坂井明久は昭和24年生まれである。昭和42年二代真柱は死んだ。
 3代真柱が真柱を継承し、その奉告祭を翌年43年10月25日に執行した。
 同年同日「諭達」第1号を公布、2代真柱 の提唱した三信条は、みきのひながたを辿 ることによって実現されることを諭した。
 ひながたとは「貧乏せい」で始まります。諭されて大教会は貧乏したか。冗談じゃない、天理教真柱派は天理教の基本、坂井明久ひとりである。順序を経て50年貧乏したのは、・・・
 天理教教理を知り、教理を説いて、「世界最後の教え、究極の教え」と語る諸井であれ、深谷であれ、大教会では「ひながたの貧乏」。誰も通らない。貧乏しない。智慧の果実を食しても生命の樹の果実を食せない信仰者。蓄財しても散財しない、大嘘の偽天理教、信仰者である。
  初代真柱が中山家に入る   → 43年    関東大震災。
  真柱継承者・かぐら初の勤め → 43年    阪神大震災。
  三代真柱の真柱職に就任   → 43年    東北大震災。
 

 しんばしらはみきの道具で、真柱は神である。

 

 お筆先には、1880年の1月。予言が明示されています。
  あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 10
  いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
  けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12
 つまり、10番と12番までの間に、43年がある。
そして、13番に、「さあけふハ月日のはらがはぢけたで」とありますから、
神は立腹なのだが「控えていた」「ぢいとしていた」その43年後が、
   このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく 第6号 91
   かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく 第8号 58
 2019年9月3日2ちゃんねるにて、坂井はこれもお知らせしました。
 天理教団に地位が無い事、教会を新設したの実績が無い事。ただの多重債務者で、カラオケ屋の親父だとの理由があって、坂井のお知らせは事実上無視されました。

 2019年から立腹の数理5年は、2024年。五つ理を吹くで、  能登大震災でした。

 きちんと、お役に立ちました。

 

 坂井が目に見えた貧乏である。
 これを原因として誰一人、天理教の基本の研究を理の研究と、正しく理解せず、天を侮り、真剣にお筆先、お指図、ひながたに、向かわなかった。天災対策をしなかった。真柱ならすぐわかる事なのに、真柱を馬鹿にした。
 この道をこの世治める真実の道とは思いもしない偽の天理教の信仰者と信仰集団。大教会の堕落。
 だから、とんでもない阿呆の坂井を、おやさまが、現在も坂井一人を可愛いと思って下さる理由ですが、なんと残念な天理教会でしょう。
 
 みきはどんな者でも、背き出来ない威力のある天の将軍です。
 つまり、10番と12番までの間に、43年がある。
 そして、13番に、「さあけふハ月日のはらがはぢけたで」とありますから、おしゃれです。
 神は立腹なのだが「控えていた」「ぢいとしていた」その43年後が、

 このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく 第6号 91
 かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく 第8号 58

 これが起きると、言うことです。起きているわけです。
 

 坂井の両親の布教所には、当時長野県一の家具問屋さんが信者さんにいた。最初は奥さん一人の信心だったが、夫が女と逃げて行方不明となり、小学生の坂井は、「帰ってきても絶対にそのこと話題にしないと心定めるなら、帰るようにお願いします」と、助けを引き受けた。

 夫は、突然、女の正体が見えたと言って、帰ってきた。

 そこからが恐ろしいのは奥さんである。全く夫に対し話題にもしない。

 「あきちゃんの言うようにします」を、がんと突っ張った。変わらず優しい奥さんをした。

 夫は、「すごい」と、わたしに言った。天理教とはそんなにすごいのかと。

 それで天理教に入信するとしたが、天理大学学長をした大久保あきのり(記憶で書いている)が会長を務めていた、天理教彦根分教会の信者になりたいと、坂井に言いだして、大久保先生とは小学校2年から導いていた女性信者(大久保先生の系列)の家で何顔も会っていたので、大久保先生から直接、彦根の信者にしたいと、話があった。そのお話に坂井は彦根分教会に招かれたが、どうぞと、差し上げた。

 

 大久保さんと坂井では、信心の格が違う。大理石のトイレのある彦根分教会は散財以前である。

 それが好きで彦根の信者になりたいのも、自由である。

 

 散財心とは、散財すればよいと単純に受け止めるべきでない。「散財」のお言葉は御神楽歌の中で諭された理です。
 一下り目
 一ッ 正月こゑのさづけは やれめづらしい
 二ニ につこりさづけもろたら やれたのもしや
 三ニ さんざいこゝろをさだめ
 四ッ よのなか 五ッ りをふく
 六ッ むしやうにでけまわす
 七ッ なにかにつくりとるなら
 八ッ やまとハほうねんや
 九ッ こゝまでついてこい
 十ド とりめがさだまりた
 

 つまり、個人の財産を無くすのは教えの散財ではありません。
  1、声のさずけ、2、にっこり頂く。3、散財心定め。
 これが最初の、三段一つです。
  4、繁栄が、5、理を吹く 6、やたらにできまわす
 これが、2段目の三段一つです。
  7、なにかにつくりとるなら 8、やまとは豊年 9、ここまでついてこい
 これが、3段目の三段一つです。
 人生に正月が来る 肥の授けを頂く、にっこり貰う、何を貰うかと言えば「儲けの方法の授け」です。
 その時、定めるのが「散財心」です。

 「とくと心を定めかけ」の「とく」とは、損得の得、得をするぞと定めかけろです。

 散財心とは、散財すればよいではなく、声の授けを頂いて、大儲けして、それを全部散在するということです。「とくと心を定めかけ」です。

 

 そこで正月の理がないと、神から肥がいただけない。
 肥を頂くとは、声は肥やでです。 神様の声を聴くという事で肥は声で頂けますが、神様は口では言わない。そりゃ無理、・・・が、くちでもゆハんふでさきのせめ (1-22)があり、身への手入れ、道教えがある。 その神からの教えをわが身にて教えて頂きたいと、願う心の誠が大切で、願い続けて、初めて身に知らせ頂けたら、一つの正月です。
教えの門をたたくのは、たづねくることで、それが「ところ繁盛」になり、天理教で大儲けして、それから散財。

 それが散財の天理教の基本です。おふでさきに知らされてあります。

 先に正月がなくばならない。散財心の前に正月のご守護を頂きましょう。
  きゝたくバたつねくるならゆてきかそ よろづいさいのもとのいんねん (1-6)
  かみがでてなにかいさいをとくならバ せかい一れつ心いさむる (1-7)
  いちれつにはやくたすけをいそぐから せかいの心いさめかゝりて (1-8)
  だん/\と心いさんてくるならバ せかいよのなかところはんじよ (1-9)
 辻忠作さんが伊蔵さんからコメの相場の行く末を聞いて、大儲けした、それを私物化したので足の病苦になった、その時、種銭までも、施してしまえと叱られて、中途半端な散在で、後遺症が残ったという事実があり、ご用心ください。そしてコメ相場の値段を先に聞いて儲ける天理教を、・・・