吉田松陰は明治維新の主導者の位置にいる。論客櫻井よしこは「松陰」と「安倍」の心を諭している。以下に青字引用する。                       

 『 安倍、岸両方の血筋の源流に位置するのが吉田松陰なのだ。何世代もの間、両家の血筋に脈々と受け継がれてきた松陰の魂から生まれてきたような人物が安倍総理であろう

「安倍さんは、百数十年の歳月をこえて、松陰の『留魂』を“身に宿した人”であったかもしれません」という松浦氏の見方に、私は深く共感する。松陰の留魂は門下生たちに継がれ、わが国は列強の植民地にならず立派に明治維新をやり遂げた。いま、私たちは一人一人が安倍総理の留魂を身に宿し、日本国を取り戻し、戦後レジームからの真の脱却を成し遂げなければならない。清和会にいた全員に、心して読んでほしい書である。 」

 

一君万民論 国家は天皇が支配する、天皇の下に万民は平等になる。

飛耳長目 常に情報を収集し将来の判断材料にせよ。

草莽崛起 「草莽」は一般大衆を指す。「在野の人よ、立ち上がれ」の意。

福祉教育  嘉永6年9月実兄への手紙の中で民への福祉教育の重要性を説く。

対外思想『幽囚録』で「今急武備を修め、艦略具はり礟略足らば、則ち宜し  く蝦夷を開拓して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加(カムチャッカ)・隩都加(オホーツク)を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからめ朝鮮を責めて質を納れ貢を奉じ、古の盛時の如くにし、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋(ルソン)諸島を収め、進取の勢を漸示すべし」と記し、北海道(当時の蝦夷地)の開拓、琉球王国(現在の沖縄県。当時は半独立国であった)の日本領化、李氏朝鮮の日本への属国化、そして当時は清領だった満洲や台湾・「スペイン領東インド」と呼ばれていたフィリピン・ロシア帝国領のカムチャツカ半島やオホーツク海沿岸という太平洋北東部沿岸からユーラシア大陸内陸部にかけての領有を主張した。
 松下村塾(しょうかそんじゅく)は、江戸時代末期(幕末)に、長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)に存在した私塾である。吉田松陰が同塾で指導した短い時期の塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる。 

塾生には伊藤博文はじめ維新の志士、政治家が並ぶ。

 松下村塾は1842年に開講。吉田松陰塾長は1857年からで、維新革命思想の芯となり、1857年の正月晦日の数理130は1987年、松下村塾思想の後継人岸信介死去である。岸信介は統一教会を日本に持ち込んでいる。みきの省きである。

 岸信介の影響で1962年統一教会の初代会長は立正佼成会からの久保木修己が就任していて、仏罰の数理25年が1987年である。岸信介吉田松陰の教えの開始正月晦日の数理130と、日本に統一教会持ち込み仏罰の数理25年においてみき省かれた。

 統一教会の布教に協力した久保木修己は、みき三日殺し30年の数理で省かれている。
1968年2月22日、統一教会の合同結婚式(430組 ソウル市民会館)に日本人として初めて参加。既に結婚していた哲子夫人と既成祝福を受ける。同年4月1日、国際勝共連合が設立。初代会長に就任。その30年後、死没1998年12月13日(67歳没)である。

 

