天理教の基本 ⑴  (神の残念には偽宗教は無力であること、天理教の基本は有効という事) 

 第一号二一 このよふハりいでせめたるせかいなり なにかよろづを歌のりでせめ
 第一号二二 せめるとててざしするでハないほどに くちでもゆハんふでさきのせめ
 第一号二三 なにもかもちがハん事ハよけれども ちがいあるなら歌でしらする
 第一号二四 しらしたらあらハれでるハきのどくや いかなやまいも心からとて
 第一号二五 やまいとてせかいなみでハないほどに 神のりいふくいまぞあらハす
 第一号二六 いまゝでも神のゆう事きかんから ぜひなくをもてあらハしたなり
 第一号二七 こらほどの神のざんねんでてるから いしやもくすりもこれハかなハん

 

 坂井が用いる3年殺しは「言葉で理を知らせる」⇒「気の毒になる」が鉄則である。
 天理、知らしたらあらハれでるハ気の毒や いかな病も心からとて、の実践的応用だが
そのかわり、理を知らせて相手に不幸が出たら、自分にも理を知らせたと同じ意味の危険が迫る。人を呪わば穴二つで、相手の墓穴と自分の墓穴の二つという事で、相手に違いを言うなら自分の違いを既に悔い改めてからであるを、それを呪詛の基本とする。
 呪詛の病気は、なってしまえば医学は効かない。
 

 そこで名指しして理の間違いを指摘するのは、自分の、仲間であった反省の為であり、危険を恐れ批判しないのは、実はお仲間の方の選らぶ道だという事である。


 天理王命の天罰は、批判しない人にもその残念が表に出る事になる。

 では、批判しておくとどうなるか、演歌王伊那谷店ママ(図の下段左が、演歌王伊那谷店ママ)は、愛町分教会の関根豊松の愛弟子に助けて貰えと告げられ、誘われ、そこで愛町部内筆頭教会に助けを願った方である。

 言われるに従い、愛町の方法で、自分の病気、突発性けいれん不眠症のお助けを願って効能なく、坂井に助けを求め、飯田市まで出向いて来てその当日から安眠が出来た。

 実力は素直なものである。天理王命は偽宗教による救済には真の実力を発揮しない。
 

 3年殺しの裏に「理を知らせる」⇒「助かりが出る」の鉄則がある。

 2ちゃんねるで核心を撃ったから、愛町では助けられない病人が坂井で助かった。

 医者も薬も天理教愛町分教会も今の演歌王伊那谷店ママの病気は治せなかった。偽物は神の立腹の病人を治せない。しかし天理王命は坂井の病助けは受けて下さる。
 統一教会との闘いに勝る偽宗教との戦闘において、坂井は月日の軍人とみきに評価され偽宗教を撃ちわける。

 内の掃除は筆先1号の主題で、世界の掃除の前に内側から死者が出るが天理教である。
10,(お筆先第一号は天災の原因として資産の不平等、資産による格差審判を予言する)  
  第一号三一 これまでのざんねんなるハなにの事 あしのちんばが一のさんねん
 みきは、和歌で資産、4と3で資産の片寄りの事が、あしのちんば、それが一のさんねんと示した。天理王命は証拠主義であり、明治2年1月からお筆先1号執筆、一の残念が何かを示した。
 学問はそれは格差の原因。

 投機の強欲は格差の原因。

 神の真柱を認めない親神不信は救済の拒否。

 教団の威風堂々は格差の示威。

 より軍事優先の悪事。

 宗教団体の軍国主義への取り込み。

 宗教組織内での上下関係と格差の固定化。

 以上の、地震を呼びこむ天理の基本を、坂井は数理43と呼ぶが、地震災害等の神のお怒り、天災に関係ある数理である。論より証拠である。
 1848年 秀司 中山家で寺子屋開始 道に学問いらんに反する。学問は格差の原因。
    ⇒43年 明治24(1891)年10月28日 M8.0    濃尾地震 死者 7,273
 1853年 秀司、戦い方を言いつけどうりにせず博打で大失敗
    ⇒43年 明治29(1896)年6月15日    M8.2    明治三陸地震    死者 21,959
 1880年 はじめて三曲を含む鳴物を揃えてよふきづとめ。眞之亮は中山家へ移り住

