軍。1936年1月15日日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退。同年8月日本、関東軍防疫部編成(1941年に731部隊と改編)。同年11月25日-日独防共協定締結 綏遠事件。関東軍が内蒙古軍を指揮して綏遠省に侵攻するが、中国軍に敗退。1937年1月26日 - 陸軍三長官会議が陸軍の入閣拒否を決議。同年3月19日-純国産航空機神風号完成 3月28日-神風号が福岡・立川間で試験飛行。同年4月26日- スペイン内戦中、ナチス・ドイツ空軍がゲルニカを空襲。同年7月7日-盧溝橋事件。これが発端となり日本国と中華民国間に、日中戦争が勃発。同年7月11日-日本政府、華北へ出兵することを発表。盧溝橋事件現地協定成立 7月13日-大紅門事件 日本兵が中国軍に爆殺される。7月25日-廊坊事件中国軍と日本軍が衝突7月26日-広安門事件。中国軍と日本軍が衝突。7月28日- 日本軍、華北で総攻撃を開始(平津作戦)。7月29日-通州事件華北各地の日本軍留守部隊や日本人居留民が虐殺される 日本の対中感情悪化。7月30日-日本軍が天津を爆撃。同年8月9日-上海で大山勇夫海軍中尉と斎藤與蔵水兵が狙撃される(大山事件) 8月10日-陸軍が上海派遣軍の編成を命令 8月13日第二次上海事変。上海で海軍陸戦隊と中国軍が交戦開始。上海派遣を閣議決定。8月15日日本政府が国民政府の断固膺懲を声明し全面戦争開始。日本海軍機が南京に対して初の渡洋爆撃。中華民国が対日抗戦総動員令を発令。8月24日-国民精神総動員実施要項決定。同年9月1日日本軍が上海に入城。9月2日-日本政府が北支事変を支那事変と改称。9月3日-第72臨時議会召集。9月5日-帝国海軍は全中国沿岸の封鎖を宣言。対して、9月13日-国民政府が日本軍の行為を国際連盟に提訴。9月28日国際連盟総会で日本軍による中国の都市空爆に対する非難決議を満場一致で採択。同年10月5日国際連盟、諮問委員会で日本の軍事行動を九カ国条約・不戦条約違反とする決議採択。米国のフランクリン・ルーズベルト大統領、シカゴで侵略国を批判する「隔離」演説。同年11月3日-11月15日 - ブリュッセルで九カ国条約会議開催、日本を非難する宣言採択。11月4日-戦艦大和起工。11月6日 - 日独伊防共協定成立。 11月12日-日本軍、上海を占領。11月20日日本、大本営設置。同年12月11日-イタリア王国が国際連盟を脱退。12月13日-日本軍が南京城を陥落、以降、中国の首都であった南京を占領する(南京事件)。12月15日-中国南京市で 第13師団山田支隊が幕府山砲台付近で1万4千余を捕虜とし大部分が殺害された。1938年3月5日-立正佼成会創立。3月13日 - ナチス・ドイツ、オーストリアを併合(アンシュルス)。同年4月1日 - 日本、国家総動員法公布。5月5日-国家総動員法施行。5月15月19日-日本軍、徐州占領(徐州会戦)。6月9日-日本軍の進撃阻止のため、中国国民党が黄河の堤防を爆破、氾濫により数十万の住民が水死(黄河決壊事件)。同年
7月15日-1940年東京オリンピック開催権を返上。同年9月14日-従軍作家海軍部隊出発(菊池寛・佐藤春夫・吉屋信子ら)。9月27日 - 従軍作家詩曲部隊出発(西條八十・古関裕而ら)。同年10月1日-ナチス・ドイツがチェコスロバキアからズデーテン地方を割譲。-陸軍が作戦要務令を制定。10月21日-日本軍、広東占領10月27日-日本軍、武漢三鎮占領。同年11月3日-近衛首相による「東亜新秩序」声明(第二次近衛声明)。同年12月4日-日本軍、重慶爆撃開始。1939年2月14日- 日本国民に対し「金製品回収・強制買い上げ」を日本政府が実施。同年3月15日全国の招魂社を護国神社に改称。同年4月12日-日本で米穀配給統制令法公布。同年7月1日日本軍がノモンハン攻撃開始。7月8日-日本で国民徴用令公布。同年9月第二次世界大戦勃発。9月1日-ナチス・ドイツとスロバキアのポーランド侵攻。アドルフ・ヒトラーがT4作戦を発令。9月2日-イタリアが中立を表明。9月3日イギリス・フランス・オーストラリアがドイツに宣戦布告(まやかし戦争)。