坂井には両親という天理教熱心がいて、宮島佐太郎・鈴木五郎という布教師が、説いて説いて説いている天理教のお助けの現場があって、「どんなことでも聞かにゃあ分からん、教えにゃわからんで」のみき口伝の世界にいて育った。上田民蔵さんの「お言葉集」を父親は坂井に渡して、お言葉(お指図の用語)を舐めるほど学んだ。こんな幸せは独り占めしてはいけない。
機会あるごとに教理を伝えた。「どんなことでも聞かにゃあ分からん、教えにゃわからんで」である。
教えてあげることが恩返しであり、「とく・説く」という事が「徳積み」と理解していた。
「どんなこと」とは、「ドンなこと」、鈍感のドンである。にぶいということで、阿呆は鈍い。「阿呆は神の望みと仰るで」と、みきの教えである。
対して敏感という言葉がある。鋭敏、俊敏は皆敏感で、利口である。「りこう、理巧」は、りこうはつけんでである。
小学生のころ、誰にだって天理教の教理のお話をするので、位京分教会・鈴木五郎会長にこう注意された。
「話すとは、はなすであり、教えを話してしまうと。放してしまうから、自分から失くしてしまう。放さぬように、教理は人の得な」と。
それで坂井は何と思ったか。話して話してしまって、何もなくなってしまったら、またおやさまから頂けばよい。である。
鈴木五郎先生小さいなと思った。習った教理を皆失くしても、おやさまがいる。
説いて説いてといて全部失くしても、おやさまがいる。
なくなればよい。だから一層説くようになった。貧乏せいとは無知無学になることで、説けば話せば、教理貧乏である。
「一言のはなし」で「日の寄進」と、たった一言で助ける人もいる。話一条、やめられない。
びんぼうとは、ビンをなくすこと、敏感では貧乏できない。
上田民蔵さんの系統の方、親族さんが悩みがあると一度相談という名目で、坂井をためしに来られた。
はなすという、なくすための天理教をしておられなかった。
天理教に執着していた。上田家は名門である。「寄進」しなければ、天理教では貧乏できない。