     む。
    ⇒43年 大正12(1923)年9月1日  M7.9    関東地震 死・不明 10万5千余
 1890年 大門新築上棟  表門構えではたすけられんに反する。
    ⇒43年 昭和8(1933)年3月3日      M8.1    昭和三陸地震    死・不明 3,064
 1905年 年初の行事おせちの中止。その経費を出生出征家族慰問経費に充当。
    ⇒43年 昭和23(1948)年6月28日      M7.1    福井地震    死者 3,769
 1925年 中山正善官庁就職奉告祭 天理教団は日本帝国主義に組み込まれる。
    ⇒43年 1968年 平成23年(2011)3月11日  東北大震災  死19,729 不明膨大 
 1952年 直属会発足 直属、直属以外の格差を制度化、差別の制度、ろくぢに反す。
    ⇒43年 平成7(1995)年1月17日     M7.3    阪神・淡路大震災 死者 6,434 

 以上43年の数理に見えるのは、格差を是正しない天理教組織の欲の醜態である。
 

 43年の天災の理を調べようとも確かめようともしない天理教では43×2=86を見る。
 1840年みきは貧に落ちけれと天理王の命で家財の施しを開始する。親族反対。
  ⇒86年 十勝岳噴火 1926年 大泥流が山麓の集落を襲い144名の犠牲者を出す
 1847年頃 神や仏が私の腹の中をお掃除下されたのです。と受けとめた毒の工作発生
  ⇒86年 1933年(昭和8年)2時30分頃に昭和三陸地震、発生。M8,6。
  1862年 みきは病気助け同業者として稲荷下げに二両二分渡した。理を理解されず。
  ⇒86年 1948年 福井地震(昭和23年) 6月28日 都市直下型地震で住家の全壊
     34,000棟を超えた。地震の直後から火災が多発し福井市での2,407棟を含む

     4,100棟以上が焼失。人的被害では死者3,769人に及び、震度7(激震)を創設

              するきっかけとなった。
  1909年 天理教一派独立を認可。政府公認の神道教団となる。本部に天理教庁が設置
    され、各級教会は大教会、分教会、支教会、宣教所の4段階に改変された。
  ⇒86年 1995年(平成7年)1月17日(火曜日)に阪神・淡路大震災発生である。 

      同年(平成7年)7月11日、長野県北部と新潟県上越地方「7.11水害が発生。 
      2日間で400mm前後の大雨、関川と姫川流域で斜面崩壊や土石流、河川氾

      濫などが相次ぎ、大雨で6人が死傷、家屋の浸水は6,000棟以上に及ぶ。
  1925年  大正14年4月23日、管長就職奉告祭が執行され中山正善は未だ学生の身で
       管長としての職務を行うことになる。筆先にある真柱職戦後に公開する。
  ⇒86年 災害が頻発した2011年は災害だらけの1年で1月に霧島連山の新燃岳が噴
       火しました。この噴火以降、阿蘇山、桜島、口永良部島など霧島火山帯の
      火山活動が活発になりました。3月9日11時45分ごろには、三陸沖で地震

      で地震(M7.3)が発生します。. 東北地方太平洋沖地震の前震です。本震が                    直撃です。
                以下、農林水産省 東日本大震災地震と津波の被害状況より引用します。

                     地震に伴って発生した大津波は、北海道から関東の太平洋沿岸へ押し寄
      せ、漁船、港湾施設、さらに住宅地や農地を呑み込み、大きな被害をもたら

                しました。死者と行方不明者の合計は2万5,949人であり、関東大震災の10

                万5,000人あまりに次ぐもの。また、津波により冠水した面積は宮城県、福

                島県など6県で561km2(山手線の内側面積の約9倍)におよぶとみられて

                います。
                  多くの尊い命とともに家屋や産業に大きな傷跡を残した東日本大震災の被

               害規模は16兆~25兆円にのぼると政府は試算しています。(農林水産省)。
 ここまで、地震を呼びこむ天理の基本の数理43と、43×2=86であるが、天罰の数理そのもので、地震災害等の神のお怒りの天災に関係ある数理で、論より証拠であり格差の数値43×3=129も、そのままに、歴史に数理を、きちんと刻んでいる。

 

 1882年3月26日(陰2月8日)、飯降伊蔵、中山家に住み込む。9月21日(陰8月11日)、眞之亮、中山家の家督を相続する。
  ⇒129年   

 2011年(平成23年)3月11日14時46分頃、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の海溝型の巨大地震である東北地方太平洋沖地震。

 台風災害もある。台風第12号による大雨により和歌山県では県南部を中心に深層崩壊や土石流などの土砂災害が多数発生、多くの人命が犠牲となる甚大な被害発生である。

 東北地方太平洋沖地震 による 地震 ・ 津波 の影響により、東京電力の福島第一原子力発電所 で原子力事故発生した。

 

 これが天罰である。