大本営が関東軍にノモンハン事件の作戦中止を指令。9月4日日本、第二次世界大戦への不介入を表明。9月18日-日本で「賃金統制令」・「価格等統制令」(九・一八停止令)公布。9月30日-厚生省が「結婚十訓」を発表。「産めよ殖やせよ国のため」の標語を掲げる。同年10月1日-日本国内の石油が統制品となり、配給制となる。10月15日-ニューヨーク市立空港(現ラガーディア空港)開港。10月20日-物価統制令・地代家賃統制令施行。同年11月6日-米穀強制買上げ制公布実施。1940年2月11日-日本神話に基づく建国2600周年。紀元2600年祝典開催。阿部定を含む多数の囚人が恩赦を受ける。同年7月15日 - 満州国の新京に建国神廟が創建。同年7月26日-閣議で基本国策要綱を決定(大東亜の新秩序・国防国家)。7月27日-大本営政府連絡会議が「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」を決定。同年8月1日東京府が食堂・料理屋などでの米食使用を禁止。国民精神総動員本部が「贅沢は敵だ!」の立看板1500枚を東京市内に設置。8月8日-戦艦大和進水。8月20日-八路軍、日本軍に対して大攻勢(百団大戦、- 12月5日)。同年9月19日-御前会議。9月23日日本軍、フランス領インドシナ北部に進駐(北部仏印進駐)。日仏印軍事協定成立。9月27日-日独伊三国軍事同盟成立。731部隊、浙江省で細菌戦を実施(- 12月)。同年10月12日大政翼賛会発会式。同年11月1日-戦艦武蔵進水。11月10日 紀元二千六百年記念行事(-11月14日)。11月13日-御前会議で日華基本条約および支那事変処理要項を決定。11月14日海軍省が兵備局を新設(15日発足) 同年12月6日-内閣情報局設置(内閣情報部廃止)12月18日-ドイツ ヒトラーが独ソ戦(バルバロッサ作戦)の準備を命令。12月24日-第76議会召集。日付不詳,旧日本海軍の艦上戦闘機、零式艦上戦闘機(零戦、ゼロ戦)が正式に採用される。 1941年9月3日-日米首脳会談の要請を米国が拒否。9月6日-御前会議にて帝国国策遂行要領を決定。10月下旬までに米英に対する日本の要求が通らない場合は開戦を決意すると決定。10月18日-東條英機が内閣総理大臣となり、東條内閣を組閣。同年11月23日 - 南雲機動艦隊が単冠湾(ひとかっぷわん)に集結。11月26日ハル国務長官が日本側乙案を拒否し中国撤兵要求を提議(ハル・ノート)。南雲機動艦隊が単冠湾を出港。1月27日-大本営政府連絡会議が「ハル・ノートは日本に対する最後通牒である」と結論。12月6日-ルーズベルト大統領が日米交渉の中で、昭和天皇に対し「平和を志向し関係改善を目指す」との親電を送る。同年12月8日-日本軍のマレー半島上陸および真珠湾攻撃で太平洋戦争(大東亜戦争)が開戦する。日本、対米英宣戦布告。アメリカ合衆国の対日宣戦布告、イギリスの対日宣戦布告。12月9日-中華民国(重慶政府、蔣介石政権)、日独伊に宣戦布告。12月10日マレー沖海戦、日本軍がグアム島占領、日本軍がルソン島上陸。12月12日-日本政府、『支那事変(日中戦争)』も含めて戦争名称を『大東亜戦争』と決定。12月15日-第78臨時議会召集。
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 宗教を利用し政治勢力を構築。一つは皇教、一つは民間宗教で、国会と言う民主主義機関を利用して、軍事国家体制に国家を誘導する。伊藤博文と大隈重信の情報操作は幾多の政治抗争を潜り抜け、成功したと見えている。しかし真相はまるで異なる。
 みきは、英米の唐人思想を日本に持ち込んだ高山の皇教利用の維新政治の悪を、根こそぎ掃除するための理を説き知らせ先に5の5の数理で先触れしていたのである。

  細菌戦争を用意した帝国主義国家を「細菌」で成敗するのみきの思想は、向こう倍力とみきの言葉に明白である。人間は思いあがっても絶対に神仏に勝てない。そして無力を装った天の返し。新型コロナウイルステロを実行した高山の唐人に天罰である。経済を攻撃の親神、釈迦、イエス、みき。それが先行した7 7 7 4の数理である。