 大日本帝󠄁國憲󠄁法は1899年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日施行である。

 三日殺しの数理1892年(明治25年)みきは、明治二十五年十二月四日午後八時 刻限御話で予言した。

 明治二十五年十二月四日午後八時 刻限御話 

刻限御話
 さあ/\戻って来たで/\、皆戻って来たで/\。さあ/\何ぼでも/\、どんな話、どんな理を諭すれどどんならん。用いる理もあれば、追い延ばしの理もある。よう聞き取れよ/\。これまで話何処に有るか無き/\の道、難しい道/\と言えば、人は何でやろうと思う。これまでの道を伝え、いかなる者も引き寄せ、どうなり道の掛かりと、一つの諭もして置こう。何箇年に道下り、今日の日が無くば、一年の日も無い。よう聞き取れ。雨風にざあ/\の道を通りて一つの理、その理無くば今日の道は無い。
 余儀無くの道を通りて今日の日。事情々々、道によく聞き取ってくれ。この刻限早く話しとうてならなんだ。あちらこちらで一日前より一寸身上に障りを付け、じっと休ましてある。多くの中、明日は我が身、我が日々だん/\詰め掛け、幾日働いて何人事情にては、成程の事情聞き分け。独り成りて来る。
 気の毒でならんから、一寸刻限から始め掛ける。さあ/\聞き取れ/\。さあ/\始め掛け、始め掛けたる。この一事大層々々、なか/\大層、世界寄り来る地所地面ぢば始め掛けて今日の日、よう事情聞いてくれ。
 三年前何の話も聞かなんだ。さあさあいかなる道、これでこそ大丈夫、道に道があって治まる。
 大きな道には風がある、風があれば吹き戻す。道に持つ足しっかり定めくれ。
 これまでという道、胸にしっかり。危なき事も楽しみの理も諭す。
 一人一つの心という。世上いかなる道、何かの事情治め掛け。どんな事も言い出して取り結べ。
 もう幾日の日があるぞ。数えてみよ。日々早く一つの道を見返るという
 さあ/\又々一つの事情諭する。談示に早く掛け。一時に掛けて一時に治め。
 幾日幾日の日組みばかりではいかん。幾日々々は今まで。
 これからというは事情々々、あすこもこゝも急がしい。
 掃除に掛かりてくれ。一つの道に掃除に掛からにゃならんで。掃除掛かりて何処がどうでも構わん。早く掃除に掛かれ/\。なか/\の大層、一日の怪我も無く通りた事情、何処がどうでも構わん。何ぼうでも切りは無い。早く掃除々々。何ぼ日指折り数えても、なか/\又この日もある。早く/\、掃除掃除、明日日から掃除やで。

 

 「三年前何の話も聞かなんだ。」とは、帝国憲法発布の話題のことである。明治22年「天理教会やってみよう」の悪を告げていたが、みきの話をきちんと聞いていない。大教会初代たち天理教幹部である。

 

明治二十二年一月十五日午後十一時十分とは
本席御障りに付再度伺

さあ/\うん/\、さあ/\/\/\前以って、さあ/\前以って、まあひょっとの心、めん/\さっぱりと思わく立たんから潰そと言うて、あちらへ廻りこちらへ談示して。(注。みきを弾圧し潰してしまおうと相談するうちに、という事)

さあ/\しっかり聞け。何時分からん。何時人間というものは、分からん者に分からん者が付く。世界の悪肥え、だん/\思やん付け。天理教会やってみよう

 一つ道だん/\悪が添い、天理教会、めん/\も天理教会同じ一つの理を祀る。皆人間の心を寄せ、だん/\心を寄せて相談する。分かり難ない中に思やんある。何名の中多くの中、一人の身一つ計らう一つの理に、又計らえばよかろう/\/\。さあ/\よかろう/\。どうでも一つ運ぶ処、悪の司今に吹かそうか、明日に吹かそうか。日々押されたる悪、とんとさっぱりなあ外れた。又中に悪一つ立て替え。締まれ/\。何でもめん/\何でも一つ集めて来る。相談々々、悪の相談して居る処が見えてある。知らんから身に知らせある。この理、諭して置かねばならん。余程用心頼む。すっきり出せん。(注。維新政府が天理教会やってみようの状態ではお指図ですっきりと事情を公開するは難しいという事) 悪の処悪の理が寄って居る。さあと言えばさあと言う。おうと言えばおうと言う。日々悪がめん/\手柄と言うから、用心手当せねばならん。日の暮れ/\用心せねばならん。朝の処どうしても居られん。日暮日暮何処から始まるかも知れん。悪が取って了うたら、一名一人ばら/\。一名の手柄して了もたら、おうと言えばおうと言う。夕景々々どうもならんで。

 

明治22年おさしづを踏まえて、言わん言えんの状態の明治25年お指図の、神意を確認をすると、「もう幾日の日があるぞ。数えてみよ。日々早く一つの道を見返るという。」とは、数理で確認せよの意味である。「早く/\、掃除掃除、明日日から掃除やで。」とは、掃除は相手をごみ扱いで、省くという事もありの掃除であり、明治25年(1892年)の正月晦日2022年、安倍晋三みきは省いた。明日日から掃除で、池田大作みきは省いた。ナメルナ!である。みきの実力の邪魔ばかりする天理教大教会系に呪詛しかない。

 

 松下村塾の思想天皇は別格で、皇室以外の国民が平等、近隣諸国の支配拡大は、掃除されるべき、2024年は、今現在である。明日日から掃除とは

能登震災で幕を開けた今年のことである。